第1話 その相談者、主人公
・1話 その相談者、主人公
とは言え主人公なんてやつは、そうそう存在するものではない。主役しかいない学芸会が成り立たないように、大多数のサブキャラと数人のメインキャラに囲まれて一人だけ存在している。
最近は主人公が複数存在する作品もあるが、物語を進める都合で何となく中心になってしまうキャラは決まってくる。
そうなるとやはり、事実上の主人公は一人だ。
あぁそうだな、創作物だと主人公ってのはハッキリしている。
だがこれが、現実ならどうなのだろうか。誰が主人公で、誰がサブキャラなのか。
自分の人生の主人公はいつだって自分だ。なんて言葉もある。人生を創作物に例えるならば、視点キャラである自身は間違い無く主人公である。
確かに間違ってはいないと思う。けれど、正しくもない。
人生を創作物に例えるというならば、朝起きてご飯を食べて授業を受けて夜に眠るだけの毎日を繰り返している作品が、面白いわけが無い。そんなものはただの日記だ。
つまらない人物に対して、主人公らしさなど感じない。
要するに、面白い人生を歩んでいなければ主人公ではない。
何に対して面白いと感じるかは人それぞれかもしれないが、少なくとも俺の人生は当てはまらない。
たまに来る相談者と話をするだけの俺は、仮に物語として書き記しても面白くはない。
万が一面白い物語になったのだとしたら、それは俺の面白さではない。
きっと、主人公の物語を隣から見ているような、他人の力にあやかった面白さなのだろう。
「……」
鞄から取り出したライトノベルの表紙を見つめ、俺的主人公論を脳内に垂れ流した。表紙にでかでかと描かれている美少女は、このライトノベルのメインヒロインなのだろう。
もうね、主人公がこの美少女とキャッキャウフフする想像をしただけでも妬ましさが込み上げてくる。俺にもこんな幼なじみがいたら良かったのに。
顔も名前も設定すらも知らない主人公に嫉妬した後、適当にプロローグを流し読みして一話に目を通した。
「……」
ペラリ、とページを
「…………」
ペラペラとページを
「…………はぁ」
数ページほど読み飛ばしたところで、俺は浅く溜め息をついた。
このライトノベルはハズレだな。主人公が転校してくるタイプではないと言うから読んでみたものの、心理描写に納得がいかなかった。
なんで主人公は作中で初登場のキャラの特徴を事細かに述べているんだよ。お前らは教室で会うたびに、毎回そんな感想を思い浮かべているのか?
俺ら読者はキャラと初対面だが、お前らは違うだろう。読者への説明をしたいがために、日常会話が不自然になっている。幼なじみの可愛さを改めて認識するのなら、それだけで毎日が終わってしまうじゃないか。
俺はほとんど読みもしなかったライトノベルをパタリと閉じ、鞄を漁って別のライトノベルを取り出した。
「……」
表紙に数秒目を落とし、ペラリと
「……」
静かな時間が流れている。グラウンドで活動している運動部の発声を聞きながら、一定のリズムでページを
物語へと没入し、真剣に読んでいるという自覚すら意識の外へ追いやる。
「……」
「今日は誰も来ないねー」
黙々と序章まで読み終えたところで、週刊誌を読んでいた
ライトノベルから視線を外し、長机の左隣に座っている少女に返事をする。
「そうだな」
二人きりの部室に、ようやく話し声が響き渡った。
「暇だぁー」
「暇でいいんだよ。相談者が多かったら、それはそれで問題があるだろ」
「そうだけどさー、もしかしたら相談する勇気が無いだけかもしれないじゃんー」
「そこまでの面倒は見きれない。そもそも、ほぼ同い年の俺らに相談しようって思うほうが珍しいだろ」
「確かにそうなんだよねぇー」
無理して仕事を作る必要も無いのだが、部活で何も活動をしないというのも良くはない。こんな時、物語のメインキャラなら何か有益な行動をするだろうか。
「……」
俺は活動内容を再確認し、その補助になる事柄を思い浮かべる。
