5-3

 式典まであと二日。

 この日は、刺繍や芸術への理解を深めるレッスンに加え、式典での振る舞いの再確認をするため、いつも以上に大変な一日だった。

 夕方になり私室で休憩をしていると、ロードリックが訪ねてきたという知らせを受けた。

 エディは、先ほどまでレッスンをしていたサロンを使わせてもらい、彼を出迎える。


「五年ぶりだな! エディ王子。聞けば、迎賓館で剣の鍛錬をしてお祖母様に怒られたというではないか」


 バーンと扉が開かれた瞬間、ロードリックがマントを翻しながら白い歯を見せた。


「ごきげんよう、ロードリック殿。急な呼び出しにもかかわらず、応じてくださり感謝申し上げます」


「……王女? ……なぜ、君が……? あぁ、姉君の付き添いか。それにしても、今日もそなたは可愛らしい……な。アーガラムの地でも、すこやかに過ごせているだろうか?」


 急に礼儀正しい理想の王太子に変貌する。

 本当に、ロードリックという人物は、エディがからまなければ素晴らしい人なのだろう。


「ええ、皆様方のお気遣いには感謝しております」


「ところで、私は君の姉君に呼ばれたのだが?」


 ロードリックの瞳が爛々と輝く。わかりやすく〝闘いたい〟と顔に書いてあるようだ。

 エディがなぜ王太后の宮で過ごしているのか、少しくらいは聞いていそうなものなのに、まだ手合わせをするつもりなのだろうか。

 勝負を望んだ者も、それに応じた者も、王太后に叱られるのが目に見えている。


「ロードリック殿。……私に姉はおりません」


「は!? 君はティリーン王国の王女だろう?」


「……黙っていて申し訳ございません。……ですが、お久しぶりです、と最初に申し上げたはずです。あなたが決闘を望んでいる相手は、この私なんです」


「……いや、私はエディ王子――エディ王女と手合わせをしたかったのであって……」


 そこまで告げても彼はまだ、エディがティリーン国王の第一子である可能性を察するに至らない。


「私がティリーン王国の王女にして、メイスフィールド侯爵の妻・エディです!」


 誤解のないよう、はっきりと。エディはロードリックから視線を逸らさずに堂々と名乗った。


「……エディ、だと?」


「五年前と容姿はそんなに変わっていないはずです。それに舞踏会ではハロルド殿――メイスフィールド侯爵と一緒にいたではありませんか? 異母妹は招待されておりません」


 ロードリックは目を見開き、エディをまじまじと見つめてくる。

 もし本当にエディがティリーン王国の二番目の王女ならば、エスコート役は姉の夫ではなく、兄のジェイラスがふさわしい。

 冷静になってくれさえすれば、ロードリックにもわかるはずだ。


「嘘だろう? そなたは……どこからどうみても女性にしか見えない」


「女性ですから、当然です!」


 いったい彼の妄想の中で、エディはどんな外見になっているのだろうか。さすがに憤りを覚えるエディだ。


「……エディ王女……なのか?」


「ええ。あなたが私と剣での勝負をお望みだとうかがったので、名乗るのをためらっておりました。……まだ、私との勝負をお望みですか?」


「君と、剣の勝負を……?」


「あの頃、私は十一歳、ロードリック殿は十二歳だったはず。性別による体格の差が出にくい時期でした。ですが、今ではこのとおり……きっとあなたには敵いません」


 エディは自身の頼りない腕をロードリックに見せつけた。服の上からでも、ロードリックとは比べるまでもない差があると伝わるだろう。

 五年前からロードリックのほうが背は高かったが、あの頃は今ほど明らかな体格差はなかったはずだ。

 きっと彼は、自分が成長したぶんだけ、エディも成長したと思い込んでしまったのだ。

 実際には、その直後にエディの背は伸びなくなっていたというのに。


「……君とは闘えない」


「ご理解いただき、嬉しく思います。……今でも剣に触れるのは好きなんです。ですが、夫にも、弟にも勝てません」


 強くなりたい、ロードリックにもジェイラスにも負けない、自分が未来の国王にふさわしい――そんなふうに考えていた五年前を思い出すと、エディの胸はチクリと痛む。

 まだ誰にも愛されていないことを認められない子供だった。きっと純粋で、愚かで、輝いていたのだろう。

 今が幸せなら、過去を思い出しても負の感情など湧いてこなければいいのに。

 実際にはその反対だった。誰かに愛されている自覚があるからこそ、愛されたくて仕方がなかった昔の自分を思い出すのが辛かった。


 ロードリックはそんなエディを見つめたまましばらく無言だった。

 過去の記憶と、目の前にいるエディの共通点を探しているのだろうか。


「……この感覚、ものすごい既視感がある……。そうだ、あれは久々にばあやに会いに行ったとき、婆やが縮んで弱々しく見えたのと同じ……? あの感覚だ!」


「婆や……」


 婆やとは、幼少期に彼の世話役だった女性のことだろう。

 幼い頃、自分を包み込んで慈しんでくれた女性が、成長してからやけに小さく見えた――ロードリックの言いたいことは理解できるエディだが、なんとなく年を重ねた婦人と比較されておもしろくない。


(この方は、……なんだろう? 女性に対する配慮ができないタイプなのだろうな)


 悪気はないとわかるが、別のたとえはできないものかとエディはつい注文をつけたくなった。

 けれど彼のおかげで、昔の自分を哀れむ気持ちがどこかに飛んでいく。


「君が……エディ王女。そうか、すまない! がさつだとか、男みたいな王女だとか……。それから、お祖母様に捕まってざまぁみろなどと心の中で笑ってしまった、とか――どれだけ謝罪しても謝罪したりない」


 あえて本音を口にして、エディをもう一度傷つける。

 もしこの場にヴィヴィアンがいたら、お説教がはじまりそうだった。


「……誰でもいい、鈍器があったら私を殴ってくれ……!」


(こっちだって、鈍器があったら渡したいぞ!)


 だから、自分で殴ればいい――エディは本気でそう考えて、ちょうどよさそうなものがどこかにないか探す。そして、マントルピースの上に重そうな像が置かれているのを発見した。

 手を伸ばしかけ、けれど寸前のところで思いとどまる。

 二国間の友好関係を壊さないため、彼女は親善目的でやってきた隣国の王女であり続ける必要があるからだ。


 それに今日は、性別を明かすためだけにロードリックに来てもらったのではない。

 万が一、ロードリックが馬鹿正直に鈍器を使ったら、大切な話ができなくなってしまう。


「あの、本日は大事なお話がしたくて、お越しいただいたのです。黙っていた私も悪いので……痛み分けといたしませんか?」


「……そうだな、そうしよう。それで話というのは?」


 そこでようやく二人ともソファに腰を下ろした。

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