5-4

「ロードリック殿は、王宮内で働く者たちの移動が制限されているのをご存じですか?」


「もちろんだ。アーガラム王宮は、敵の侵入に備え堅固な造りをしているのだから」


 ロードリックにとって、この堅固な構造の王宮は、自慢なのだろう。胸を張り、誇らしげだ。


「それでは、王宮勤めの者たちが使う裏の通路の管理がずさんであるというのは、ご存じですか?」


 エディの問いかけに、彼の顔がわずかに曇った。

 憤る様子も、驚く様子もなかった。


「……はっきりと把握しているわけではない。ただ、ちょっとした用事のときもいちいち一定身分より上の者の許可証がいるという状況が現実的でないから、臨機応変な対応があるのは理解している」


 上の者がすべての規則を守らせようとしても、実際には理想どおりにはいかない。

 軽微な違反をすべて罰していたら、どれほど生きにくくて恐ろしい場所になるのだろう。ロードリックの認識では、この件は柔軟な対応の範囲内なのだ。


「これを……」


 エディは、テーブルの上にハロルドからの報告書を置いた。

 ロードリックは紙の束を手に取って、時間をかけて読み進めた。しばらくすると、あからさまに顔色が悪くなっていった。


「……なんだ、これは?」


「夫に調べてもらいました」


 ハロルドの調査書は、王宮警備の抜け穴をまとめたものだ。

 私的な用事での王宮内の移動を手引きしている集団の存在と、それに所属する者の名、そして危険と思われる門の場所が記されている。


「いつから調べていたんだ!?」


「二日前の夜に私が依頼しました。……調査期間は実質一日でしょうか?」


 エディの返答を聞いたロードリックが大きなため息をついた。それから座ったままの状態で頭を抱えている。


「君の夫がとんでもなく優秀な人物だと思えばいいのか、我が国の危機管理がひどいと思えばいいのか……」


 この件に関しては両方だ、とエディは感じていた。

 手引きしている者たちは、アラーナを含めかなりお人好しなのだろう。だから迂闊にも、他国の人間であるハロルドに、たやすく情報を漏らす。

 夫に会いたがっているエディをアラーナが慮った結果の油断なのだが。


「夫はとても働き者です。私が滞在している場所の安全性について調査しただけですから、機密に関わる部分に触れられていても、お見逃しいただけませんか?」


 エディが恐れているのは、王宮警備の弱点という重要な情報を、他国の人間が知ってしまったという事実だ。

 もしロードリックが悪い人間ならば、秘するべき情報を入手したエディたちを、なんらかの罪を着せて拘束することもありえる。

 もちろん彼がそんな人ではないと信じるからこそ、彼女は調査書をそのまま渡したのだ。


「機密というのは、漏らさない責任がこちらにあるのだ。それに、この調査内容を私に見せてくれた君には悪用する気はないのだとわかる。改善されれば、もはや機密ではなくなる。……だから、ただ感謝するのみだ」


「関わっている者たちは、とてもいい人たちだと思うのです。実害が出る前に……穏便に済ませていただけないでしょうか?」


 エディにも迷いがあった。

 慣例化しているものだとしても、あえて暴露すれば、アラーナたちは確実になんらかの罰を受ける。

 けれど、これを放置しておくと、いずれはなんらかの事故に繋がる。実害が出てからのほうが受ける罰は重くなる。そして、王宮で暮らす人――例えば王太后の安全を脅かす慣例を、エディはどうしてもそのままにしておけなかった。


「善処する。今は、それしか言えない」


「ロードリック殿にだけ告げようと思ったのは、舞踏会の日……ルガランドの方々に柔軟な対応をされていたからです。あなたならば、皆に優しい道を選んでくださるのではないか……と」


「君にそんなことを言われる日がくるとはな」


 これはきっと内政干渉にあたる。

 誰かの正当な罰について、無関係のエディが意見するのは間違っている。


「生意気を言って申し訳ございません」


「いや、気にしない。むしろ、頼られているのがなんだか嬉しいんだ。だが……あまり買いかぶらないでくれ。なんせ私は君の正体にまったく気づかなかった愚か者なんだから――ん?」


