第八話 夢の話を2
馴染みの間では周知の事実なのか、お昼一時頃の開催には少なくないひとで賑わっていた。
一際聞こえてくる子どもたちの声を目印に、ぼくも近くのスーパーで買ってきた材料を抱えて広場に向かう。
海を横目に一望できる広場だ。海と公園に挟まれていて、子どもたちの声は広場ではなく公園の方から聞こえていた。
潮の匂いを乗せた風が吹く。
「……よう新! 買い出しご苦労さん」
「こんにちはエイギさん」
広場に着くと、新緑の作業服姿のエイギさんが火ばさみを使ってセッティングをしていた。エイギさんだけじゃなくて漁協のひとたちも一緒に作業をしている。
みんな笑顔で楽しそうだ。
「今日は船に乗ったんだってな? 初めてだったろ、ああいう船は」
「……海が近くて。初めは怖かったんですけど、楽しかったです」
「そうかそうか、そりゃ良かった」
バーベキュー用よりも大きなコンロに炭を並べて、火を熾す。エイギさんが進めている横でぼくも材料の準備を始めると、漁協のおじさんたちがバケツ一杯に詰めた牡蠣を抱えてきた。
簡易テーブルの準備が出来ると、いよいよ始まりだ。
時刻は御昼一時過ぎ。普段より少し遅めの昼ご飯に、ぼくのお腹がぐーぐー
鳴き始める。
「そういえばエイギさん、今日はお仕事休みなんですか?」
「おう、休み、っつーか、今日の分は終わったんだよ。なにせこの日のために生きてるようなもんだからな!」
そう言って腕まくりをしたエイギさんは金網の上に牡蠣を並べていった。
牡蠣焼きが初めてなら気をつけろよ、と言った漁師さんの忠告と、汚れてもいい服で、と言った美代子さんの心遣いにぼくは心底から感謝した。
普通は肉も野菜も食べ頃になると焼き色がついて分かりやすいけれど、殻に籠ったままの牡蠣ってどうするんだろう。そう思っていた矢先に殻が開いて、中から出てきた汁に熱烈な歓迎を受けたのだった。こんなに危険なバーベキューは初めてだ。
「熱っつ!」
慌てふためくぼくを、向かい側のコンロで作業していたエイギさんが笑った。ちょっぴり恥ずかしい。
「ふふ、ひとりでに隙間が開いたら食べ頃だよ。それから手で牡蠣の殻を割るんだ。たまに隙間から沸騰した水分が飛んでくるから火傷に気をつけてね」
バケツを抱えた見知らぬ女性に励ましの肩を叩かれた。
煉瓦色の髪を高く結わえた、作業服姿。彼女の持つバケツの中には牡蠣殻がたくさん詰まっていた。
「その殻ってどうするんですか?」
「子供会行きだよ、川を綺麗にするんだ。天日干しをして雨風に晒して川の生態系を崩さないように海の微生物を落とすんだよ。──きみ、
「あ、はい! 世良新です!」
「ふふ、元気があっていいね。バイト一週間もお疲れ様。今日はよく食べてね。……ああそうだ、おやつの時間になったらお菓子を持ってこよう! 丁度今日は……」
「あ〜がっくんだ!」そのひとが言い終わらないうちに子供たちの声が一斉にぼくらの方に向いた。
走り回る子供たちの背丈は、座っているぼくと同じくらいしかない。けれど秘めたるパワーは如何程のもので、男の子に飛びつかれた「がっくん」さんはよろめいてしまった。
「こーら、みんな食べてる途中でしょう? 走っちゃ駄目よ」
「がっくん」さんがしゃがんで男の子の頭を撫でる。
「ねぇ今日は絵本読まないの?」
「そうだねぇ、みんなが良い子にしてるって私が分かったら上がっても良いよ」
「やった〜! 今日はおねえさんなの?」
「違うよ! ぼくはおにいさんがいい!」
「ねえねえほんとはどっちなの?」
「さあ、どっちだろうね」
どこか嬉しそうに笑った「がっくん」さんの声は、低く耳に残るバリトンが効いた音だった。
「一週間本当にありがとう、新くん。おかげでとても楽しい毎日だったわ」
「いえ、ぼくもとても楽しかったです」
そう答えると、またいつでもいらっしゃいと美代子さんは手土産を持たせてくれた。物に釣られたわけじゃないけれど、きっとまた此処には来るんだろうなと思う。
一週間のアルバイトは今日で終わりだ。長いようであっという間だった気がする。
たくさんのひとと関わって、珈琲が美味しい喫茶店を知って、祖母が本当は怖いだけのひとじゃないことを知った。
けれど、まだこの海について何も知らない。
とりあえずの区切りだと溜息を吐いた瞬間、潮風の匂いが鼻をつついた。同時に男性の美麗な声が部屋に響く。
「美代子さん、外の片付けは終わりました」
煉瓦色の長髪。
「あらやだ、ガクくんも忙しいのに、本当にごめんなさいね」
美代子さんが言った「ガクくん」の単語をぼくも繰り返す。
話した時は木管楽器のような綺麗な声だと思っていたけれど、今はまるでバリトンの弦楽器だ。
アレはぼくの聞き間違いだろうか。
「良いんですよ!」ガクさんが笑う。「今日は定休日なので。それに……やっと新くんとも
「えっ、ぼくですか?」
「うん、そう、きみ。話は聞いていたからどんな子なんだろうって」
「話って、いったい誰の──」
「魚月さんだよ」
胸を通り抜けるソプラノが聞き覚えのある名前を呼んだ。
「そういえば挨拶がまだだったよね。私はガク、『
そろそろだと思っていたんだ、待ってたよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます