第4話



***


「や、やだ、やだやだやだ……」


 わたしよりずっと歳上で、私よりずっとずっと大人だと思っていた女性が、こどもみたいに泣いている。こんな顔できたんだなぁ、なんて。他人事みたいに笑っても、殺し屋さんは全然泣き止んではくれなかった。ぽたぽたと溢れる雫は頬を濡らし、熱をもって火傷してしまいそうなほど。

 わたしのおなかはぐちゃぐちゃに濡れてしまっていて、横になっているせいか背中まで染みて気持ち悪い。もう痛いも熱いも全部通り越してなんにも感じなくなってしまったそこに、殺し屋さんは必死に手を当てている。ぬちゃりと粘着質な音をたてて彼女の手に絡んでいるのはわたしの腹部からあふれでる血潮。

 無駄だってわかってた。自分のことは自分が一番よくわかってる。なんの意味もないよって、言ってあげたかった。でも、殺し屋さんの気持ちは誰よりも知っているつもりだったから、そんなこと言えるはずがなかった。


「なんで、なんで、なんで止まらないの。あんたもあたしを置いていくの?」

「殺し屋さん、わかってるんでしょう? 気づいてるんでしょう? わたしはもう、助からない」


 それでも、言わなきゃいけなかった。伝えたいことを伝えるために、言いたいことを言ってもらうために。


「たくさん、たくさん、数えきれないほど、人を殺してきた殺し屋さんなら。わかるでしょう?」


 幼子を諭すみたいに優しく、柔らかく。そう告げる。


「……約束。約束は、どうするのよ?」


 約束、そっか、そっか。この人は、もう。仕方ないなぁ。心のなかでひとしきり笑って。


「そうですね……どう、しましょう、か」


 とんちんかんなことを返した私を見る彼女の切れ長な瞳は数瞬冷たさを増した。


「冗談、ですよ」

「私が死ぬときあんたを殺す。つまり私が死ぬまではあんたを生かす。そういう約束だったでしょう」


 滴る涙を隠そうともせず、私を見つめる彼女の目には、強い意志が宿っていた。


「まったく、仕方ない、なぁ。おかあさんは」


 一瞬だけ強く見開かれた瞳。


「私のことを親だってんなら、親より先に死のうなんて不孝なことしてんじゃないわよ、この……」




「ばかむすめ」


 次の瞬間には耳に慣れた乾ききった破裂音と同時に、全身を駆ける衝撃。意識を手放す直前、二度目の音。

 視界はもう真っ白に霞んでいて、なにも見えなかったけれど、そこに、そばに、二十七年の人生の中で一番大切なひとの体温を感じて。

 もう、ほんとうに、わがままなひと。夜よりも深い真っ暗闇に落ちた。



<了>

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殺し屋さんと少女ちゃん 白乃響 @kyou_shirono

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