4-3

 晩餐はほとんど雑談もなく淡々と終わった。

 エディは与えられている私室に戻ると、アラーナに手伝ってもらいながら身を清め、就寝の支度をした。


「王女殿下、本日は冷えますので、眠る前にホットミルクを飲んで、体をあたためてからお休みになったほうがいいかと思われますが、いかがなさいますか?」


 暖炉の前にある椅子に腰を下ろし本を読んでいると、アラーナが声をかけてきた。


「ホットミルク?」


「ええ、甘いものがお好きでしたら、蜂蜜を入れましょう。殿下のお国では飲まれないのですか?」


 エディはコクリと頷いた。

 就寝前にハーブティーを飲んだ経験はあるが、ホットミルクというものをエディは飲んだことがなかった。ミルクは紅茶に垂らしたり、スープなどの料理で使うものという認識だ。

 するとアラーナは、北国では就寝前にあたたかい飲み物を一杯だけ飲んで、体を内側からあたためるのだと教えてくれた。


「飲んでみたい……。よろしく頼む」


 エディは甘いものが大好きだった。

 本を読んで待っていると、湯気の立つ飲み物を持ったアラーナが戻ってくる。

 近づくと、ふんわりと甘く優しい香りがした。


 やけどに注意しながら少しずつ口もとに近づけると、蜂蜜の甘い香りがより強く感じられた。

 口をつけるとまろやかで、花の香りに似た甘さがある。


「すごくおいしい。祖国ではこういった飲み方はしなかった。ヴィヴィアン殿――義妹にも勧めたいな……。夫は甘いものが苦手だから、飲まないはずだけれど」


「甘いものが苦手な方には、あたためた葡萄酒が人気です。迎賓館に滞在されているのでしたら、きっと仕えている者が皆様にお勧めしているはずですよ」


「だったらよかった……」


 昨日よりも今日は気温が低い。

 式典が終わって少し経てば、アーガラム国は本格的な雪の季節を迎えるのだ。きっとヴィヴィアンやハロルドも、慣れない寒さに戸惑っているだろう。


「王女殿下。侯爵閣下に会えなくて、おさみしいのですね……?」


 エディは素直に頷いた。


「ずっと一緒だったから。恥ずかしいのだが、今夜会えないというだけでものすごくさみしいんだ。……でも、大丈夫! ここに残ると決めたのは私なのだから。今は自分のするべきことをするだけだ」


 ホットミルクを飲み終えたエディは、歯を磨いてから体が冷えないうちにベッドに潜り込んだ。

 ふわふわの羽布団にほんのりと石けんの香りがするシーツ。余計な香りでごまかす必要がないほど清潔な寝具は、宮の主人である王太后らしい配慮が行き届いている。


(明日も頑張らないといけない。早く寝てしまおう……)


 目を閉じて、しばらくすると刺繍の図案が頭の中にちらついた。まず、小さな穴に糸を通す段階で、エディはつまずきそうになった。

 下絵の線に沿って均等に針を刺せ、と指示されたが、お手本のようには上手くいかない。途中で糸が絡まり、針の穴から抜けて、そのたびに糸を通し直して……。

 自分がかなり不器用な人間であると認識できたのが、一日目の収穫だった。


(夢の中で刺繍なんてしても、きっと上達しないのに。……なにか楽しいことを……)


 そうやってなにかを思い浮かべようとすると、必ずハロルドや侯爵家の人々が出てきてしまう。


「ハロルド殿……」


 ティリーン王国では、十六歳のエディは立派な大人と見なされる。しかもエディはすでに既婚者だ。

 それなのにハロルドが近くにいないと不安で、彼のもとへ帰りたくて仕方がない。


(……あぁ、この感覚……すごく嫌だ)


 静まりかえった私室。時々フクロウの鳴き声が聞こえる。

 部屋の中は無音なのに、外からわずかに音がして、エディがいないあいだも外の世界は動いているのだと彼女にわからせる。

 誰も本当のエディを知らない。興味がない――本当のエディの世界は天蓋の中だけにあって、永遠に一人――。

 そんな世界に戻ってきてしまったような気分だった。


「しっかりしなきゃ……」


 ハロルドはエディの不在を知ってすぐに、王太后の宮に乗り込んできたに違いない。心配してエディを連れ帰ろうとしたに決まっている。

 王太后は厳しいが、悪意は感じられない。ありえないほど強引だが、彼女なりにエディのためを思ってくれている部分はある。

 今この瞬間だって、きっと誰かの心の中にエディは存在している。そんなふうに言い聞かせる。


「なにか抱きしめるものがないから眠れないんだ」


 ウサギは侯爵邸に置いてきてしまったし、ハロルドは隣にいない。だからこんなに不安な気持ちになるのだろう。

 そう考えたエディは、頭の下にあった枕を抱えて、目を閉じた。

 離れていてもハロルドはエディのことをずっと考えていてくれる。だからエディも、彼を想い、いつも与えてくれるぬくもりを思い出しながら眠りについた。

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