「なら、宣伝ポスターでも書くか? どれだけ効果が出るかは知らんが、何もしないよりはマシだろ」
「うん、それいいねー」
活動事項ができた
俺は作業行程を大雑把に想像し、必要な物を口にする。
「黒の油性マーカーは部室にあるから、ポスター用の丈夫な紙を貰ってこよう。掲示する時の画ビョウもいるな」
「ねーねー、いろんな色のマーカーも借りてきてー。どうせならカラフルにしたいなー」
「何がどうせならなんだよ。雰囲気ぶち壊しじゃねぇか」
つか借りてきてって、俺一人に行かせる気まんまんかよ。べつにいいけどさ。
「いいじゃーん。こてーかんねんにとらわれないことも
「分かった分かった、借りてくるよ」
「やったー」
こういう時、自身の絶望的なデザインセンスが恨めしい。実際に描くのは
「それじゃあ、
「行ってらっしゃーい」
職員室へ向かおうと一歩を踏み出す。するとそのタイミングで、扉からコンコンコンとノックの音が聞こえてきた。
普段なら「どうぞ」とでも声をかけて入室を促すところだが、せっかく立ち上がったので直接扉を開けに向かった。
「はいどうぞ」
「やっ、こんにちは」
扉を開けると同時に気持ちのいい笑みで挨拶をしてくれたその男に、見覚えは無かった。かっこよさに少しばかりの可愛さを足したような、人に好かれやすそうな顔をしている。
紺のネクタイ……。てことは、同じ二年生か。
見覚えがあろうが無かろうが、学年の認識さえできればそれでいい。
俺は脳内に思い浮かべた台詞をタメ口に変換し、来訪者に向けて声を出す。
「ここに来たってことは相談者ってことでいいんだよな」
「まぁそんなところ。入ってもいいか?」
「あぁ」
断る理由は無いが、表情が明るいというのは不可解だった。ここはお前みたいな陽気キャラが来るところじゃないぞ。
などと思いはしたものの、相談者だと言うのならば仕方がない。ポスターは後回しにしよう。
俺は先導するように部室を歩き、長机の前にセットされている一脚のパイプ椅子に手を添えた。
「ここに座ってくれ」
「分かった」
来訪者の返事を聞き流しながら長机の反対側に座る。隣に座っている
これで会話の準備は整った。さて、まずは恒例の決まり文句からだな。
「命の子供相談部へようこそ。あなたの悩みが解決するとは限りませんが、きっと何らかの答えが見つかるでしょう」
「なぁ、先に訊きたいんだけどさ、なんで部活名に子供って入ってるんだ? 命の相談部じゃダメなのか?」
やっぱり今回も訊かれたか。
いつも訊かれる質問に、俺はいつも通りの言葉を返す。
「君達高校生なんて、世間的にはまだまだ子供です。……って、顧問の
「あの先生にか……。納得できるようなできないような、複雑な気分になるな」
「異議申し立ては
この場では解決しない問題を放り出し、相談開始の前に連絡事項を述べる。
「先に確認しなきゃならんことがある。この相談はあくまで部活動だから、相談者の許す限り記録を残したいんだ。むやみに言いふらしたりなんてしないが、望むなら名前や内容を伏せて記録するがどうする?」
「それはべつに気にしないかな」
「分かった」
個人情報記載の許可を得られたところで、
「じゃーまずはー、クラスと名前を教えてー。きみはこの前の転校生だよねー?」
「あぁ、二人とはほぼ初対面だよな。初めまして、二年C組の
城で松前城を選ぶとは北海道民の鏡だな。
「はいはーい、
「おっけーだよー」
「了解だ」
準備完了の合図を受け、早速相談を始めようと
「なぁ、オレも二人の名前を聞きたいんだけどいい?」
「いいよー。わたしはー、
「俺は
「
「相談は二つあるんだけどいいか?」
「問題無い」
相談はいくら持ちかけられようとも構わない。部活の活動実績が増えるのは良いことだ。
お互いが必要な情報を交換し終えたところで、俺は
「それじゃあこれから相談を開始する。思っていることや悩んでいること、その胸の内を話してくれ」
