殺し屋さんと少女ちゃん
白乃響
第1話
「あんた面白いわね、気に入った。せっかくだから殺すのは最後にしてあげる」
ヒットマン、つまりは人の命を奪うのがお仕事の殺し屋さんだと言ったその女性は苛烈な笑みを浮かべながらそう吐き捨てた。頭から血を流して倒れているお父さんとお母さんにすがりついて泣き喚いているお姉ちゃんの首を手元のナイフで切り裂いた殺し屋さんはそのまま自然な仕草でわたしに振り返った。
「ねえ、この家あんたのほかに生きてる人、いる?」
「二階の奥に、赤ちゃんがいるよ」
「クハッ、あんた本当に面白いわ!」
けらけらと笑いながら彼女はリビングを出て二階に上がっていった。
数分くらいで戻ってきた殺し屋さんは先ほどと変わらない笑みで、だがたしかに違うのは彼女の着ているシャツの染みが明らかに大きくなっている。
「ほかにはだれもいないわよね?」
「うん。わたしだけ、だよ」
「オッケー、じゃ、帰るわよ」
そう言うと彼女はナイフを仕舞い、窓枠に引っかけていたコートを手に取り血染みを隠すように着込んだ。
「あ、あの……わたしのこと、殺さないん、ですか……?」
ひとの家の水道で勝手に手を洗って帰り支度を済ませた殺し屋さんにそんなことを訪ねると彼女は呆れたように眉尻を下げた。
「あのねぇ、あんたみたいな面白い生き物、そんなすぐに殺しちゃうわけないじゃない。最後よ最後。私が死ぬときにちゃんと殺してあげるから、それまでは絶対に離れずついてきなさいよ」
それは、十一歳のわたしにでもわかるプロポーズみたいな言葉だったけど、なんでもないことの言い捨てた彼女の様子がなんだか少し悔しくて、うつむいて声を絞り出すことしかできなかった。
「わかり、ました……」
殺し屋さんに手を引かれて連れていかれたのは普通のマンションの一室だった。いや、建物の入り口にも鍵がついていたからたぶん普通よりもいいとことなんだろうけれど、どうせわたしには知る由もないことだった。
「今日からここがあんたの家よ」
小さく頷くと殺し屋さんはひとしきりうーんと唸ってから口を開いた。
「でもあんた本当に怖がらないわね。どうして?」
「どうして、って」
「そう。自分で言うのもなんだけど、あんたの親を殺して、兄弟を殺して、家に火をつけた私を見て、どうして恐怖しないの? どうして憎悪してないの?」
なんて、不思議なことを言う。
「だって、殺し屋さんは、お姉さんは、わたしを殺さないのでしょう? わたしを叩かないでしょう?」
お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんもそうだった。あの家にわたしの居場所なんてなかった。おなかやうで、あしに痣のない日なんてなかった。まだ赤ちゃんだった弟は、ほんの少し残念だったとは思うけど、両親と姉のかわいがりようからしてそう遠くないうちに弟もあちら側になることは明白だったのだ。いつか殺されると思っていた。いつ死んでもおかしくないと思っていた。けれど殺し屋さんがわたしの命を繋いでくれたのだ。彼女の目的が別のものだったとしてもわたしの未来を守ってくれたのだから、怖がる道理もなかった。
「なるほどね、なるほど。なるほど……」
小さく呟かれたそれは微かにわたしの耳にも届いてそのまま消えていった。
こめかみを指先で叩きながらうんうん唸っている彼女を見て、なにをそんなに考えることがあるんだろうかとぼんやり思っていると彼女は唐突に顔を上げた。
「よし、とりあえずお風呂に入りましょう。返り血が乾いてきて気持ち悪いしあんたもくさいし」
楽しそうに開かれた口から出てきたのはさっきまでの話とまったく関係のない言葉だった。というかまだ十一歳のこどもとはいえくさいとはなんだくさいとは。わたしは女の子だぞ。なんて益体もないことを考えはしたが、たしかにいまのわたしはくさい。一週間ほど前に母親に水をかけられて以来、お風呂になんて入っていない。
それに自慢じゃないけどお湯に触れたのなんて覚えている限りこの十一年と少しの人生で数えるほどしかない。当然お風呂の入りかたなんて知らないわたしは殺し屋さんにされるがまま、じゃぶじゃぶとお湯をかけられ、ぶくぶくと全身泡まみれにされ、またじゃぶじゃぶされたあとに、二人で入っても広い湯船に体を沈めた。
「とりあえず、あんたには料理を含めた家事全般をしてもらうわ」
「殺し屋さん、わたし料理できないよ」
「話に聞く育ちを見るにそれはわかってるわよ。最初は全部教えるからなんの問題もないわ」
勝手にいろいろ役割を押し付けられているような気はしたが、救われた以上、わたしに否やはなかった。
「それに、働かざるもの食うべからずってやつよ。なにもしないで養ってもらえる、なんて思わないことね」
「大丈夫だよ、殺し屋さん。わたし、がんばるよ」
そういって、小さくこぶしを握ってみれば、彼女は優しく微笑んだ。ここに来て初めて見る表情だった。
大丈夫、がんばっているうちは捨てられない。と信じて。
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