5-7

 エディがにらみつけると、男はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて、本気で首を締めつけてきた。


「ハロルド……殿……っ!」


 こんなところで死ぬわけにはいかない。腕の力が敵わないのなら、今度は足で。鉄格子の隙間を狙い、エディは蹴りを繰り出した。

 けれど背の低いエディの蹴りは、男のすねをかすめるだけに終わる。


「王女殿下を離しなさい!」


 アラーナが男の腕に絡みつき、必死にエディを引き離そうとする。


「邪魔だ!」


「ぐっ……うぅ」


 恋人だったはずの者にまで、男は容赦がなかった。

 鉄格子の向こう側から蹴りを入れられたアラーナは、その場でうずくまる。


「私……まだ、ハロルド殿と……たくさん……」


 息が苦しく、視界が涙でにじんだ。

 エディにはたくさんしたいことがある。ハロルドと一緒でなければだめなのだ。年老いても満足できないくらいずっと一緒にて、たくさんの経験をしたい。


「――ガッ」


 男が低くうめいたのと同時に、急に体が自由になった。

 エディはうまくバランスが取れずに、その場にしゃがみ込む。


「エディ! 大丈夫ですか?」


 ハロルドの声だった。

 男が力なく倒れ、鉄門の先にハロルドの姿が見えた。


「……ハロルド殿?」


 ハロルドは気絶した男を縄で手際よく拘束した。

 それからアラーナに頼んで鉄門の鍵を開けてもらう。

 アラーナは、涙を流しながらも落ち着いていた。男に愛情なんてなく、利用されていただけなのだと気がついて、それを受け入れたのだろうか。


「嫌な予感が当たりました」


 ハロルドはエディのそばまでやってきて膝をついた。


「……ごめん、また……心配を……」


「間に合ってよかった。私の知ってるエディなら、迎賓館の火災が陽動である可能性を考えて行動するはずだと信じていました。ですが――」


 一旦言葉を切ったハロルドは、エディの頬にそっと触れた。

 涙も凍りそうなほど冷たくて、ハロルドの手の感触が心地よい。


「――それに気がついても、自分の安全だけを優先して行動なんてしないだろうとも……わかっていましたから……悪い予想ばかり当たって困ります」


「ハロルド殿……」


 助かったのだと自覚すると、途端にエディの体は震え出す。


「大丈夫ですよ、エディ。……もう大丈夫です」


 震える体をハロルドが包み込む。寒さで震えているわけではないのに、彼のぬくもりを感じると、心が落ち着いていく。


「ハロルド殿……あの男を斬ったのか?」


「背後から不意打ちですから、剣など使わなくても余裕です。あなたの夫は、剣も体術も得意なんですよ。……服を汚したくなかったですし、男から話を聞きたいですから……正直に言えば、大変不満ですが……」


 王宮内で反乱が起こっている最中でも、ハロルドは余裕の笑みを浮かべている。

 けれど、本当はものすごく息が上がっていることにエディは気がついていた。

 焦って、走って、必死にここまでやってきてくれたのだ。


「そうか……、自供してくれるといいのだが」


「そのあたりは、この国の方々に任せましょう。……お怪我は?」


「足をくじいてしまったんだ……それから腕と首も掴まれていたから痛い。骨は折れていないが……とにかく、すごく痛かった。まだ痛む……気がする」


 ハロルドはエディが痛みを訴えた場所を一つずつ確認していく。

 手首の関節を優しく折り曲げたり、顔を近づけて鬱血痕を見てくれた。

 息もできているし、骨も折れていない。足首も転んでひねっただけだ。


「歩けますか?」


「……歩けない」


 先ほどまで走っていたのだ。急に歩けなくなるはずがない。歩けないと言ったらハロルドがどうするのかわかっているから甘えたのだ。


「では、失礼いたします」


 予想どおり、ハロルドがエディを抱き上げた。

 以前――ジェイラスと剣の手合わせをして、性別詐称が明らかになった日も、彼はこんなふうにエディを運んでくれた。

 あのときは、罪を暴かれるのが恐ろしくて、ハロルドからも逃れたいと本気で思っていた。

 今は、たくましい胸にもたれる権利を持っていることが、ただ嬉しい。


 ハロルドと一緒に、ひとまず王太后のところへ戻ろうと歩き出したところで、宮のほうからやってきた兵と出くわす。

 彼らはロードリックの命で動く者たちだった。


 ハロルドは兵に、気絶している侵入者の連行と、アラーナの保護を依頼した。

 アラーナは共犯者でもあるのだが、男の目的を知らされておらず、最終的にはエディを庇い軽傷を負っている。

 エディができるのは、騙されていただけであったという理由で、情状酌量を願い出ることだけだった。


 そのままエディが王太后の宮の窓に近づくと、なにやら周囲が騒がしくなる。


「離しなさい! 待っていても帰ってこないではありませんか。エディ様になにかあったら……!」


 王太后が声を荒げていた。

 しかもなぜか、ロードリックに羽交い締めにされている。


「なりません。お祖母様……。我らが行って、敵に捕まりでもしたらそれこそ火に油を注ぐ行為です! 護衛対象が、危険な場所に乗り込むなど、兵を煩わせるだけ……! エディ王女のところには……痛! 精鋭を……!」


 エディを探しに行くと言ってきかない王太后と、それを必死になだめるロードリックの姿だった。暴れる王太后の踵が、ロードリックのすねを直撃し、苦痛で顔をゆがめている。


「優先すべきはこの老婆の命などではなく、誰よりもエディ様です。……あぁ、行かせるのではなかった!」


 エディは、王太后は絶対に取り乱したりしない人だと思っていた。血縁であるエディの身の安全を慮っている王太后は、お世辞にも淑女とは言いがたい。


「お祖母様! 私はここにおります」


 これが飾らない、本当の王太后なのだろうか。

 目の前にいるのは、ただ孫を心配する祖母だった。


「エディ様……」


 ロードリックがゆっくりと王太后を離す。

 すると王太后はエディのほうへ近づいてきた。


「ご心配をおかけいたしました。私は無事です」


 王太后の唇がかすかに震えている。瞳が潤み、目尻のしわが普段より深くなっていた。

 エディはハロルドに抱かれたままの状態で、王太后のほうへ手を伸ばす。こぼれ落ちそうな涙を拭ってあげようとしたのだ。

 ところが王太后は、くるりと踵を返し、エディに背を向けた。


「……無事ならばいいのです。わたくしは疲れてしまったようですから、お先に失礼させていただくわ。詳しいお話は明日にいたしましょう」


 疲れたというより、泣き顔を見られたくないだけなのは明らかだった。

 エディには、祖母が突然可愛らしい人になったように見えた。

 それはほかの二人も同じだろう。

 とくにいつもの王太后をよく知っているロードリックは、口をぽかんと開けたまま呆然としている。


「本日は迎賓館に戻ろうと思いますが、よろしいでしょうか?」


 きっとヴィヴィアンたちも心配している。なによりも、今夜はエディ自身がハロルドと離れたくなかった。


「ええ、そうなさい」


「おやすみなさい、お祖母様」


「おやすみなさい」


 王太后と別れたエディたちは、王宮の入り口へ向かって歩き出した。

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