「おう。まず一つ目なんだけど……、オレは勉強が嫌なんだ。苦手とはちょっと違うし、必要なことだってのも理解してる。記憶力も悪くない……と思う。覚えること自体じゃなくて、覚えるために楽しくもない時間を過ごすことが嫌なんだ」
「勉強以外にも大切なことはたくさんある。それこそ遊んでいたほうが、精神衛生的にも良いだろ? オレはもっと遊んでいたい。……けど、それじゃ駄目だってことも分かってる。勉強しなきゃ将来苦労するもんな。だから、どうすればこの葛藤が消えるのか教えてほしい」
ん……? 言いたいことがずいぶんスッキリと
……しかしまぁ、今はどうでもいい。質問への返答を優先しよう。
「ふむ……、理解した。まず始めに言っておくが、勉強自体に対する結論なんてのは個人個人で違うんだ。それで、なんで勉強しなければならないか。だが、これは自分でも言っていた通り将来のためだ」
「つってもさ、学校の授業で学ぶことなんてほとんど必要無いらしいじゃん。専門校なら別だけど、一般校でいろんな分野を
「否定はしない。正直なところ、俺もまだ働いたことは無いから実体験を元にした話はできない。ただ周りの大人の意見だと、必要な知識は社会で失敗しながら学んでいくらしい。始めから完璧な社会人なんてほとんどいないそうだ」
「だろ。だったら今は遊んでいてもいいじゃんか」
「遊ぶこと自体も否定はしない。無駄なことを考え続けるより、気分転換でもしたほうが精神的に良い」
「だよな。……って、そうは分かってるんだ。けど、遊んでいても、オレはこのままでいいのか……ってふと我に返るんだよ」
「なるほど、そうやって勉強も遊びも中途半端になるのか」
「そういうこと。どっちかったら遊びの時間が長くて、自己嫌悪して勉強に取りかかることのほうが多い。けど、そんな
話している内容は悩ましいものだが、
俺は聞いた情報を整理し、誰にでも当てはまる
「問題解決に必要な点は二つある。まず一つ目は、決断力の無さが原因だ」
できることなら、その人の性格に合わせたより具体的な解決案を提唱したい。
けれど人の性格や性根は複雑で、どうすれば頑張れるのか、何が心を折る原因になるのか、その細かな
「遊ぶなら遊ぶ、勉強するなら勉強すると、きっぱり決めたほうがいい。遊びだってストレスの発散に必要だし、必要無さそうな勉強もしないよりはいい。知識ってのは、想像もしないひょんなところで役に立ったりするもんだ。無駄なことかも……なんて悩む時間が一番無駄だということを理解しろ」
決断力、決行力は、悩む人間と悩まない人間で人生の時間に大幅な差を生む。何も考えずに即決するのは良くないが、必要な情報が揃っているのなら本来は悩む必要すら無いはずなんだ。
「それともう一つの原因。それは、将来の想像が足りていないだけだ」
こちらは何となく思い浮かべる人は多いが、具体的に計画を立てる人はとても少ない。
「遊びはいいぞ。さっきも言ったが、心の余裕のために必要なことだ。だけど、未来の自分ってのは過去の自分からできてるんだ。つまり、今の自分だ」
過去があるから今があり、そこから未来が作られていく。なら後は、どういった未来を作りたいかだ。
「必死に努力して将来を良くしようが、遊び呆けて将来を駄目にしようが、全ての責任は自分で背負うことになる。人生を失敗するリスクを背負う覚悟があるのなら、好きなだけ遊べばいい」
「おぉぉ……。なんてーか、想像してたのより全然言葉が優しくねぇな」
「俺はべつに心理カウンセラーじゃないからな。カウンセリングっぽく、相談内容に的確だと信じている助言をしているだけだ。親身で優しい言葉を求めているなら、本職の人間に相談したほうがいい」
「いやまぁ、本職でも結構ズバズバ言ってくる人はいるんだけどよ」
そして
「悩んでいる時間が一番の無駄、ね……。まぁ、やっぱりそうだよな……」
「……?」
俺はその発言に疑問を抱いた。
やっぱり、だと……? ここまでは自力で考えてたどり着いていたのか。だとすると、何故答えの分かっている質問をしたのだろう。自分の考えとは別の答えを期待されていたのか?
