5-9
「王女殿下!」
迎賓館に馬車がたどり着くと、ヴィヴィアンが館から飛び出してきた。そしてエディに勢いよく抱きついてくる。
「ヴィヴィアン殿、大丈夫だったか?」
「迎賓館は裏門と倉庫が燃えただけですし、今は警備も増えていますから大丈夫でしたわ」
すでに鎮火はしているが、焦げ臭いにおいはまだ残っていた。館の外にはいつもより多い兵が配置されている。木製の裏門が焼けてしまい、そこから不審者の侵入を許さないために、警備を強化しているのだ。
「大事なくてよかった」
「それより王女殿下はボロボロですわよ」
ヴィヴィアンが手を伸ばして、エディの髪を撫でるように整えた。
走ったり、転んだりしてドレスの裾は土で汚れている。鏡を見なかったのでエディは気づかなかったが、髪もほつれていたのだろう。
「姉上、ご無事でなによりです」
ジェイラスも姿を見せる。
「うん。心配をかけてしまってすまな――?」
途中で言葉を詰まらせたのは、ジェイラスがエディを抱き寄せたからだ。
姉と弟ではあるものの、エディにとって彼の行動は予想外だった。
「小さくて……弱いのに、無茶ばかりで。……本当に……困らせないでください」
ジェイラスのほうが成長しすぎたせいで、相対的に小さく感じているだけだと主張したいエディだ。けれど、意外なことに弟に弱いと言われても、少しも悔しくなかった。
(私、ジェイラス殿下ともちゃんと家族だったんだ……)
それが彼女にとって驚きで、そして素直に嬉しいと思えた。
「軽く食事をとって、入浴もしたほうがよろしいですわ」
そう言って、ヴィヴィアンがエディの手を引いてエントランスホールを進む。
まずは遅めの夕食だ。お腹は空いていたが、精神的負荷が大きかったせいか、エディはあまり食欲を感じていなかった。
それでもあたたかいスープや香ばしいパンを食べると、元気が湧いてきた。
食事のあとは入浴を済ませた。
身を清めてゆったりとした寝間着に着替えると、心も落ち着きを取り戻す。
エディと入れ違いでハロルドも入浴をするという。
一人で私室の暖炉の前でくつろいでいると、大きな箱を抱えたヴィヴィアンがやってきた。
ヴィヴィアンは少し離れた場所にあるテーブルの上に箱を置く。
「それで、王女殿下。最終日は絶対に、わたくしと町へ出かけましょうね! 約束してくださいませ」
明日はもう一度ロードリックから事件について詳しく聞きたいし、王太后とも話をする必要がある。明後日は式典だ。
残るは滞在最終日。エディとしてもこの日だけはアーガラム国を満喫するために死守したかった。
「うん。祭も最終日らしいから、皆で行こう」
「……まあ、ほかの方々が一緒でもいいですけれど! 見てくださいませ王女殿下」
ヴィヴィアンが持ってきた箱を開けて、中身を取り出す。
服や小物、ブーツまでわんさか出てくる。
「ほら、町娘風の衣装と、わたくしとおそろいのブローチですわ。祭の下見も済んでおりますから、案内はおまかせください」
ワンピースにブーツ、防寒着はフード付きのケープだった。おそらく、裕福な商家のお嬢さんくらいの装いだと推測される。
エディの趣味をよくわかっているヴィヴィアンは、似合いそうな服を選んで、わざわざ買っておいてくれたのだ。
「可愛いな……。ありがとう」
エディはワンピースとケープを広げて、服の上からあててみた。
ケープは紺色で、シンプルなデザインだ。落ち着いた色合いだからこそ、首もとにある大きめのリボンやボタンが可愛らしい。
合わせるワンピースにはたっぷりのフリルがあしらわれている。
ケープよりもワンピースのほうが丈が長いので、合わせて着るとフリルが見えて可愛らしい。
「お似合いになりますわ」
これは既婚者の装いではない気がしたエディだが、好みなのは間違いなかった。
ヴィヴィアンは、しばらくこの数日で食べた名物料理について語り、使用人に買った土産を披露してくれた。
(ものすごく、満喫している……!)
