4-5
エディは丁寧に手紙を封筒の中に戻し、机の引き出しに隠す。
クローゼットの中から、一人でも着替えが可能なブラウスとスカートを引っ張り出し、上に防寒着を羽織った。
何度も時計を気にして、早く時が過ぎないものかと浮き足立っていた。
いても経ってもいられず、約束の時間になる前に部屋を出た。
彼女に与えられている部屋は一階にある。バルコニーへと続く窓をゆっくりと開き、足音を立てないように注意して進む。
待ち合わせの場所は、エディの部屋から見える大きな木の下だ。姿を隠すため灯りを持たずに出たせいで、だんだんとここで合っているのか不安になってくる。
北国の冬のはじまりの夜は、エディが考えていたよりもずっと寒かった。
「エディ様……いらっしゃいますか?」
「ここに……ここにいる」
姿は見えないが、ハロルドの声だった。
枯れた草を踏みしめる小さな音に続いて、人影が見える。
「ハロルド殿!」
「……静かに」
触れられる距離まで近づいて、やっと彼の顔が確認できた。
エディが違和感を覚えたのは、彼の服装がいつもと違っていたからだ。
「そなた、警備兵の隊服で忍び込んだのか?」
彼はなんと、王宮を守護する兵に扮してこの場所にやってきた。
日頃から剣の鍛錬をしているハロルドは、文官にしてはたくましい体つきをしているため、隊服もよく似合っていた。
格好よすぎて、昼間だったら余計に目立っていたのではないかと心配になるほどだ。
けれど、今のエディには彼の新鮮な姿に見惚れている余裕はない。
「さすがにバレないかドキドキしました」
ハロルドはちょっとした冒険に心を弾ませる少年のようだった。
けれどやっていることは王宮への不法侵入である。そんなに嬉しそうな顔で話す内容ではないだろうと、エディはあきれてしまった。
「どうやって……? ハロルド殿になにかあったら……私は」
外国の人間であるハロルドが、アーガラム王宮警備の者の隊服を着ている。正当な方法で手に入れられるものではないだろう。
「愛の力で参上いたしました。危ないことはしていません」
「嘘……。だが、急にいなくなってすまなかった」
「心配いたしました。……しかし、マーティナ王太后はさすがに年を重ねていらっしゃるだけあります。手強いお方でした。エディ様の頑固なところは、お祖母様似なのかもしれません」
「そなたより……強いのか……」
ハロルドでも勝てないのなら、エディが王太后を言い負かすのは無理そうだった。
「エディ様が余計な手紙を送りつけてこなければ、余裕で勝てたのですが? なにせ正当性はこちらにあるのですから」
エディが自分の意志で王太后の宮に留まる選択をし、ハロルドに手紙を書いたせいで彼は動けなくなった――そう不満を述べる。
「だが、お祖母様は私を咎めるために、そなたと引き離したのではない。……本気で再教育したいだけみたいなんだ。ちょっと……いや、すごく強引だが……」
王太后は、エディが淑女の立ち居振る舞いを身につけられない大きな原因がハロルドにあると信じている。だから、徹底して会わせないつもりなのだろう。
しかも、間違った認識とは言えなかった。
寛容なハロルドが夫だからこそ、エディは女性らしくないまま文官の職務に励んでいたのだ。
ほかの者が夫だったら、エディはこんなに自由ではなかった。
「それはわかっています。もし、淑女レッスン以外の目的があるのなら、外交問題にしてでもあなたを奪い返しに行っていましたよ」
だから、不法侵入くらい当然の権利だとでも言いたいのだろうか。
ハロルドはものすごく爽やかに不穏な言葉を口にした。
「そなたと話すらさせてくれないのはやりすぎだが、お祖母様には厳しく指導してもらっている。……それにしてもたった一日でよく忍び込みなんてできたな?」
「調べものは得意です。……あなたの夫は有能なんですよ、これでも」
月明かりしかない夜空の下でも、ハロルドの笑みは輝いている。
「いや、そういう問題ではなく」
笑顔でごまかそうとするが、エディは侵入方法が気になって仕方がない。
「エディ様……。あまり時間がないので」
ハロルドが距離を詰めて、エディを抱きしめた。
二人とも防寒着を着たままだからぬくもりは感じられない。なんだか残念に思ったエディは、もぞもぞと手を伸ばし、彼の頬に触れてみた。
「手袋をなさらなかったのですか?」
「夜の野外がこんなに冷えるとは知らなかった。でも手袋なんてしてこなくてよかった」
ハロルドの頬も冷たくて、あたため合うことはできない。それでも直接肌に触れると少しだけ安心できるものだ。
「……そなたと離れて二日経っていないのに、もうさびしい。……ハロルド殿が隣で眠っていてくれないと、昔を思い出すんだ。また一人ぼっちになってしまった気がして」
王子時代のエディは、自分が孤独な存在であるという自覚があった。それでも、孤独を辛いとは感じなかった。
生まれたときから一人だったから、孤独が辛くてさびしいという認識そのものを持っていなかったのだ。
たった一晩、ハロルドと離れただけでエディは彼が恋しくて仕方がなかった。
離れると、どれだけハロルドがエディを支えて、安心できるようにしてくれているのかがわかる。
「ヴィヴィアン殿とニコラは元気か? 私は大丈夫だと伝えてほしい」
「ええ」
「それから、ジェイラス殿下は……」
「エディ。私のことだけを考えてくれないと」
ハロルドが敬称なしで呼びかけて、腕に込める力を強めた。
彼がどうしたいのか、エディにはもうわかっていた。だから、そっと瞳を閉じる。
唇同士がふれあうと、はっきりと彼の体温を感じられた。
「あたたかいですね? ……風邪をひかないように、もう戻ったほうがいいのですが、あと少しだけ……」
頬と頬が触れ合う。
抱き合っていると、触れている部分があたたかいだけではなく、体温を奪う風を感じなくなった。ハロルドがエディを包み込むようにして守ってくれているからだ。
言葉すら邪魔で、このままなにも考えずにただ時間の許す限りこうしていたい――そんな気持ちになりかける。
けれど、なにかが引っかかる。エディは頭を振って、ハロルドでいっぱいになりそうな思考から逃れた。
「……ハロルド殿、やはり手際がよすぎる。少し詳しく説明してくれないか?」
「今はどうでもいい。もう少し……」
「どうでもよくない!」
エディは全力で彼の胸を押す。
ジッ、と非難の視線を向けると、彼は半歩だけエディから離れ、肩をすくめた。
「アラーナという名の女官殿が、王宮内での文通や逢い引きを手伝ってくれる方……というか、そういう方々を紹介してくれたんです」
「文通……逢い引き……?」
なぜそんな集団があるのか。エディは首を傾げた。
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