「ありがとう。それじゃあ、もう一つのほうの相談もいいか?」
「あぁ、話してくれ」
「人間って絶対に死ぬだろ。極論もいいところなんだけど、どうせ死ぬなら努力も何もしなくていいんじゃないかと思ってさ」
「……!」
相談者にしては明るかったり、相談内容が整理されていたり、やっぱりという言葉にも全て説明が付く。
俺は自分の想像が正しいのだと確信した。
「ちょっとすまん。話の腰を折って悪いとは思うが、その前に再確認させてくれ」
「いいぜ。なんだ?」
「本当に、会話内容の全てを記録に残していいんだよな」
「あぁ、大丈夫だぜ」
「分かった」
俺は相談を一時中断し、ここまで黙ってボールペンを動かしていた
「そっちのノートに切り替えてくれ。ここから先は、全記モードで頼む」
「おぉー、久しぶりだねー」
「だな。今回の報酬は、スイーツプリンセスの新作パフェで良いか?」
「いいよー」
「な、なんだ、何が起こるんだ……?」
「こっちの話だ。すぐに分かる」
「そうか?」
「中断して悪かったな。再開しよう」
「あ、あぁ」
久しぶりに見た
「……?」
ここから先は相談じゃない、口論だ。
「相談内容は、死ぬから努力をしなくてもいい、だったな」
「はっ!? はぁ?! マジかよ……!」
俺は先ほどの話を再確認した。そしてそれとほぼ同時に、
「何それすげぇ……」
「そうやって驚く人が多いから、相談の妨げになりやすくて普段はしない。けれど、
驚愕に目を開き、口を開いて驚愕を言葉にする。
「さっきまでは要点しか書いてなかったじゃんか。けど今は、会話を全て記入してる……!?」
先ほどまでののんびりとした印象は見る影も無く、ただじっとノートを見つめて次の言葉を待つ。
その姿に心を奪われている
「こういうこともできるって話だが、説明は後だ。気になるのは分かるが、まずは俺と口論しようじゃないか」
「あ、あぁ」
「改めて訊こう。死ぬから努力をしなくてもいい。と、そう思い至った
俺が話の根幹になる部分を問うと、
「人間は必ず死ぬ。この世に生を受けて、それぞれ人生を歩み、一人の例外も無く死を迎える。だったら、生きている間にどんなことをやっても無意味だ。周りの人には何か影響を与えるかもしれないけど、人生ってのは結局自分を中心に
この理論に気が付いた人間は、人生無意味症候群という精神病に
けれど、この人生無意味理論は別だ。人は必ず死ぬのだから自分は生きる意味が無いという、自分の人生のみを支点に置いて理論展開していく厄介な思考だ。その厄介さの最大の特徴は、絶対に論破できないところにある。
久し振りに面白い口論ができると確信し、
「そうだな、基本的にはその意見に同意する」
「ならオレが、人生は無意味だから死にたい、と考えていることも理解してくれるよな?」
「あぁ、もちろんだ。けれど、それじゃあつまらないよな。だから俺は、お前を生かせてやる」
この人生無意味症候群は、端的に言ってしまえば「死ぬ自分にとっては無意味だ」という理屈を貫き通すだけだ。
しかしその単純さ
けれど、そこまで書き記している記事はほとんど無い。何故なら、人生は無意味だと人類全員が気付いてしまっては、人間社会は壊れてしまうからだ。
犯罪や自殺が当たり前になれば、社会の仕組みなど意味を成さない。だから、生命の真理にさえ近付こうとするこの議題が、ネット上には大した情報が載せられていない。
「生き甲斐を持たせてくれるってのか?」
「若干違うが、まぁそんな感じだ」
「生き甲斐に意味なんて無い。やり
そして早速、その理論で俺の発言を否定した。
なあ
とりあえず今は、
俺は脳内で会話のルートを組み立て、自分が優勢になる展開を選び出す。
「なぁ、人生で楽しいと感じたことはあるか?」
「もちろんあるさ。だけど死んじまったら意味が無い」
「つらいことを乗り越えた時に、達成感を抱いたことはあるか?」
「それもある。だけど死んじまったら意味が無い」
「なら、つらさに耐えられなくて逃げ出したことはあるか?」
