夜中のコーヒー※BL要素があります
感覚の冴える時間は何をしても捗る。好きなことならより進むし、嫌な仕事でも大体終わりの目処が経つ。俺にとっての冴える時間は夜で、そういう時に飲みたくなるのがコーヒーだ。デスクに仕事の支度をして二部屋隣のキッチンにコーヒーをいれに行き、キッチンから戻る時、彼とばったり出会した。そして彼は俺の持つカップの見ると思わず声をあげる。
「だから! 夜にコーヒー飲むのはやめなさいって言ってるでしょ!」
「俺今から仕事なんだけど」
『夜中のコーヒー』
俺は昔から人の目を避けて生活することが多かったのもあって、割と夜に合わせた生活をしていた。その頃は世間で聞く充実した生活とか、好きな物を自分で選んで食べるとか、そういう概念がなかったのだ(そもそも選べなかったのだがこの話は割愛する)。
彼と生活するようになってから色々な選択肢が増えたし、彼の援助もあって仕事もしている。昼間は彼の仕事の手伝いで、夜にいくらか相談事を聞いて多少アドバイスを記載した書面を送る、いわゆる占い師なのだが、夜のこちらが幾分か面倒なのだ。自分の能力を活用して彼の役に立てると思ったのだが、なかなかどうして人間は欲深くて愚かしい。慣れない頃は色々あったのだが、今は仕事としての線引きや割り切ることを覚えた。そして今日取り掛かる仕事もまた人間の欲の上に成り立っている。彼から昔聞いた「その欲深さに人の愛しさを感じる時も来るわよ」という言葉を理解出来る日はいつ来るだろう。
目を通す資料をまとめると1度離れてコーヒーを入れるためにキッチンへ向かう。好き嫌いというより、仕事をする時には飲むことが習慣になってしまった。昼間に轢いておいた豆をフィルターに入れてゆっくりお湯を注ぎ込む。この時の音やゆっくり漂ってくる香りは好きだ。不思議と落ち着く。
あの変わり者の商人が「新しいフィルターの流通が始まった」と言って持ってきたこのネルフィルターは便利だ。元々一度に大量に作るものだったコーヒーをこうして必要なだけ作れるのは合理的だ。アドバイスを送るといいものを見つけて持ってきてくれる商人がいるのが仕事をする意義の一つを確立してくれる。しかし最近の様子を見るとどうにも芳しくない。少しでも傷つかない結果にたどり着けばいいと考える程度には心配している。近しいものにそう願うのは占い師の性なのかと最近は思うが、そう思える相手が増えた自分に最近少し戸惑っている。……まあ、遠くにいる占い師が気を揉んでも仕方がない。人には避けれず通る道があり、あの商人にその時が迫っているということにほかならない。
「宿命は己で乗り越えるもの、か。俺も偉そうに言ったもんだ」
自分を嘲笑いながら出来上がったコーヒーを1口飲む。カップを持って仕事をするべく部屋に戻ろうと踵を返すと、ドアが開いた。彼もキッチンに用事があったらしい。入ってきた彼は漂う香りに俺の手元のカップを見た。普段は仕事以外で働かないで欲しいと思う能力だが、こんな時くらい働いてくれていてもいいと都合のいいことを考えてしまう。まあ何を考えようとこの状況は変わらない。見つかってしまったのなら小言を聞く覚悟をしなければ。
「だから! 夜にコーヒー飲むのはやめなさいって言ってるでしょ!」
ほらきた。
「俺今から仕事なんだけど」
しれっと言ってみせたが彼は納得するはずもない。先述のとおり、俺は夜に合わせた生活が長かったのもあり、あまり寝つきが良くない。当然朝も苦手だ。彼の仕事を手伝い始めた頃はそれはもう大変だった。生活時間が大きく変わって体調は崩すし、昼の生活は日差しに刺されている感覚が長らく抜けなかった。ようやく少し慣れた頃に占い師としての仕事を少しずつ始め、彼や商人の紹介もあって少しずつ今の形を作っていった。昼の手伝いを半分に減らし、夜に近い時間に占い師として仕事をする。元の生活と新しい生活に折り合いをつけて落ち着いてきた頃、俺はまた寝つきが悪くなった。最初はあらゆる心配をした彼だったが、原因と思われる可能性を商人が持ってきた。
