5-6

 ロードリックは、調査書に記された場所に兵を向かわせるために動き出す。

 残されたエディは、王太后と合流し、宮に勤めている者たちを集めるつもりだった。万が一に備え、女官たちを保護し、鉄門を開けさせないようにするためだ。


「お祖母様!」


「……なにか、外が騒がしいようですね」


 迎賓館の火災とは関係なしに兵が動き出している。王太后はそんな気配を悟っている様子だが、あくまでも落ち着いている。

 エディがかいつまんで事情を説明すると、王太后は女官たちに指示を出し、一番広いサロンに皆を集めはじめた。

 ロードリックはきっとすぐに、この宮の警備の兵を増やしてくれるはずだ。


「エディ様、火災が陽動とお考えになったのはどなたですか?」


「私です。私が王宮内の警備に口を出すなど、出過ぎたまねであるとは承知しております。それでも、滞在させていただいている以上、無関係ではいられません」


 なにも起こらない可能性のほうがきっと高い。

 そうしたらエディは、妄言で無駄に他国の兵を動かそうとした迷惑な王女となる。咎められるだろうかと不安になりながら、エディはしっかりと自分の考えを口にした。


「お客様に心配をおかけしているこちら側に責任があると存じます。……それに、迎賓館で火災が起こったのならば、当事者でしょう」


 そのとき、窓の外に小さな明かりが見えた。誰かが手に持っているランタンだろうか。

 エディが窓際によると、それはドレスをまとった女性だとわかった。

 侵入者ではない――一瞬安心しかけ、女性の進む方向がおかしいと感じた。


(こんな時間に、庭園の奥へ……?)


