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「この王宮は、高い塀で囲まれています。王宮内ですら別の建物に移動しようとすると限られた方法でしかたどり着けないのはご存じですか?」


「限られた方法? ……私たちが通る通路か、あとは勤めている者が使う裏の通路か……」


 滞在二日目。アーガラム国王や王太后への謁見ではじめてこの場所を訪れたとき、エディはティリーン王宮との違いに驚いた。

 そして構造や歴史についてはハロルドが詳しく教えてくれた。


 外側の塀だけではなく、内側の塀も、万が一敵に攻め込まれた場合、簡単に制圧されないための役割を担う。

 正式な通路の各所に兵が立っていて、許可のない者は別の区画には行けない仕組みだ。

 王宮勤めの女官や下働きの者が、どのように移動しているのかは知らないエディだが、想像はできる。

 一般的に王侯貴族の住まう建物には、勤めている者専用の通路があり、屋敷の持ち主に慌ただしく働いている姿を見せない配慮をしている。

 アーガラム王宮にも、貴人用の表の通路のほかに裏の通路があるはずだ。


「裏の通路も所々に門があって、鍵を持っている者は限られます。その区画に関係のない者は出入りできない仕組みになっているのです」


 もちろん、正当な用事がある場合は、表の道を使い、警備の兵に許可証などを提示すれば移動が可能だという。


「面倒だが、警備上都合がいいのだろうな」


「身分の高い方はさほど困らないのでしょう。ですが比較的王宮内での地位が低い者は、私用での移動は一切できないので不便です」


「仕方がないのではないか?」


「ですから、例えば配属の移動によって引き裂かれた恋人たちが、連絡を取れるように……王宮勤めの者たちはこっそり協力をしているようですね」


 それが文通や逢い引きの手伝いをしている集団であり、アラーナもその一員というわけだ。

 彼女が話していた「私も、大好きな方になかなか会えないので……」という言葉の意味が、ようやくわかる。


「……仕組みはわかるが、大丈夫なのだろうか?」


 王太后の宮は、警備の兵が少ない。兵を減らせる理由は、おそらく王宮の構造が特殊なせいだ。


「もう慣例のようなもので、上の者も目こぼしをしている状態だそうですよ」


「そうか……。それでハロルド殿はどこから?」


「あちらの塀に、鉄門があるんです。……女官殿に少しのあいだだけ開けていただきました」


 視線を移すと、暗闇の中ぼんやりと塀の一部がくぼんでいる場所があるのが見えた。

 ハロルドはアラーナの協力を得て、逢い引きの手伝いをしている者から服を借り、奥まった場所にある鉄門から侵入したというのが真相だった。


 きっとアラーナは、エディがハロルドに会いたがっているのを察してくれたのだ。

 彼女は優しくて、思いやりのある人だ。だが――。


「ハロルド殿、そなたとても優秀なのだろう? この件、詳しく調べてくれないか? 危機管理上、問題があると思う」


「他国の事情など……」


「でも私が滞在しているのだし、気になる」


 王宮の中に入れるというだけで、ある程度の身分の保証がある。

 だから、文通や逢い引きのために鍵を開けるというのは大きな問題にはならないのかもしれない。

 それでも、エディは疑問に思う。いくらハロルドの身分が確かでも、他国の人間が簡単に王族の住まう区画に入り込めるというのは、かなり問題ではないだろうか。


「調べて、その者たちを罰しますか?」


「まさか。私にはそんな権利はない。ロードリック殿に報告すれば、上手く解決してくれるのではないかと思う」


 エディには協力してくれたアラーナたちに恩がある。だから、彼女たちの罪を暴くのには抵抗があった。

 けれど、王宮勤めの者たちのあいだでは慣例だったとしても、なにか大きな問題が起これば、彼女たちは重罪に問われるはずだ。

 見過ごすことが優しさだとは思いたくなかった。

 それに、王宮警備の穴を放置できない。ここにはエディの祖母が住んでいるのだから。