三ヵ月程前だったか商人が贔屓にするようになった薬師ができた。独自に成分研究という方法を確立させていい薬を作れるようになったらしく、今は薬を売りながら論文などを書いて各方面に売り込み中なのだという。この二人が出会う前に「後に頼りになる知識人と出会えるだろうから力になってやるといい」と言ったのは俺で商人は必ず得た利益を情報や物資という形で俺たちに還元する。そのうちの一つが薬師が書いた論文で、そのタイトルが『コーヒーが人体に与える影響』だった。その人物を直接見たことは無かったが、内容から細かく調べられていることはよくわかった。そして彼はその中の一説に目を止める。
『コーヒーには眠気を阻害する効果がある』
まだ明確な証明がなされているとは言いきれない論文とはいえ、実験結果や全体を見ても丁寧な内容に信憑性は高い。そして俺の習慣と照らし合わせ、彼は俺を見て言った。「レグ、夜にコーヒーを飲むの、やめなさい」と。
そう言われても飲まない事が落ち着かないくらい習慣になっていたし、仕事は円滑にしたい。ただ彼が俺の体を気遣っていることは知っていたので一応、辞める努力はした。ダメだったけど。
そもそも出来上がった習慣を変えることがどれ程難しいかは実証済みである。飲まなければすぐに眠くなるというわけではないが、無いと仕事の効率は下がるし、そもそも寝付きの悪さは改善しなかった。開き直った俺は躊躇いなくコーヒーを飲み始め、少しでも早く寝て欲しい彼は度々俺を注意する。
そういえば今日は珍しく声を荒らげて注意してきた。今もコンコンと俺に小言をこぼしている。普段はたしなめるように話すのでこういう話し方は珍しい。何かあったのだろうか?
少し前の時間を見るくらい造作もないのだが、彼とは言葉で通じていたい。俺はどうしようもない口下手だが、まずは尋ねてみた。
「嫌なことでもあったのか?」
俺の最大限の配慮を込めた言葉はこれだけだった。色々考えたが、これしか言葉にならなかった。やっぱり直接見た方が良かっただろうか?
俺が悶々と考えながら黙っていると、彼は難しそうな顔をして黙った。
「大したことじゃないのよ。ごめんなさい、八つ当たりしてしまったわね」
「構わない。俺も心配をかけているとわかっていてやめられないんだし」
俺はキッチンに向き直りポットに火をかける。そして彼を見た。
「何飲む?俺入れるよ」
彼は目を見開き、大きなため息をついた。
「コーヒーをお願い。今日は私も飲むわ」
「わかった」
湯気が立ち始めたポットからマグカップへ少量お湯を入れる。ネルフィルターは洗ったばかりだからそのまま使えるだろう。棚から挽いた豆を出しネルにセットしておく。ポットから勢いよく湯気が出てお湯が沸騰したら、マグカップのお湯を捨てて温まっていることを確認してネルをセットする。ミトンをつけた手でポットを持ち上げ、ゆっくりお湯を注いでいく。ついでに俺のコーヒーも飲みきって入れ直したかったが、彼にこれ以上心配させるのも酷だろう。今回は仕方ないと冷めたコーヒーを飲むことにした。
数分後、出来上がったコーヒーを彼に渡す。「ベランダに行きましょうか」と言った彼の誘いに乗って外に出る。寒くなり始めたこの頃、耐えられないほどではないがコーヒーだけだと心許ない気がした。俺は羽織っていたブランケットを彼の首元にかける。
「私はいいわよ、あなたが着てなさい」
「傷心の奴が遠慮するな」
普段なら強引に返されるのだろうけど、さすがに今日は参っていたらしい。大人しく引き下がって羽織ってくれた。
「仕事があるのに、ごめんなさい」
「いいんだ。別に急ぎでもないから」