 エディの部屋からも望める大きな木、そのさらに奥には塀と鉄門がある。


「嫌な予感がする! お祖母様はこちらにいてください」


 言うやいなや、エディは掃き出しの大きな窓から外へ飛び出した。

 足は痛むし、淑女が走るなとあとで怒られるかもしれないが、今のエディにはどうでもよかった。


 ランタンの明かりはやはり鉄門の方向へ進んでいる。

 女性はやがて歩みをとめて、ポケットの中を探った。


「なにをしているんだ?」


 エディが声をかけると、女性が振り向いた。ランタンのぼんやりとした光は、ここに来てからエディと親しくしていた人の顔を映し出す。アラーナだ。


「エディ王女殿下……?」


 左手にはランタン、右手には鈍く光る金属――なにかの鍵を握りしめていた。


「約束をしているのか?」


「はい……。皆さんには内緒でお願いしますね」


 宮にいる者が一つの部屋に集められているのを知らないのだろうか。

 彼女に悪びれる様子はなかった。声をかけたときにはビクリと身をすくませたが、それがエディだと知るとほっとしていた。

 見つかったのが、秘密を共有しているエディでよかった――そんな様子だ。


「誰と話をしているんだ? アラーナ、早く扉を開けてくれ」


 鉄門の向こう側から男性の声が響く。

 ちらりと見えるのは、警備の兵がまとう隊服だった。


「だめだ! アラーナ」


「エディ王女殿下?」


「王宮のすぐ近くで火災が起きている。非番の者も含め、緊急招集がかかるほどの事態だ……それなのに、そなたの恋人はなぜここにいる? すぐに戻るべきだ」


 外で火災が起こり、一部の兵が迎賓館へ向かったが、それ以外は通常任務が継続されていた。

 火災を心配する声は上がっていたが、騒ぎにはなっていなかった。

 ロードリックが動いたのはつい先ほどだ。

 アラーナも、彼女の恋人も、招集を知らずにここに来てしまっただけ。そうであってほしいとエディは願った。


「え……? 緊急……?」


「そなたたち、今は逢い引きをしている場合ではない。それぞれの持ち場に戻るべきだ」


 男からの返事はない。アラーナがただ困惑しているだけなのはわかる。けれど、警備を担う立場の兵が即座に動かないのは不自然だ。

 エディはゆっくりとアラーナに近づいた。それから、強引に鍵を奪い、鉄門とは反対の方向へ投げ捨てた。


「王女殿下!?」


「チッ!」


 その瞬間、鉄格子の向こうから伸びてきた手が、エディの手首を捕らえた。


「離せ、無礼者!」


 必死に抵抗するが、男の力が強く逃れられない。下手をしたら、そのまま握り潰されて骨が砕ける勢いだ。


「アラーナ! 鍵を拾ってこい。今すぐに」


 男が大声で命じる。目が血走り、エディに対する悪意をむき出しにしている。

 彼の目的が、恋人との逢い引きではないのは明らかだった。


「絶対にだめだ、アラーナ……。この男は王宮の深くに入り込んで、たぶんお祖母様に危害を……うぅっ」


 掴まれている腕に痛みが走った。

 暗殺か、人質か。それはわからなかったが、鉄門さえ開いてしまえば、この場所を守る兵は少ない。腕に覚えがあれば、単身でも王太后のところまでたどり着ける可能性は高かった。

 もちろんそれは、ロードリックの指示で警備が強化される前ならば――きっとこうやってエディが時間を稼いでいるあいだに、兵は到着している。

 この鉄門にも兵が駆けつけてくるはずだ。

 それにハロルドもきっと事態を察知して適切に動いてくれる。だから、エディは皆を信じ、精一杯の時間稼ぎでこの場を乗り切るべきだ。


「お祖母様……? 王女殿下……? この娘は王族か! ハハハッ、こいつは運がいい。王太后でなくても非力な女なら誰でも……」


「あなた、どうして……」


 アラーナは呆然とその場に立ち尽くす。

 なにも知らされず、恋人のためにこの門を開けるつもりだったのだろうか。


「なぁ、アラーナ。鍵を拾ってこちらに渡すんだ。何度も言わせないでくれ」


 今度は静かに、恋人を説得するような口調だった。


「絶対に、渡してはだめだ!」


「腕の一本でも折らないと、黙らないのか?」


 ボソリ、とアラーナに聞き取れない程度の声でエディを脅しにかかる。

 本気だという証明なのか、男が細腕を掴む力を急に強めた。


「そんな……あなたは、なにをするつもり……なの……? 私になにをさせるの……?」


「大丈夫だ、アラーナ。俺は不当な差別をなくすために立ち上がっただけだ! 正義は俺にある。だから、早くこの扉を開けてくれ……この計画が失敗したら、俺たちの結婚も……。そんなふうに終わりたくない! 愛しているんだ……だから君の愛が本気だったと証明してくれ」


 アラーナに対しては、あくまで優しい恋人を演じるつもりなのだろう。

 ルガランド出身の男の正義とは、おそらくアーガラム国からの独立か、それとも征服か。

 謀反を起こし、独立が認められるか現在の王家を廃することができたならば、確かにルガランド側が正義となる。

 途中の手段がどれだけ卑怯でも、勝者が正義となるのが戦というものなのだから。


(罪を犯すことが真実の愛の証明……? そんなわけない!)


 それはエディがハロルドから教わった愛情と真逆だった。


「抵抗する手段を持たない者を人質にするのが正義なものか。聞いてあきれる! アラーナ、絶対に渡すな。……早く誰かを……呼んできて」


「黙れ! この女……」


 鉄格子の向こうからもう一方の手が伸びてきて、エディの喉もとを強く掴んだ。


「……そなた、……私を害したら……さすがに彼女の目も覚める……。目的を達せないどころか……ゴホッ、ただ隣国の王女に危害を……罪人だ……」


 意識が遠のきそうになる。

 エディは自由に動かせる片手だけで首に絡みつく指をほどこうと、必死にもがく。


「アラーナ! 早く鍵を拾え。……この女がどうなってもいいのか!?」


 男も焦り、余裕を失っている。

 もうアラーナに対して取り繕うことすら忘れてしまった。


「だめ……だめだ……アラーナ」


「なんて使えない女なんだ! なんのために今まで優しくしてやったのか――」


 それが男の本音だった。

 首に回された手が邪魔で、エディはアラーナの姿を確認することすらできない。けれど、嗚咽は聞こえた。


「そなた……もう、黙れ……!」


 エディがにらみつけると、男はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて、本気で首を締めつけてきた。

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