 そのとき、急に部屋の外が騒がしくなった。

 何人かの足音が響く。この宮の女官はほとんど音を立てずに歩くから、彼女たちではないとすぐにわかる。


「ロードリック殿下! 一大事でございます」


 かなり焦った様子でやってきたのは、王宮警備の兵だった。


「なんだ? エディ王女がいるのだぞ! 大切な客人を驚かせてはならない」


「……ですが、迎賓館で火災が発生したとの報が。こちらからも煙が確認できます」


 その一言だけで、エディの心臓は早鐘を打ちはじめる。

 迎賓館に滞在しているのはティリーン王国の一行だ。

 まもなく日が沈む時間なら、皆が揃っている可能性が高い。


「なんだと? 消火部隊は!?」


「すでに向かっております」


「わかった。……それから、滞在中の賓客の保護を頼む」


 ロードリックの命を受けた兵が、敬礼をしてから立ち去った。


「……ロードリック殿! 状況を把握できる場所に連れていってください!」


 焦ってはだめ。もし館が燃えているとして、心配だからという理由だけで向かっても、事態を悪化させるだけ。エディはそう自分に言い聞かせる。


「ああ、この宮の西側に古い鐘塔がある。そこに上がれば王宮の外まで見渡せるはずだ」


 エディは急いでロードリックが指し示す方向へ走り出す。

 王太后の宮のエントランスホールを出て、西側に進むと、鐘塔はすぐに見えてくる。

 階段はらせん状で角度が急だった。

 まもなく日が沈む時間。明かりのない鐘塔の内部は、極端に視界が悪かった。


「キャッ!」


 案の定、段を踏み外して膝をつく。踵の高い靴にドレス姿では転ぶに決まっていた。


「エディ王女! 大丈夫か?」


「ええ。問題ありません」


 ロードリックが声をかけてくる。

 立ち上がろうとすると足首に鈍い痛みが走る。軽くひねってしまったのだ。

 それでもエディはすぐに立ち上がり、とにかく上に急いだ。左足を前に出すたびにズキリと痛む。それでもエディは止まれなかった。


 狭い階段を上りきると、鐘が吊されている塔の上に出る。

 煙が立ち上っているために、迎賓館の方向はすぐにわかった。


「炎は見えないな……。煙はすごいが……ぼやか?」


「迎賓館は石造りですから、簡単に燃えるはずはありませんよね?」


 屋根と二階の窓がかすかに見えるが、建物が燃えている様子はない。もし燃えているのが館の端か敷地内にある別の建物ならば、逃げる時間は十分にあるはず。


「周囲が暗いからこそ、よく見える。火災は母屋で発生しているわけではないのだろう。風向きも……大丈夫だ」


 日没が近いからこそ、燃えている場所はわかりやすい。そして館の屋根が煙に隠れていないのだから、煙が上がっているのが館の風下であると確認できる。


「だが、そうだ……」


 エディが安心しかけたところで、ロードリックが訝しげな表情を浮かべた。


「どうなさいましたか?」


「この火災が、暖炉や調理場が原因なのか、放火なのかすらまだわからない」


 わからない場合、すべての可能性を考えて行動する必要がある。

 事故ならば、とにかく館にいる者を避難させ、燃え広がらないようにするだけでいい。

 けれどもし、誰かが故意に火をつけたとしたら、その目的はなんだろうか。


「火事の混乱に乗じて、誰かを捕らえる……人質にする……? 外国からの賓客に危害を加えて、友好関係を壊す……?」


 エディはぼそりと可能性を口にした。


「下りよう。……消火だけではなく、賓客の保護も優先しなければ。もちろん、火災が発生しているのだからすでにそのように動いているが。心配するな、私が直接指揮を執るから、君は安全な場所にいてくれ」


 国賓が滞在している館で火事が起こったのだ。当然、ハロルドたちは安全な場所に避難する。

 けれど、その安全な場所というのは、火災という脅威から逃れる場所であり、混乱に乗じ国賓に害をなそうとする者の存在まで考慮していなかった。

 だから、ロードリックは自らの指揮でさらなる兵を派遣するという。


「……安全な、場所?」


 国賓を全力で守るというロードリックの判断はきっと正しい。けれどエディには、なにかが引っかかった。


(安全な場所とは……どこだろうか?)


 もちろん、都で一番安全な場所は、このアーガラム王宮である。

 高い塀に囲まれ、警備の兵もいる。


「……ロードリック殿。迎賓館で起こっている火災が……すべてではない可能性を考えるべきだと私は思う」


「エディ王女? なにを言っているんだ」


「安全な場所とはどこだ? ここは安全ではない……!」


 丁寧な言葉遣いをする余裕を失っていた。

 けれどエディは冷静だった。迎賓館への対応のために、多くの兵を向かわせたら王宮の警備はどうなるのか。

 王宮内が外部からの侵入を拒む造りになっているから、警備が手薄になっても問題ないのだろうか。エディはそんなふうに思えなかった。


「あちらが陽動とは考えられないか? 迎賓館ばかりに気を取られ、王宮内にも多くの重要人物がいることを忘れてはいけない。それに……お祖母様は身を守るすべを持たない。違うか? ロードリック殿」


「エディ王女……君は……」


「まずは王宮内の貴人を保護し、ハロルド殿の報告書にある危険箇所を確認するんだ。私はお祖母様のところへ向かうから!」


 王太后の宮にも、一歩間違えば敵の侵入を許しかねない場所がある。


「わかった。君の言うとおりだ。私はアーガラム国の王太子として、この王宮を守ることを優先させてもらう。それから……」


 大きな手が伸びてきて、エディの頭をポンポンと叩いた。


「か弱い女性扱いしてすまなかった。……君は、昔とまったく変わっていない。我がライバルにふさわしい立派な王子のままだ!」


 ロードリックは白い歯を見せてニカッ、と笑う。それからマントを翻し、颯爽と階段を下りはじめた。


(この方は……なにを言っているのだろう……?)


 か弱い女性から外されても、ライバルに認定されても、まったく嬉しくない。エディはモヤモヤとした感情を抱えながら、ロードリックに続き、王太后のところへ急いだ。

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