4-2

「まずは、淑女のたしなみから」


 迎賓館へ使いをやると、さっそくレッスンがはじまる。


「たしなみ……?」


「刺繍、詩の朗読、楽器の演奏……どれがお得意かしら? 大丈夫。短い期間ですから、苦手なものを一から完璧に、とは申しません。まずは一番得意なもので、あなたの実力を知りたいのです」


 エディは暑くもないのに額から汗を垂らす。

 刺繍に関しては、針に糸を通した経験すらなかった。詩の朗読をしてその意味を考えるのなら、経済学の本を一冊読んだほうが有意義だと思っていたので、まったくわからない。

 ピアノは最近はじめたばかりで、ものすごく下手な自覚がある。

 刺繍はともかく、詩や楽器の演奏など芸術への理解を深めるのは、性別に関係のない貴族のたしなみだ。

 けれどエディは勉学を優先し、それらにあまり触れてこなかった。


「……ピアノ……を、少し……。ですが、自信はありません」


 せめてヴィヴィアンと特訓したダンスにしてくれればよかったのだが、そんな都合のいい展開にはならない。

 声がうわずり、自信のなさを隠しきれなかった。


 さっそくピアノが置かれたサロンに移動して、実力を試される。

 エディはごくりとつばを呑み込んでから鍵盤に向き合った。

 楽譜なしで弾けるのは、簡単な練習曲のみで、それすら油断すると間違えてしまう。


「あなたの実力がよくわかりました。それ以外のたしなみはピアノ以下ですのね?」


「はい……。針と糸には触れた経験がございません」


 刺繍は習っていないと、エディははっきりと口にした。


「わかりました。……ピアノはすでに習われているということであれば、今後も続けるといいでしょう。それならば今日は刺繍を学びましょう」


「よろしくお願いいたします。お祖母様」


 ヴィヴィアンも厳しかったが、王太后はもっと厳しい。

 しかも血縁とはいえ今まで交流がなかったのだ。気心の知れているヴィヴィアンが教師であるときよりも、数倍の緊張を強いられる。


 食事や休憩の時間はきちんと与えられている。

 けれど、食事中も常に気を張っている状態だった。解放されたのは日が沈む直前の時間になってからだった。

 それもほんのひととき。迎賓館からエディの荷物が届いたため、晩餐用のドレスに着替える目的だ。


「ニコラ、そろそろ着替えを……。あ! すまない……」


 かなり疲れていたのだろう。

 エディは若い女官を思わず「ニコラ」と呼んでしまった。


「お気になさる必要はございません。……申し遅れました、私はアラーナと申します」


 背格好やまとう雰囲気がどことなくニコラに似ていた。


「私に仕えてくれている者と髪の色が似ているのだ。恥ずかしい……アラーナ、これからよろしく頼む」


「はい。……普段はそのようにお話になるのですね?」


 エディは思わず口もとを押さえる。

 油断して、言葉遣いが戻ってしまったのだ。仕えてくれる者に対しては、丁寧すぎると相手が恐縮するだろうし、男っぽさの残る普段の言葉遣いもだめだ。


「……よろしくお願いいたしますね」


 ぎこちなく言い直すと、アラーナが困った顔になる。


「いいえ、王女殿下。仕える私に対しては普段通りでお願いいたします。はじめて滞在される場所でもくつろいでいただけるように努めるのが、部屋付きの女官の役割です」


 淑女らしからぬ態度であっても、それをいちいち王太后に報告はしない。そう言ってくれているのだとエディは理解した。


「うん、ありがとう」


 休息の時間まで淑女を続けるのはさすがに無理だった。王太后に知られたらまた甘えだと言われてしまうかもしれないが、エディは女官の提案を受け入れた。


 しばらく休んでから晩餐用のドレスに着替えたエディは、ダイニングルームへと移動した。

 少し待つと、王太后が姿を見せた。


「メイスフィールド侯爵は、本当にエディ様を大切にしているのですね?」


 席についてから、王太后がそんなことを言い出した。


「……なぜそう思われるのですか?」


 エディは首を傾げる。もちろん、彼女はハロルドに愛されている。先日の謁見でも、ハロルドは王太后の前で妻への想いを積極的に表に出していた。

 けれど、なぜ今そんな話になるのかがわからなかった。


「一歩も引かない方でしたから」


 直接話をしないとそんな感想は抱かない。


「ハロルド殿――夫が訪ねてきたのですか!?」


「ええ、ですが……もうお帰りになりましたよ」


「帰ったのではなく、追い返したのでしょう? お祖母様! 夫に会わせてください。今からでも追いかければ間に合います」


 大ごとにならないように手紙を書いたのはエディだ。

 それでもハロルドが来てくれたのなら、会ってきちんと説明をしたかった。


「なりません。……やはり、あの方はあなたを甘やかすだけですから。すぐに声を荒らげるのは、エディ様の悪い癖ですよ」


「夫は、素晴らしい男性です。甘やかされているというのは否定いたしませんが、夫が優しいのは私が努力しているからです!」


 きっとハロルドは、怠惰な生活を送ろうとする者を嫌うはず。それはエディも同じで、ハロルドが常に尊敬できる人だからこそ好意を抱いたのだ。

 たまには休んでほしい、自分に甘えてほしい――そんな感情を抱くのは相手が頑張っている姿を知っているからこそだ。

 エディは、ハロルドにふさわしい人間になりたくて努力をしているつもりだった。

 彼は確かにエディをどこまでも甘やかしているかもしれないが、大前提として自分の意思で努力を続ける人間であり続ける必要があるのだから、王太后の指摘は間違っている。


「努力……? でしたら、侯爵に頼るのではなく、残りの滞在期間でわたくしを納得させてちょうだい」


「お祖母様は頭が固すぎます!」


 エディが思わず本音を口にすると、王太后が冷ややかな視線を送ってくる。

 すぐに感情をあらわにするのも、淑女としてふさわしい行動ではないと咎めているのだ。


 やがて晩餐がはじまる。

 高齢の王太后に合わせ、野菜が多く使われた健康的な食事だった。どれも一流の料理人が丹精込めて調理したもので、味は最高だ。

 小食で脂っこいものは苦手なエディにとってもありがたいメニューだった。


(ハロルド殿やヴィヴィアン殿と一緒なら……きっと楽しかったのに……)


 エディは王太后が嫌いではなかったが、苦手ではあった。

 気が置けない人と一緒の食事がいかにありがたいものなのか、ハロルドたちと離れてはじめて思い知るのだった。


(そういえば、お祖母様はいつもお一人なのだろうか……?)


 同じ王宮内で、王太后は一人離れた建物でひっそりと暮らしている。

 隠居した王族ならば別におかしくはないのだが、エディは昔の自分を思い浮かべながら、普段の王太后の暮らしが気になった。

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