第3話 忍者って授業を受けてもいいんですかね?

 国語の授業中。

 かつかつかつ、と黒板に白いチョークの刻まれる音がよく聞こえる。


 見ていてください、殿。

 わたし、立派に学生をやってみせます!


 むんっと力を入れた古居しのぶは、殿こと徳川誠一や源秀摩や学友と、ごく普通に授業を受けた。

 教科書とノートを開き、黒板に書かれた文字をなぞっていく……。

 このくらい、忍術の修練に比べればなんてことはない。


 と、本人は思っていた。


「えーではごっほごっほ、次の文章を古居しのぶさん」

「……」

「古居さん?」

「……」


 誠一がしのぶに下した命令は、担任の言葉に従うこと、だった。

 よって教壇に立つ老年の国語教諭に従うことはない。

 忍者の世界にも年功序列というものはあるが、しのぶにとって殿こそ第一として考えるべき人なのである。あとは無視だ。気づかれることなく影となり、ただひたすら身を隠すのだ。


 と、そこで殿からの小声が飛んでくる。

 席が割と近くて助かった、と誠一は思った。

 席順は誠一が窓際最奥で、その隣に秀摩がおり、秀摩の隣がしのぶという並び。

 なにかあると秀摩がにまにましてくるが、誠一はイラっとしつつも耐えた。


「しのぶさん! 先生の言うこときいて!」

「わっかりました、殿!」


 しのぶは慣れない授業で疲弊していた。

 そんなところに敬愛する殿からのかけ声である。

 弾んだ大声がうれしそうに出てしまっても仕方がない。

 教室内の生徒がざわつくのも無視できる。


 しのぶは流ちょうな日本語で、羅生門の一節を読んでみせた。



 その声は落ち武者のようであり、死にそうな老婆のようにも変化した。



 あまりの変声っぷりに、おおー……と歓声が湧く。

 姿形はまったく変わらないのに、声だけが別人になったかのようだったのだ。

 周囲が反応するのはむしろ当然と言えた。


「すばらしい、すばらしい読みでした」

「ありがとうございます」


 素直に国語教諭に礼を述べるしのぶ。

 しかしその表情は何事もなかったようであり、能面を思わせる。

 殿以外に褒められてもなんとも思わないのだ。これが真の主従であり自分であるとしのぶは規定している。里ではかっこいいと思われると同時に冷たいとも思われていた。


 そんなしのぶを察してか、誠一は自然と小声でしのぶをねぎらう。


「しのぶさん」

「なんでしょうっ、殿!」

「声、声、ちょっと大きいから小声で!」

「あ、わたしとしたことがなんという失態! かくなる上は腹を裂いて」

「いやいや! いい朗読だったよ! 声を変えられるんだね、すごいや」

「え、そんな……下級の忍術がつい出てしまっただけですし……」


 照れている様子のしのぶさん。

 ちょっぴりかわいく感じるのは殿としてどうなのだろうか。

 徳川誠一としては悪くないと思うのだが……うーむ。

 主従関係は難しい。

 にしても物騒な発言もあったような?


「いちゃついてるとこ悪いんだけどさ」


 秀摩が口を挟んだ。


「その服どうにかならんの?」

「ごく一般の忍服ですがいけませんか?」

「めっちゃムラムラする」

「おいこら源ぉ!」


 人の家来に色目使ってんじゃねえぞ!

 戦か? 戦するか?


「殿」

「な、なんだいしのぶさん?」

「この者、殺っちゃいますか?」


 しのぶさんは本気のようだ。

 どこかからじゃらんと金属音がした。

 服の中にいろいろと仕込んでいるのではないだろうか。

 怖くて聞けないけど。


 秀摩が両手を挙げて降参する。


「冗談だよ冗談。俺の冗談もまともに受け流せないようじゃなあ、しのぶちゃん」

「なにか問題でも?」

「そんなんで一般人やっていけるのかって話さ」

「うっ」


 図星を突かれたのだろう。

 しのぶさんは身をかがめた。


「ぜ、善処します……」

「うん、そうしたほうがいいよ。俺も付き合ってあげられるし」


 秀摩はいちいち誠一のイラ立つところをついてしゃべる傾向がある。

 秀摩にとっては楽しい娯楽のひとつであり、誠一にとっては悩みの種のひとつ。

 悩みが二つ重なって苦労も二倍になってしまった。


 と、そこに国語教諭の声が静かに、しかし確かに届いた。


「きみたち、授業中じゃよ」

「はい」「はい」「はい」


 三人は、同様に頷いて口を閉ざした。

 誠一は首を伸ばしてしのぶの机の上を見る。

『高校国語Ⅰ』の教科書と一緒に『しょうがく4年生こくご』が開かれている。

 彼女の謎にますます混乱していったのだった。

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