始まりの終わり

第九話 俺らにゃお手上げってこと

 寂しくて淋しくて仕方ないの。


 そう泣きじゃくる彼女に、私は手を伸ばした。

 氷のように冷たい手をとって、それじゃあうちに来ればいいと笑って言ったあの日。

 それから彼女はよく笑うようになった。


 ──五年前。


 

◇◇◇




 悪く言えば居丈高で自信家な、良く言えば凛々しく堂々としている常連さんが、今日は些か気落ちしているように見えた。

 見兼ねた店員が声を掛けると、嬉しいような困ったような笑顔を浮かべて「なんでもない」と気丈に振舞っていた。

 「何でもない、って言う御方に限って何かあるのだけれど」

 彼女と話をした店員が少し怒ったように頬を膨らませる。確かにそれは一理あると私も思うし、今回ばかりは彼女の言葉は信用に値しなかった。

 普段通りに海を眺めて、珈琲とアップルパイを嗜んで、それから普段には無い溜め息をつく。

 もう一度、今度は私から話しかけることにした。しばらくしてから、と彼女の口から漏れだしたのだった。


「あたし、昔からみんなに蔑まれてきたんだ。ほら、生まれた時からこんなガイジンみたいな髪の色だし、何より外見だし。それでも、あたしは大丈夫だった。──あたしね、強いんだよ。ひとりでも平気さ。けれど────聞いてくれるかい?」


 彼女は気丈に振舞った。一滴の雫も零れなかった。


 彼女の名は「世良京子」。

 外見が少年期から成長も老化もしない奇病を患っている。




◇◇◇




「どうもおかしい」

 喫茶店に届いた新聞に目を通して、魚月なつきは首を傾げた。

「おかしいって、何が」

「何がも何だもないだろう。巷で噂の睡眠障害さ。ここら辺りに何やら変なクスリが撒かれたとか、変な宗教団体が入ってきたとか、噂に尾ひれ前ひれがついて泳ぎ回ってるじゃねぇか」

「ああ、それね」

 こぽぽぽと音を立てて珈琲が注がれる。

 開店から既に小一時間経っていたが一向に客が来る気配は無かった。今日はきっとそういう日なんだろう。カウンターで珈琲を片手に新聞を捲る彼にそれを言うと「昨日もそれ言ってたぜ」と軽く流された。

 片眼鏡モノクルの奥の蒼がゆっくり閉じられる。

「ここら辺で一斉に集団感染したって話だよね。年齢性別問わず、眠ったまま目覚めない」

「……そう。でもその情報って聞き込みにきた警察のあんちゃんから聞かねぇと判んなかったじゃん。ほら、田舎町だからか知らねぇけど新聞の一角にも載りやしない。どうもきな臭いんだよな」

 きな臭い、とまるで名探偵のように魚月は目を細める。傍に居る珈久がくも薄ら笑みを浮かべた。

「まぁ、私もひとつ気になることがあると言えばある」

「気になること?」

「彼らの数が増したと思わないかい?」

「そうだねぇ」魚月は小首を傾げて少し考え、そのまま窓の外を見た。

 喫茶「懐古屋」は小さな町の港に隠れるように立っている。海に程近く、窓からは船が出入りする様子や遠くまで広がる海が良く見える。

 今もまた船が一便、港を後にしていた。

「うん、確かに。海のあいつらと何か関係がありそうだ」

 にやりと魚月は笑った。

「所謂――E案件非現実だ」

「……推理小説の読み過ぎじゃないかい、睡眠はしっかりとるべきだよ」

「ふふ、寝ているさ、寝ているとも。少し舌がひりひりするけれどね」

 過激的スパイシーな味がするんだ、と魚月は楽し気に笑った。




◇◇◇




 今日は誰一人来なかった。きっとそういう日なんだろう。

「まぁそうだよな」

 魚月は死んだ魚のような目をしていた。

 閉店時間も近まり店仕舞いをしようとしていた矢先、来店を知らせる鈴の音が店内に響いた。生気を失った二人分の屍が咄嗟に振り返る。

「なんだ、相変わらずの客入りか」

 蜂蜜色の乱れ髪、暗緑色のセーラー服。痩せ型の躯体が泳ぐように入って来てそのままカウンターの椅子を引いた。

 世良京子。懐古屋の常連であり唯一の客人だ。今のところ彼女以外の客人は通算してひとりもいない。

「大変だな。私の策に乗ったこと後悔しているんじゃないか?」

「まさか」

 珈久は肩を竦めた。

「感謝してますよ。お陰で好きなだけ本も読めるし、こうして他人ひとにお茶菓子を振舞うこともできる」

「やれるところまでやるよ」

 魚月も珈久が出した渋茶に口をつけて言った。「ヴェ、苦い」

「お孫さんはまだ目覚めないんですか」

 会話の取っ掛かりに珈久が訊ねた。孫、というのは無論京子の孫だ。珈久にも魚月にも伴侶はいない。

「まだだね」

 京子が答える。「もう四日経つんだが」

「心配だねぇ。今は家に?」

「いや、病院だ。さすがに四日も飲まず食わずじゃ目覚めた時が大変だろう、今は点滴で凌いでいるよ」

 京子は力無く笑った。


 彼女の孫が罹患した病は、通称、眠姫病ねむりひめびょうと言われている。数日から数週間にかけ、連続した睡眠状態に陥る睡眠障害のひとつだ。

 罹患したのは彼女の孫だけではない。

 日を追う事にひとり、ふたりと年齢性別問わず原因不明の深い眠りに陥る者が相次いでいた。

 そのうち町全体に蔓延るのではと懸念されるほどには既に流行の対象になっている。


 しかし少なくない人数が一斉に障害を起こしたというのに、政府までとは言わないものの地方のローカルな新聞でも番組でも取り上げられておらず、情報源が全てうわさ話という曖昧なものだった。

 今回やって来た警官もメディアに対する不信感等などからの単独行動だと言う。


──────この地域だけなのかは知らねぇけどよ、やっぱ何の確信も持てねぇ情報ばっか乱立してるもんだからこちとら治安維持もクソもねぇんだよな。人の口に戸は立てらんねぇし、上の奴らは『E案件だから関わるな』ってそればっか。考えても見ろよ、ひとりの人間が睡眠障害を起こしたならまだしも立て続けにだぜ。お陰様で誰かの呪いだの祟りだのって話まで出てくる始末だ。なぁ、テンシュさんは何か知らねぇか?


 そう言って懐古屋の紅茶を一杯飲んでいった。因みにE案件について尋ねると「俺らにゃお手上げってこと」だと苦い顔が返ってきた。事件性は無いとの判断で、あくまでも素知らぬ顔を貫く気らしい。魚月がE案件を好んで乱用するようになったのはそれからだ。


「やっぱ『海のあいつら』に聞いてみるか」

 京子は吹っ切れたように顔を上げ、うんと背伸びをした。

 「こちらと会話が出来るならって話だけどな」

 ご馳走様、と勘定を丁度支払う。京子はそのまま懐古屋を後にしすぐ傍の船着場に向かった。


「やっぱり『海のあの子たち』と何か関係あるのかなぁ」

 珈久が首を傾げる。

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