 ルガランド貴族を上手くいさめていたロードリックならば、事情も聞かずに誰かを罰することはないと信じたかった。


「エディ様はやけにあの方を高く評価されますよね?」


「……私が関わらなければ、いい人なんだと思う」


 なぜかエディのことになると、ロードリックは冷静さを失う。

 そうでなければ評判通りの人物のはずだった。


「他国の人間である私が、そこまで配慮して行動する必要などやはりないのですが。……エディ様がどうしてもとおっしゃるのであれば、対価をください」


「対価? 私はなにも持っていないのだが?」


 一応、王族だったためそれなりの資産は有しているのだが、ハロルドがそんなものをほしがるわけがないとエディは知っていた。


「もう一度口づけを……。あなたのほうから」


 頬が火照り、体温が急上昇した気がした。

 ハロルドの要求は、確かにエディが今すぐに払えるものだ。けれど、それは一体、誰に対する報酬なのだろうか。

 そもそもエディとハロルドは、夫婦なのだから。


「報酬は、成功してからもらえるものだぞ! それに、私はいつだって……」


「いつだって?」


「これは別に報酬ではない。……私がしたいだけ……。私ができることならば、いつだって……なんでも叶えるつもりでいる。好きな人とするのは……べつに……いつでも……」


「エディ様? 口づけは嫌だとおっしゃっていませんでしたか?」


 彼はエディが素直に自分の気持ちを言えなかった頃の言葉を掘り返す。はじめて口づけをされた日、胸がざわついて嫌だったのは本当だ。

 あの頃はハロルドの想いを知るのが怖かったから。

 口づけをすると胸がざわつくのは変わりない。同じようにドキドキするのに、今のエディはその感覚が好きだった。

 そして、余計なことを言う彼を黙らせる最善策を、エディは知っている。

 だから、ハロルドの肩に手をかけて思いっきり背伸びをした。

 そのまま自分の唇を彼に押しつけた。つい先ほどもしたのだから、動揺するほどのものではない――と言い聞かせながら。

 心臓がものすごくうるさいのは、この場所が静かすぎるせいだと言い訳をした。


「エディ様。最後にもう一度確認させてください。……あなたが本気でここに留まるおつもりなら、止めません……。ですが、あなたの顔を見て、声を聞いて、きちんと意志を知っておかないと私は納得できません」


「うん……。私は式典までここに残る。お祖母様のおっしゃることは正しい。でも、私も自分が間違っているとは思えない。だからお祖母様とはちゃんと向き合いたい」


 まずは王太后がエディになにを望んでいるのか、きちんと知るところからはじめなければならない。理解せずに、自分の意見ばかり述べても納得などしてもらえないに決まっていた。

 残る数日――エディは王太后を知り、同時に知ってもらう期間にするべきだ。


「お祖母様とは、簡単には会えないから……だから……」


 血縁でも、簡単に会える関係ではない。実際、エディは十六年以上祖母に会っていなかったのだ。もしかしたらこれが王太后と過ごす、たった一度の機会となるかもしれなかった。


「私はいつも、あなたの味方です」


 最後にもう一度ギュッと抱きしめてから、ハロルドは名残惜しそうにエディから離れていく。

 背を向けて、鉄門のほうへと歩いていった。


 彼がいなくなると、急激に寒さを感じるようになる。だからエディも足音を立てないように気をつけながら、急いで部屋へ戻った。

 暖炉の前で手を温めてから寝間着に着替え、ベッドに潜り込む。


「やっぱり眠れない……ハロルド殿のせいだ……!」


 ハロルドと話をしたおかげで、エディは自分がなにをすべきなのかが見えてきた。

 自分の性別詐称の件で二国間の仲が険悪にならないように――そんな思いばかり先走っていたのかもしれない。

 迷いがなくなり、夜が怖くなくなった。その代わり、目を閉じると先ほどのハロルドとの口づけを思い出したり、甘すぎる言葉が頭に響いたりして、結局眠れなかった。

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