俺は冷めたコーヒーを啜る。ちょっと酸っぱくなってきてるけど、まあこのくらいなら飲める。俺に倣ってコーヒーを口に含んだ彼はまたため息をついた。話しづらい内容なんだろうか?こういう時は待つしかない。何となく夜空に目を向けると半月と沢山の星が見えた。今日はとても空が澄んでいるようだ。
「……昴と言い合っちゃって」
「……へぇ?」
ようやく聞こえた言葉に相槌をうつ。しばらくはこのまま聞こうと耳を傾ける。珍しいなぁ、とは声に出ないように喉で止めた。
「最近あの子おかしかったから、ちょっと休んだらって言ったのよ。そしたら突然怒り出して、最初は慰めてたんだけどカッとなって、ね」
「なんか言われたのか?」
そう返すと口篭り、言いづらそうに口を開く。
「……お前の店だって、影じゃ色々言われてんだぞって」
きっと実際はそうではなく、もっとキツい野次を言われたんだろう。彼は商人のことも俺の事も傷つけないためにそう言ったに過ぎない。彼を傷付けたことは許し難いが、少し前に見た商人の未来が思い出され責めるに責められない。何だか俺までモヤモヤしてきた。
「わかってるのよ。私のこともレグのことも、認められない人は沢山いるわ。ただそれを彼に言われたのが悲しくて」
「……」
陰口は俺も聞いたことがある。昔の俺なら迷わず殴りに行っただろうが、彼の言葉があったから今は気にも止めない。彼も頭ではわかっているが、心を砕いた商人に言われる日が来るとは思いもしなかったのだろう。
噂をすれば影、では無いが、前触れなく商人の映像が流れてきた。今より少し先の話だが、哀れに思う他ない。彼の優しさと商人の苦悩、全てを話すわけにはいかない俺が伝えられるとしたら? ……考えてみたが、大した案は浮かばなかった。
「……俺たちはさ、昴をただ見守るしかないと思う」
俺の言葉に彼は何度か瞬きをして柔らかく微笑んだ。
「レグがそう言うならそうしましょう。出来ればいい未来になることを願って」
「……そうだな。願うくらい、許されるもんな」
彼は気が晴れたのかにっこり笑って残ったコーヒーを飲み干した。俺もそれに倣って全て飲み干す。
「……クシュッ」
「冷えてきたわね、中に入りましょう」
「うん……」
家の中に入ると彼が肩に何かを乗せた。振り返ると先程貸したブランケットを羽織っている。
「ありがとう。とても暖かかったわ」
「どういたしまして」
俺はにぃと笑って彼を見上げる。笑みを返した彼は俺のマグカップを取ると台所へ向かう。
「ホットミルクを入れるから、今日は寝るまでお話しましょう。たまには夜更かしも楽しいものね」
彼の申し出に頷く。片付けてから部屋に向かう旨を伝えて一度仕事部屋へ戻った。広げていた書類をまとめて棚に片付けると引き出しから便箋を取り出す。簡潔に手紙を書いて便箋に入れ、蝋を垂らして刻印を押した。窓を見ると十五センチ程のフクロウが俺を待っていた。窓を開けて足に結ばれた文を受け取り、代わりに俺の書いた手紙を持たせる。フクロウは大きく翼を広げて飛び立った。
「俺に出来ることはこれくらいか」
零れ落ちた言葉は誰にも聞かれることなく寒い夜に溶けていく。文を机に置きブランケットを羽織り直して彼の部屋に行くとちょうどできたところだと暖かいミルクと共に迎えてくれた。
「フォレスト」
「ん?なぁに?」
「美味しい。また作ってよ」
彼は嬉しそうに笑った。
「もちろん。レグのコーヒーもまた飲みたいわ」
「うん、また一緒に飲もう」
暖かい時間。ずっとこういう時間ならいいのに、人の世はそう簡単ではないらしい。けれど彼にも、先の話の商人にも、できるだけ多く暖かい時間が訪れるように、この先も願い、できる手助けはしていこう。
そう心に決めた夜だった。
end
タイムラグ・チューニング短編集 黒川 禄 @krokawa6
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