「あるよ。今でも悔やんでる。だけど、死んじまったら意味が無い」
俺だって、感情に意味が無いことくらいは分かっている。だが口論には順序立てが必要だ。
まずはせいぜい、その最強の理論を好きなだけ使うがいいさ。
「
「そうだな。けど、その子供だっていつかは死ぬんだ。なら、オレにとってもその子供にとっても、人生なんて意味が無い」
「その子供はさらに、友達と関わったりするだろう。成長して大人になり、子孫を残すかもしれない。
「それも同じだ。影響がどこまでも続いていくのだとしても、最終的には皆死んじまうんだ。なら、オレ達全員に意味は残らない」
「人間には残らなくても、世界には残るかもしれない。例えば
「それも意味は無いな。結局、人生ってのは個人のものだ。なら、生きている間にその人自身に何があるか、でしかない。オレが影響を残す意味も、影響を受けて生きる人も、全部全て意味が無い」
……ふむ、人生無意味理論をきちんと理解しているな。馬鹿の一つ覚えに無意味と言い散らかすのではなく、きちんと理由を結びつけて無意味と言い返している。
予定通りの返答に満足し、俺は次の段階へと話を進める。
「俺も人生に意味なんて無いとは思っているが、もしかしたら分からないだけかもしれないじゃないか。
「仮に前世や来世があったんだとしても、その人生に意味は無い。結局無意味に生まれて、無意味に死んでいくだけだ」
「それが永遠と続いていくかもしれないじゃないか」
「無意味な人生を繰り返して、そこに何が生まれるんだ? 永遠と繰り返す無意味に、意味は無い」
……合格だ。人生に関することを全て否定するのは案外難しい。特に、来世の人生までも無意味と割り切ってしまえるのは生半可な思考じゃない。
だが、ここまで完璧に切り返してくれたからこそ、俺は反撃の台詞を言える。
「なら、この質問をさせてもらおう。
「……! そ、それは……死ぬのが怖いからだ」
俺の狙い通り、
生きる理由が無いのなら、死んでしまえばいい。けれど死んでいないのは、死ぬ理由を見つけられていないからだ。
人生が無意味だと思う理由と、死にたいと思う理由はイコールじゃない。
「その怖さってのは、どこからくるものだ?」
俺は質問の系統を変えた。今までは「世界の一部の
「脳とか……、心じゃないのか」
無意味だ、と返せない質問に対し、
俺は予想していた質問にすかさず言葉を返す。
「そうだな。じゃあ、何故そんな感情を抱くのか。それを考えたことはあるか?」
「そりゃ生命体なんだから、死にたいと思うよりも生きたいと思うほうが正しいだろ」
「そうだな。それで、そこまで分かっていて何故死にたいと思うんだ?」
「そうやって本能に従って生き延びたところで、やっぱり無意味だからだ」
「つまり、理性と本能が矛盾しているんだな。理性では無意味を主張していても、本能では生存を求めている。けれどまぁ、理性は本能に勝てないよな」
「そうかもしれない。意味の無いことだけど」
ここから先は、俺が攻勢に移る番だ。
「
「勘違い?」
「あぁ、その人生無意味理論は正しい。けど、完成していない」
「どういうことだ……?」
最強だと信じていた理論を不完全だと否定され、
信念に疑いの気持ちが芽生えたならば、後は言葉選びを間違えずに騙し通すだけだ。
「それだけ無意味と唱えておきながら、今こうやって
「いや、だから……、死ぬのは怖いんだって」
「怖いと思うことに意味は無い。目先の恐怖から逃れて人生を送ろうと、いずれ死ぬ。遅いか早いかの違いでしかない」
「そうだけどさ、死ねないんだからしょうがないじゃんか」
「そうだ。だから無意味とは分かりつつも、生きるしかない」
「けど全てが無意味だと気付いたから、何をやっていても脳裏を過るようになるんだよ」
「じゃあ何故、無意味で死にたいと考えるのか。それは、そう考えるだけの余裕があるからだ」
「余裕?」
俺の発言に興味を持ち、