ヴィヴィアンに無理を言ってアーガラムまで連れてきたのはエディだ。
だからエディは彼女をかまえなくなってしまったのを反省すべき立場だった。
けれど、誇らしい表情で戦利品を見せてくるヴィヴィアンが、ちょっとだけ妬ましいエディだった。
そうしているうちに、入浴を終えたハロルドが姿を見せる。
「ヴィヴィアン。エディは危ない目に遭って疲れているから、話はまた明日にしなさい」
「……エディ? ふーん……わかりましたわ。おやすみなさい王女殿下。あと、お兄様も」
兄はついでであるとわざわざ強調し、ヴィヴィアンは素直に去っていった。
エディはヴィヴィアンが置いていった服をクローゼットにしまう。
戻ってくるとソファに座ったハロルドが手招きをした。
「足の痛みはどうですか?」
「歩くと少しだけ痛むが、放っておいて大丈夫だと思う」
「ご無理のないように。あとは首ですが……」
「少しだけ鬱血痕があるみたいだな。ニコラに頼めば、なんとかなると思う」
入浴したときに、エディは首の鬱血痕を鏡で確認した。指で強く押さえられた痕は、今は赤く、もしかしたら明日には青くなっているかもしれない。
ただ遠目ではわからない程度だったので、ニコラに頼んで粉でもはたいてもらえば隠せる程度だ。
ハロルドは首もとにあるエディの鬱血痕にそっと触れた。
いたわるような優しい手つきがこそばゆい。
「それでエディ……。成功報酬はいただけるのですか?」
王宮警備についての調査を行う報酬は、エディからの口づけのはずだった。
けれどあのとき、彼女は「これは報酬ではない」と言ってしまった。それから、「報酬は、成功してからもらえるもの」とも言った。
ハロルドは、たった一日で調査書を作り、結果的にアーガラム王宮で起きようとしていた陰謀を阻止した。
ほかの賓客には「賊の侵入未遂が発生したが、あくまで未遂」とだけ伝え、式典の予定には影響が出ない見込みだ。
エディが報酬を与えなくても、アーガラム国王から感謝されて当然の功績と言える。
ハロルドが求めているのは、誰かからの賞賛ではないのだろう。
エディだけに、ここ二日の苦労の対価を支払えと要求している。
「私も! 頑張ったんだ……。お祖母様の淑女レッスンは厳しいし、なぜか事件は起こるし、食い止めようとして足を痛めるし……大変だった」
レッスンはエディの意志で、ハロルドはどちらかといえば反対の立場だった。事件に巻き込まれたのも、エディが進んで王太后の宮に滞在したことが原因だし、警備の穴について調査を命じたのも彼女だ。
アーガラム王宮で起きた事件は、本来ならばエディとは関わりのない出来事になるはずだった。
積極的に巻き込まれに行ってしまったエディは、誰かにいたわってもらう権利を持っていないのかもしれない。それでも――。
「頑張ったから、褒美がほしい……もっとそなたの近くにいたい……」
二人が求めるものは一緒だ。エディがほしいものをもらえば、それはハロルドへの報酬になるはずだった。
「いくらでもどうぞ」
エディは思いっきりハロルドに抱きついた。
彼がまとっているのは柔らかなシャツ一枚だけ。外套を着ていたときとはまったく違い、より近くに彼を感じられる。
「エディ。……そうだ、ついでにお仕置きもしていいですか?」
「なに言って……?」
驚いたエディは、わずかに顔を上げた。
するとハロルドはエディの顎に指を添えて、視線を逸らさせないようにした。無表情だと、少しだけ恐ろしい。
「自身の安全だけを優先する権利も能力も、あなたは持っていたでしょう? ……傍観者でいればいいのに、困った方だ」
「そんなこと言われても。私にとっては身内で……」
確かにエディは、自身の安全だけを優先する方法を知っていた。
危険な箇所をロードリックに知らせるまでで、彼女は十分に義務を果たしていた。だから、危険な場所からできるだけ遠ざかり、護衛をつけてもらう権利があった。
けれどもしアラーナが出ていったことに気がつかず、追いかけなかったら、王太后の身が危うかったのも簡単に想像がつく。
エディが困惑していると、ハロルドの表情が急に和らいだ。
「わかっています。そんなあなたが誇らしくて愛おしいのですから……。ですが、時々言っておかないと、あなたはすぐにご自分をないがしろにするでしょう?」
エディをたしなめるときでさえ、ハロルドは優しい。
そして、エディの無茶を予想して駆けつけてくれた。
「……気をつける。それに自分をないがしろにしていたのは、昔の話だ。……今は、違う。今回はとっさの判断だったから、間違えてしまったが反省している……いいえ、反省しています」
何度繰り返しても、同じ状況になったら、同じ道を選ぶのかもしれない。
できることは、もっと事前に危険を回避することだ。
「本当に?」
「ハロルド殿が居場所をくれたから、自分を大切にしなければと思うようになったんだ。それは本当だから……」
謀反人に首を絞められたとき、絶対に死にたくないと思った。
エディにはまだハロルドと一緒にいて、やりたいことがたくさんあるのだ。
「では、あなたにご褒美とお仕置きを」
反省をすれば、許してくれる――そう思っていたエディはきっと甘かったのだ。
軽く肩が押されて、いつの間にかソファに背中を預けていた。ハロルドはそのままエディに覆い被さり、身を寄せてくる。本気でエディに仕置きをするつもりなのだろう。
(それは……同時に与えられるものなのか!?)
鼓動が壊れそうなほど高鳴っている。ドクン、ドクン、と波打つたび胸のあたりが切なくて痛い。確かにこれは仕置きになるのかもしれない。
エディはこの晩、どれだけ愛されているか、彼女がどれだけ自分の身を大切にしなければならないのかを思い知った。
ハロルドは、言葉と態度の両方で、絶対に忘れないようにしつこくエディに言い聞かせるのだった。
夜遅くから雪が降りはじめた。
エディが窓の外の変化に気づいたのは、目が覚めてからだった。
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