第2話



***


「殺し屋さんは、どうして殺し屋さんなんですか?」


 わたしが殺し屋さんに拾われてからもう三年が経つ。これまでも何度か仕事についていって、そのたびに彼女が他者の命を奪うのを見た。初めてあったときも殺し屋さんは言っていた。『仕事だから』。それもあるだろう。だけど本当にそれだけなのか。育ちのせいで多少性根のねじ曲がっている自覚のあるわたしにさえ、人を殺すのはいけないことだという認識は持っている。それ故の疑問だった。


「どうしてって……そりゃあほら、仕事だからだよ。ずいぶん前にも言った気がするけどね」

「お仕事、ですか?」

「そ、仕事。半分くらいは趣味だけど、報酬だって悪くないからね。自分の好きなことを仕事にしたってやつよ。人間、やりたくないことを仕事になんてしたくないでしょ?」

「それは、そう、ですけど」

「あんたのそれだって仕事よ」


 そういって殺し屋さんは手に持っていたスプーンをわたしに向けた。行儀悪い。


「それ?」

「料理。今日の晩御飯を作ってそれを食べた私に『美味しい』って言葉を、報酬をもらってる。あんただって嫌でやってるわけじゃないでしょ? ほら、一緒よ」

「そう、でしょうか……?」


 たしかに、とは思ったが、どこか釈然としなくてもやもやする。


「そういうもんなのよ」


 と続けて話を終わらせた彼女の表情にわたしは内心のもやもやを無理矢理押し込んで自分を納得させた。

 殺し屋さんはそんなわたしの様子なんて気にしたふうもなく、止めていた手を動かして目の前に置いてあった食べかけのオムライスをひとかけ、口に運んだ。


「あんたの作るもんはなんだって美味しいし、私はそれに満足してるから、それでいいのよ」

「それもそうですね」


 彼女がそう言うのだからそれでいいのだと、わたしは満足して対面の女性に笑みを向けた。



***


 いつからか、奪った命の数をかぞえるようになったのはあの子を拾ってからだった。あの子だけは助けたのに、なんてよくわからない妙な罪悪感が私をそうさせている。うちに連れて帰ってから数日間の痣だらけの顔でぎこちなく微笑んでいたあの子の表情が私の心を蝕んでいた。私にはその気なんてないのに捨てられるんじゃないかと妙に怯えていたあの子のせいだった。

 百二十三。乾いた破裂音と共に数字が増える。すでに事切れた母親にすがりついたまだあの子と同じくらいの頃の少女だった。『あの子は生かしたのに、あたしは殺すのね』なんて、声なき声が聞こえた気がした。

 百二十四。「助けて」と叫んでいたそれよりも小さな弟が姉を追う。

 心がねじ切れそうになる。あの子のせいだ。気を抜けば即座に折れそうになる膝を叱咤して叩き直して、目の前の地獄から目を逸らした。私がいたのはずっと地獄だったのにどうして気づかなかったのだろう。いや、気づいていても目を向けようとしなかった、のほうが正しいのか。直視せざるをえなくなったのもまた、あの子のせいか。

 逸らした視線の先にはあの子がいて、いつもと変わらぬ笑みで私を見ていた。

 でもやはりその頬はどこかひきつっているようにも見えて内心笑いだしそうになる。

 殺したりなんてしないのに。捨てたりなんてしないのに。約束は破ったことないの、私。

 あの子を安心させたい、なんて正気の健常者じみたことを思ってしまう。最初の最初から堕ちていた私はそんな全うな人間になることなんてできないのに。

 でもそれを口にしてあの子に伝えるのはなんだか気恥ずかしくて、わかってよ、なんて思う私の精神はまだこどものままなんだろう。

 それだけの感情を抱えながら微笑みを浮かべるだけにとどめると、あの子はあからさまに肩をびくつかせた。それがなんだかおかしくて、かわいらしくて、私はまた笑ってしまったけれど、これはなんにもおかしなことではないだろう。当然ともいえる。しかたない。


「もう私の仕事についてくるのも何度目かわからないのに聞くのもあれなんだけど、」


***


 仕事道具を片付けた殺し屋さんはやけに言いにくそうに口を開いた。


「なんであんた、私の仕事についてきてるの?」

「なんでって……殺し屋さん初めて会ったときに言ったじゃないですか」


 本当にいまさらになってなんでそんなことを聞くんだろうか。思わず首をかしげてそう返すと彼女は本気でわからないというふうに目を瞬かせた。


「初めて会ったとき?」


 と言っても全く思い出せないようで首をひねって頭を抱えているその姿はさっきまで人を殺していたとは思えない。


「……なんて、言ったんだっけ?」

「『私があんたを殺すまでは絶対離れずついてきなさい』って」

「そんなこと言った?」

「言いましたよ。もー殺し屋さん自分で言ったこと忘れないでくださいよ」


 声をあげて吹き出すと、彼女は憮然とした表情で「言ったかなぁ」なんて何度も呟いている。

 首をひねって考え込んでいた殺し屋さんは不意に顔を上げて思い出したように口を開いた。


「あんたさ、話は変わるけど」

「どうしたんですか?」

「あんた私が人を殺してるのを見てなにも思わないの?」


 その声色はいつもの彼女とは違ってどこか怯えているような印象を受けた。そんな殺し屋さんを見るのは初めてで、トラとかライオンとかそういう類いの生き物だと思っていたら、実は段ボールに収まった子猫だったかのような。そんな雰囲気をまとっている。


「まあ、出会いが出会いでしたから」


 わたしは頬を緩めて返してみたが、彼女は納得できていないみたいだった。その様子はいつかの自分を思い出す。もう、だめ。我慢できなかった。


「ぷっ、あは、あはははは」


 塞き止めきれなかった笑い声は溢れ出してその場を満たす。この凄惨な背景にはあまりにも場違いなものだったけど、わたしに耐えることなんてできなかった。


「笑うなよ。私は真剣なんだ」

「だって殺し屋さん、いつだったか言ったじゃないですか。わたしと一緒だって。わたしが包丁で食材を刻むのと、あなたがナイフで人を刻むのは一緒ですよ。なんにも違わない。あなたがわたしを止めないようにわたしはあなたを止めることはありません。趣味だって言ってたじゃないですか。もちろんやめたいなら止めはしませんが、そうじゃないんでしょう?」


 行為が違っても本質になんら変わりはない。違うように見える同じものでしかない。趣味と実益を兼ねた仕事。それは以前彼女が言ったことだ。


「だからね、殺し屋さん。いいんですよ。わたしはあなたから離れないし離れたくないしずっと一緒にいたいんです。だから、殺したっていいんです」


 だから、あなたが自分をどう思おうとも、わたしはあなたを否定はしません。


「……だからって、なんで泣いてるんですか」


 少しあきれて、それでいてどこか嬉しくて、わたしは笑みをこぼした。わたしを見つめたまま微動だにせず涙だけを流し続ける殺し屋さんの姿はこれもまたいまの背景には場違いきわまりないものではあったけど、それでもわたしの表情は先ほどよりも幾分柔らかいものにはちがいない。

 彼女はきっと探していた。お金じゃない。仕事の評価でもない。自分を認めてくれるひとを。空虚な口先だけのやりとりでは到底満たされることのないような承認欲求を抱えて迷子のこどものようにさまよっていただけだ。自惚れだって思うけど、自惚れたっていいじゃない。彼女にとってのわたしがそんな立ち位置たれたのはわたしの誇りだと。そういうふうに思えたほうがきっと、幸せに決まってる。

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