「そうだ。この人生無意味理論は、程度はよりけりだが誰しもが考える。けれど、理論を考えて生きる意思を失うなんてのは、すでに通常とは言えない。人生無意味症候群は、
宗教などに思想を伸ばせば、また違った教えを説かれるだろう。けれど、
「なぁ
「親友……って言えるほどの友達はいないかな……。家族は大切だと思ってるよ」
「なら家族と一緒にいる時に、人生は無意味だから死にたいとは考えるか?」
「…………いや、ほとんど考えない」
よし。その言葉を引き出せた時点で、この口論は終了したも同然だ。
「なら何故、考えないのだろうか。それは、心が満たされているからだ。幸福度の高い人間が精神疾患になり
リア充、と言ってしまうと、彼氏彼女がいるかどうかという判断基準が広まっているが、本来はただ充実した生活を送れているかどうかということでしかない。
それを確かめた上で言えるのは、リアルが充実している人間は死にたいなんて考えないということだ。
「親友でも、恋人でも、家族でも、最愛の動物でもいい。大切な相手と一緒にいる時は、その幸福な時間に浸っていたいだろ? なら、そういった時間を大切にして生きてみろ」
「……いや、そう思って生きても意味が無い」
「けれど、相手と共有する楽しい時間を手放してまで死にたいと思う人はそうそういない。大雑把に言えば、
「無意味なのにか……?」
「無意味を証明したいなら、今すぐ死ぬんだな」
「……それはできない」
「なら、無意味を背負って生きろ」
「………………分かった、……オレの負けだ」
俺はふぅっと短く息を吐き、無意識に力んでいた全身を解きほぐす。
次いで
「ありがとう、ここで終わりだ」
あらかじめ決めている全記モード終了の合図を受け取った
「ふにゅー……。
先ほどまでの気迫は完全に消失し、普段通りののんびりとした雰囲気に戻った。いや、全記モードで蓄積された疲労度も合わさり、普段以上にだらけている。
集中力を研ぎ澄ませ、聞いた言葉をほぼ同時に書き記す。特殊能力とも言えるそんな技能を発揮した後には、脱力感から腑抜けてしまうのも無理は無い。
目立たないながらも労力を一番費やした彼女に、触れた左手で背中を
「いつも言ってるが、疲れるのは
「それは言わないお約束だよー」
ただ一つの誤字脱字も無く、会話の全てを記入する。そんなことなど常人にはまず不可能だ。
俺みたいな凡人に対して、才気を行使するに値すると認めてくれているのだからありがたい。
その目には、戸惑いや羨望といった様々な感情が入り交じっている。
「正直……、言い負けるとは思ってなかった。人生無意味理論は完璧だと思ってたよ……」
いや、これが実際ほぼ完璧なんだ。俺がどれだけ屁理屈で言い返そうと、最後まで無意味だと返され続けたら反論できない。
ただ今回は、
けれどそれは口にしない。せっかく騙し通せたのだから、わざわざネタバラシをする必要は無い。
ついでに、ニマニマと面白いものを見る目を向けてくる
さて、口論も一段落がついたところで確認しなければならないことがある。
「なぁ
「……!」
言い当てられることを想像していなかったのか、
「……どうして分かったんだ?」
「理由はいくつかある。まず、
挨拶を交わした時点で不思議に思っていたが、そもそも悩みに自分で答えを出していたのだから苦しんですらいない。
「次に、勉強の相談が簡潔過ぎた。相談自体はどうでもよくて、俺がどういった答えを返すのか
「うっ……」
「最後。勉強の相談が終わった後に、人生そのものについて相談を始めただろ。これは致命的なミスだ」
俺は
「生きていくうえでつらいことがあって死にたい。と相談している流れで、どうせ死ぬから生きたくない。と気付く人は稀にいる。けれど、つらい悩みと人生無意味理論をスッパリと割り切って、別問題として突然提示するなんてあり得ない」
そして証明を
「この二つの問題は、両方同時に抱えていられない。死ぬから生きたくないのなら、生きるうえでのつらいことを相談する必要が無い」
「マジか…………、そこまで言われちゃ反論のしようも無い」
