知られざる苦労

 水槽やゲージが立ち並ぶ、なでしこの部屋。昼寝の邪魔をされた俺は、仕方なくなでしこに付き合わされている。


「ここのね、海がぐるぐるーってなってる所がかわいいの。ホントはお魚いっぱい描きたかったんだけど、そうするとゴテゴテしちゃうから、そこは我慢して人魚姫だけにしたんだー」


 まな板の様な機械を胸の前に掲げ、なでしこは誇らしげに自作の絵を説明する。子供の頃から絵を描くのが好きだった彼女だが、このペンタブ? とか言う機械を手に入れてから、格段に技術が向上したそうだ。


 俺にはさっぱり分からんが、どうやらなでしこの描く絵は同年代の女性に大変受けが良いらしく、彼女はこの歳でティーン向けの小物や装飾品のデザイン契約を複数の企業と交わしている。


 勿論今は金銭的な管理は親任せだが、それでも動物を飼うには十分すぎる金額を稼いでいるようだ。下手したら閑散期の神社の収入より上なんじゃないか……?


「はぁ、なるほどな。しかし父さんに見せてどうにかなるもんか? 悪いが俺には若い子の好みなんざ、さっぱり分からんぞ?」


「んー、でもパパが良いって言ってくれた絵のが、いつも一番売れるんだって。――それでね、人魚姫なんだけど、このサラサラの髪と、ウェーブのかかった髪、どっちが良いと思う?」


「そうだな……やっぱり俺はこっちのサラサラヘアーかな。シアバター使いまくってそうだな、この人魚姫」


「シアバター? あれって髪の毛サラサラになるの?」


「そりゃそうだろ。むしろサラサラにする為だけのもんだろ?」


「おー。わたしてっきり、食べたら美味しいだけのものだと思ってた」


「食えねぇよあんなもん。腹壊すぞ」


「壊さないよー。友達だってみんな、あれ美味しいって言ってるし。コンビニ行ったらついつい買っちゃうんだって」


「ついつい買っちゃうような金額の物でもないだろ……ていうか食ってんのか!? すげぇな最近の女子中学生。そもそもコンビニって……普通ドラックストアだろ」


「あー、最近はドラックストアでも売ってるのかなー」


「いや、ドラックストアがメインだって。……まさかお前も食べてるんじゃないだろうな?」


「もっちろん。もうわたし、今はポテチと言ったらあれしかないもん。わたしの中で、コンソメパンチがとうとう不動の一位からかんらくしたんだよ」


「……それ、しあわせバターじゃねぇか」



 そんな会話の間でも、ゲージの中の生き物たちは思い思いの行動をしている。


 延々と車を回し続ける、倉庫の整理中に赤子の月齢で見つけられたハツカネズミ。


 上から降り注ぐヒーターの温もりに首を伸ばしている、小川の清掃中に拾ったミドリガメ。


 「オー」「ヤッバーイ」と、なでしこの口調を真似し続ける、どこかの家から脱走して神社の手洗舎ちょうずやで水浴びしていた九官鳥。


 お祭りの度に増えていき、当初の鉢から今は120cm水槽にまで規模が拡大した金魚の群れ。


 こいつらの餌代を自分で稼ぐのは結構な事だが、この家に馴染むまでしつけしてやっている俺の身にもなって欲しい。さすがに金魚はしつける必要は無いが、九官鳥なんか、それはもう苦労したものだ。


 そこに、今度はこいつ。なでしこの膝の上で我が物顔で丸くなっている黄色い毛玉。我家にやってくる動物の半分は里親が見つかって貰われていくんだが、こいつもその例に倣ってくれるとありがたい。反りが合わなそうなのもあるが、こいつからは普通の奴じゃ感じる事の出来ない、何やらおぞましい『瘴気しょうき』の様なものを感じる。



「おっけぃ、かんせーい! ありがとパパ」


 ペンタブの電源を落とし、それとは別に黒猫が描かれたA4の印刷用紙の束を綺麗に揃えたなでしこは、その場でごろんと横になった。


「頑張ったよアルトー。アルトも応援してくれてありがとねー」


 と、毛の流れに沿ってわしゃわしゃと撫でる。「ぶにゃん……」と抗議の声を上げるも、なでしこはお構いなしの様だ。


「おう。そんじゃ、父さんはどんど焼き用の燃料買いに行ってくるわ。あとな、四時ごろに八百やおはちさんの所から里芋と大根と人参が届くから、伝票だけ受け取っといてくれ」


「おー、豚汁だねー。楽しみ楽しみ。どんど焼き、二人も呼ぼっかなー」


「おぅ呼べ呼べ。どんどん呼んで賽銭投げさせろ。それと、今晩は合計30kgの野菜の皮剥きやるから手伝えよ。んじゃ、受け取り頼むわ」


「うわ、そんなに? やっばーい。いってらっしゃーい」


 ドアが開き部屋の空気の密度が変わると共に、奴から発せられる『瘴気しょうき』が濃くなった。やはり、俺の仕事がまたひとつ増える羽目になりそうだ――

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