5-1 高い塀と鉄門

 高い塀と鉄門。朝の散策中、エディは昨晩ハロルドが忍び込んできた場所を眺めていた。

 鉄門は牢屋のような頑丈な格子。錠前もついていて、誰かの訪れを拒んでいる。庭師などが出入りをするための門なのだろう。

 晴れているのに、外気は吸い込むと痛いくらいに冷えている。


「霜が降りている……。朝しか見られない光景なんだろうな」


 庭園に植えられた草木の葉が白くなっていた。土を踏みしめるとサクサクと小気味よい音を立てる。

 こんな寒い朝にわざわざ外に出たがるなんて、アーガラム国に住む者なら首を傾げる行動らしい。エディには、白く硬くなった葉の小さな氷の結晶に触れることすら楽しく感じられる。

 ただし、昨晩はハロルドと密会し、その後も眠れなかったため、やや寝不足である。

 庭園の草花を見つめながら、思わずあくびが出てしまい、エディは慌てて口もとを手で押さえた。


「……フフッ、昨晩は侯爵閣下とお会いになったのですか?」


 散策に付き添ってくれているのは、昨晩エディに力を貸してくれたアラーナだった。


「うん。そなたのおかげだ、アラーナ」


「お役に立ててなによりでございます」


 王太后の宮の女官は、無駄がなく、皆有能だ。その反面、なんとなく冷たい印象の女性が多い。

 そんな中、このアラーナという女官はほがらかで、笑顔が可愛らしい人だった。

 比較的年が近いことや、ハロルドとの密会を手引きしてくれたことも影響し、エディは彼女とすぐに打ち解けられた。


「そなたも、会いたい人に会えないのか?」


「はい」


 アラーナもエディに気を許している様子だ。歩きながら「会いたい人」について教えてくれる。

 それによれば、彼女は以前、王宮内の比較的人の出入りが自由な区画を担当する女官だったという。そこで出会った青年と恋に落ちた。

 相手はルガランド出身で、王宮の警備の任にあたっている。


「それではアラーナの恋人は、ルガランドの者なのか……」


「ええ、そうなのです。王太后様にお仕えできるのは大変な栄誉ではございますが、この宮にはルガランド出身者は入れないので……」


 アーガラム国には、出身地による差別があるというのはすでにエディも知っている。

 ルガランド出身者は王宮内でも見かけるが、与えられる役割は限られていた。とくに、王族の私邸部分にあたる建物に入ることは許されない。

 ルガランドがアーガラム国の一地方であるというのを印象づけるために、文官も兵も、一定数取り立てているのに、平等とはほど遠い。

 中途半端な扱われ方が、ルガランド出身の者の反発を招いているという。


「だんだんと、そんな状況も変わるといいな」


「そうなってほしいです、本当に……」


 かつては別の国であり、戦をしていたという事実はなくならないのだから、問題は根深いのだろう。

 けれど、アラーナのように偏見を持たない者もいる。

 ロードリックも、ルガランド出身者の扱いについて配慮しているようだから、希望はある。


「だけど、あまり危険なことはしないでくれ。そなたはお人好しすぎるぞ」


 アラーナは優しい。エディの言葉使いが変でも、それをいちいち王太后に報告せずにいてくれる。エディがハロルドに会いたがっていることを察して、手を尽くしてくれた。

 純粋で、思いやりのある女性だ。


「え……?」


「人を信じすぎてはだめだ。例えばそうだな……私の夫は……、結構悪い人だから」


 ハロルドに申し訳ないと思いながら、エディは彼を悪い人間の代表にしてみた。

 本当はエディ自身が、アラーナにとって信じてはいけない人物の筆頭かもしれない。

 エディには王族として成すべきことが多い。アラーナがどんなにいい人でも、優先してあげられないのだ。


「まぁ! 王女殿下の旦那様ですのに?」


「見た目に騙されてはいけない。本当に危険な人なんだ」


 そんな冗談めかしたふんわりとした忠告しか、彼女にかけられる言葉が見つからない。


「そろそろ戻ろう。……午前中はまたレッスン、午後はお祖母様のご友人とお茶会だったな」


 エディがこの国に滞在するのは、わずかな期間だ。

 もしかしたら、再訪問する機会は一生訪れないかもしれない。それでも、王太后はアーガラム国の貴族との交流の場に、エディを同席させるつもりでいる。

 王太后の意図は、エディの人脈作りではないのだろう。

 淑女レッスンの一環であるのだと、エディもなんとなく察していた。


 そして午後のお茶の時間。

 薪のくべられたあたたかい部屋に、王太后と親しい貴婦人たちが集まった。

 話題は、エディが一昨日からたたき込まれている芸術に関するもの、それから最近の流行についてなど。彼女がこれまで無駄だと思って力を入れてこなかった分野だ。


(でも、……それだけでは終わっていない……)


 婦人たちの話題についていけず、ほぼ相づちを打つだけがエディの仕事になっていた。

 ところが気がつくと、急に話が別の方向へ進み出すタイミングがある。

 絵画の話をしていたのに、その絵に使われているめずらしい顔料から、産地である外国との交易の話題に。歌劇の話をしていたのに、その歌劇の主人公が好きな花――それを作っている農園の話に。


(淑女らしい教養で……皆の歓心を買っているのか……。これがお祖母様の目的……?)


 これは淑女同士の駆け引きだった。

 ある人が、自分の家が潤うために別の貴族と親しくなりたいと望んでいる。絵画に使われている顔料の話をしていたのに、最終的には「あの地方を治めている子爵家の方とお近づきになりたいですわ」と王太后に仲介役を依頼しているのだ。

 もちろん、王太后もただでは引き受けない。

 芸術や教養の話題を続けながら、目的は完全に政や領地運営についての駆け引きだった。


(これが私に足りない淑女としての教養……なんだ)


 エディが完全に放棄している侯爵夫人としての役割――その一つが目の前で行われているのだと否応なしに理解させられた。


(お祖母様……)


 この茶会で、エディは王太后がどれだけ強い女性なのかを、十分に知ることができた。

 そしてエディになにをわかってほしいと願っているのかも、少しは理解した。



 夕方になると、ハロルドから手紙が届いた。封筒に収められた厚めの手紙は、アーガラム王宮の警備についての報告書だった。


「仕事が早すぎないか……?」


 本当に今朝から動きはじめたのだろうか。

 もしかしたら、アラーナと接触した時点でハロルドも危険性を感じ、昨晩の忍び込みと同時に調査をはじめていたのかもしれない。

 エディはじっくり報告書に目を通し、やはりこの件はロードリックに報告すべきだと確信した。

 ハロルドもそのつもりでこの書類をエディに送ってきたのだろう。

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