力無くゆっくりと顔を動かし、記録用ノート〔渡刈〕に目を向ける。
「試すような真似して悪かったと思ってるけど、相談内容自体も嘘じゃないんだ。特に二つ目の相談……ってか口論したことは、ずっと悩んでた。死ねないから生きるしかない。とは一応割り切ってたけど、そう割り切ることも無意味だ。と、誤魔化すことすらできなかったんだ。だから、そもそも考えないようにしたんだ」
本当にただ誤魔化しただけだと気付かれないことを願うのみだな。
俺と
「ねーぇ渡刈くんー、もーそろそろ部活終了の時間だよー」
「そうだな。今日はここでお開きにしよう」
黒板の上にある時計を確認すると、意外と長い時間話し合っていたのだと気付かされる。窓から差し込む夕日が、部室を仄かに赤く染めていた。
強制解散の物寂しさを埋めるように、
「この後デザートを食べに寄り道するんだが、
「オレも……?」
予期せぬ誘いにほんの一瞬だけ迷った表情を見せたが、すぐに頷いて返事をする。
「付いて行く。まだ話したいこともあるしな」
「よーし、それじゃーれっつらごー」
無気力に
駅前に立ち並ぶ雑居ビルの一つに入り、スイーツプリンセスと店名を掲げる店に入る。俺達同様に部活終わりに立ち寄る人が多いのか、客の多くは学生が占めていた。
「すぅー……、はぁー。すぅぅー……、はぁー……」
意識が旅立ちかけている背中を押してレジまで向かい、三本のドリンクと新作のパフェを一つ注文する。ドリンクだけその場で受け取り、適当に空席を見つけて腰を下ろした。
ガムシロップがたっぷり入っているミルクティーを飲む
「今の時間からパフェなんて食って、晩飯は食えるのか?」
「もちろんだよー。今日は頑張ったからねぇー、身体が糖分を欲しているのさー」
「確かにさっきのは凄かったな……。全記モード? だっけか、あんなん初めて見たよ。つか何より、それになってから別人のように雰囲気が変わったよな」
「集中する時とー、しない時をー、使い分けてるんだよー。疲れるから普段はあまりしたくないんだけどー、あまーいデザートを貰えるなら頑張っちゃうよー」
「報酬が発生するぐらいの特別なことなのか……。切り替えた後のノートには、記録用ノート〔渡刈〕って書いてあったよな。それは何か関係があるのか?」
俺個人の名前が書かれていたことに対する質問に、極めて私的な返答を述べる。
「記録用ノートは、あくまで部活の活動記録として残る程度に書かれていればいい。けれど、たまに俺の琴線に触れる有益な相談を持ちかけられることもある。そういう時は
独自の理論で面白い発想を聞かせてくれる相談者は稀に存在する。それら新しい着眼点を完璧に記録すれば、じっくりと後から読み返すことが可能だ。
つまるところ、思考の柔軟性を高めるための教材にしているに過ぎない。
「
「わーい、いただきまーす」
スプーンを差し入れてクリームを掬い、小さな口を開けて魅惑の一口を頬張る。
その瞬間に、顔が幸せそうに
「あふぇー……、頑張った後のスイーツはさいこーだねぇー」
満足してもらえたようで良かった。ありがとうございます、パティシエさん。
期待を裏切らないデザートに感謝したところで、俺は
「それで、まだ話したいことってなんだ?」
「っと、そうだったな」
全記モードの説明を聞き終えて満足した
「部活なら新入部員も受け付けてるだろ? オレを命の子供相談部に入部させてくれ」
その言葉を聞いた俺と
気持ちの相互理解など一瞬の時間があればいい。
「いいよー」
言葉も交わさず合議が行われ、あっさりと入部を許可した。
あまりにもあっさり認められたため、
「そんな簡単に決めていいのか……?」
「高校の部活一つにー、難しく悩む理由も無いよねー」
今日が初対面とは言え、真っ向から口論をすれば人となりを把握できる。
人生という不透明で不鮮明な事象と真剣に向き合っていることは、俺も
それほどの人間に入部を求められれば、断る理由など何も無い。
とはいえ俺達だけで納得しても仕方がない。
「どうして
「結論から言えば……、オレは将来、心理カウンセラーになりたいんだ」
「おぉ……、また珍しいな」
思いがけない志望に驚嘆の声が漏れた。
男子高校生の将来就きたい職業ランキングでも、心理カウンセラーは万年ランキング圏外だ。業界で登録されているカウンセラーの数も、男性は女性の半分くらいしかいないのだという。
俺は奇異の視線を向けて言葉の続きを促す。
「最初は興味本意で顔を出しただけだったけど、
「入部を断る理由は無いけれど、一つだけ訂正しておく。俺は
パフェを食べながら満面の笑みを浮かべている
「実際、俺と
「いや、言い負けたオレが言うのも変だけど、言葉の切り返しが凄かったじゃんか」
「勝ち負けとか言い出す時点で間違っている。
「うっ……」
とは言え、志自体はそこまで間違ってはいない。相談者に逆に言いくるめられるようでは、とても心理カウンセラーなど務まらない。
少しばかり気落ちしている
「入部希望は素直に嬉しいよ。相談者はそこまで多くはないけれど、俺と
「いや……、オレはほとんど相談に乗った経験が無いんだ。前の高校の友人とか、ネットの募集で寄せられた数件とか、その程度でしかない」
「そうか。俺も似たようなもんだから大丈夫だろ。これからは、話し手としてよろしく頼む」
「本当にいい……のか?」
「あぁ、相談者にも話し手との相性があるからな。話し手の選択肢が増えるのは、相談者にとってもありがたいことだ」
「いや、そうじゃなくて……、オレ程度の人間がいきなり話し手になっていいのかって疑問だ」
そっちの心配かよ……。なに訳の分からない心配をしているのか、俺のほうが分からない。
「
「あ……あぁ、そうだよ。相談経験なんて無いに等しいし、さっき
これは、嫉妬の眼差しだ。
「俺なんかに嫉妬してどうすんだよ……。今回はたまたまこういう結果になっただけだ。けれど少なくとも、俺は
「その理由は何なんだ……?」
「心理カウンセラーが一番分かってなきゃいけないこと。それは、苦悩を知っているということだ。まぁ、一番が何かは人によって意見の別れるところだが、俺は確信を持ってそう思ってる」
「苦悩を知っている……」
「解決に導く豊富な知識も、相談者に対する適切な話術も、そんなものは学べばいくらでも吸収できる。けれど、相談者が思い悩んでどんな心理状態になっているのかってのは、同じく本当に思い悩んだことのある人間にしか分からないんだ。
俺は説明は終わりだとばかりにアイスコーヒーを手に取り、ストローを咥えて飲み干す。
「ホント、敵わねー……」
「ふぃー、ごちそうさまー。すごーく美味しかったよー。
「作ったのはこの店のパティシエだ。俺に言うな」
「じゃあー、ゴチになりまーす。ありがとー」
「言い直す必要も無い。依頼に対する正当な報酬だ」
「ぶぅー。いっつもそう言ってはぐらかそうとするだからー。照れ隠しなのは分かってるんだぞー、このツンデレさんめー」
……べつに、感謝されることになれていないだけだ。それに決して、発言は嘘じゃない。報酬などと理由をつけて
ともあれ、この場で必要な会話は全て終わった。
「そろそろ帰るか」
ポケットからスマートフォンを取り出し、現在時刻を確認して帰宅を提案する。
「そだねー」
「あぁ」
他愛ない会話を交わしながら店を出て、帰路の途中にある踏み切りの前で足を止める。
「それじゃ、俺はこっちだから」
暗くなり始めた線路沿いの道で、二人に顔を向けて別れを告げた。
「おう、そんじゃまた明日な」
「
軽く左手を上げて二人に背を向け、踏切を抜けて閑静な住宅街を一人歩いた。
今日の部活は、久し振りに面白いと感じた。
それはつまり、物語が生まれていたからだろう。
ただ日常を繰り返すだけではない、特別な物語が。
それは間違いなく、
ならばこれは、誰の物語なのだろうか。
俺か。それとも、
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