3-8

 滞在四日目。ジェイラスとハロルドは予定通り騎乗模擬戦闘の見学で不在だ。

 模擬戦闘は都の近郊にある軍の施設で行われる。移動を伴うため、二人は冬の朝日が昇るのと同時に館を出発した。

 ヴィヴィアンはまだ寝ている。ハロルドの出立に合わせて目を覚ましたエディは、暇を持て余していた。

 だから人払いをしてからこっそり男装に着替え、護身用の小ぶりの剣を手にした。


「私だって行きたかった!」


 王子だった頃、あんなに不自由だったのが嘘のように、ハロルドの妻となってからのエディは自由だった。一度自由を知ってしまうと、型にはまらなければならない生活が、短期間でも窮屈になる。


 北の地で育った丈夫な軍馬というものを見てみたかった。

 叶うなら騎乗して草原をかけてみたかった。


 ハロルドが多くを望んでいいと言ってくれるから、エディはきっとわがままになってしまったのだ。ただのないものねだりだという自覚があるため、部屋でこっそり鬱憤を晴らす。

 幸いにして与えられている部屋は広く、素振りをしてもものを破損する心配はない。

 すべてが自分の思うままにできるだなんて考えていないし、異国に赴く覚悟もあったはず。

 剣を振るうのは、煩悩を振り払うためだった。


 まっすぐに構え、切っ先を自分の一部だと思えるくらいに意識し、集中する。

 大きく息を吸ってから、素振りをはじめた。


 三十回ほど繰り返すと、ほんのりと額に汗がにじみ体が熱くなる。

 まだ疲労を感じるほどではなく、これは準備運動のようなものだった。


 次に剣を横に構え、別の型に移ろうとしたところで、扉がノックされた。


(人払いをしていたのに……)


「エディ王女殿下。先ほどからお目覚めとのこと……大変申し訳ございませんが、マーティナ王太后様から言伝がございます」


 声の主は、この館の管理責任者である年嵩の女官だった。

 早朝の、しかも人払いをしているのに声をかけてくるのだから、なにか緊急の用件に違いない。


「少々お待ちください。着替えをすませておりませんので」


 エディは剣を鞘に収め、それを荷物の中にしまおうとした。


「では、わたくしがお手伝いいたします」


「いいえ、すぐに参りますので、サロンでお待ちくださ――」


 言い終わる前に女官が扉を開けてしまった。

 エディは背中に剣を隠すが、明らかに不自然に見えているだろう。


「エディ王女殿下……その服装は……いったい?」


 完全な男装で、シャツは邪魔にならないようにまくっている状態だ。

 女官は驚き、次いで額に手をあてる。


「これは……、ええっと、その。このほうが眠りやすくて……だな……」


 女官から目を逸らし、エディはとっさの言い訳を口にした。


「後ろになにを隠されておられるのですか?」


「剣です!」


 どう考えても隠せない。そう思ったエディは、隠していた剣を女官に見せた。

 ここはエディに与えられた部屋だ。調度品を傷つけなければ自由に過ごす権利があるはず、と開き直る。


「なぜ、そのようなものを!?」


「私は以前、体調を崩していた時期があり、お医者様から十分に体を動かすようにと指導がありましたもので」


「それで……剣、ですか?」


「以前からの習慣でしたから、取り組みやすかったのです」


 にっこりとヴィヴィアンから教わった淑女の笑みを浮かべ、堂々と言ってのける。


「さようでございましたか」


「ええ、そうなのです。お医者様の指示で、健康のためです」


 もう完全に回復しているとは言え、医者からの指示があったことは真実だ。もちろん医者の指示は適度に体を動かし、体力をつけるという部分までで、剣術という指定はなかったのだが。


「……では、エディ王女殿下が今でも男装で過ごされているという噂は、実際のところどうなのでしょうか?」


 女官の視線が一気に冷ややかなものに変わる。

 私は真実を知っている――彼女は、そうわからせようとしているのだ。


「……え?」


「なんでも、ティリーン王国の都に住む者にとっては元第一王子の男装は、周知の事実だと……」


「とくに恥ずかしいことではありません。私は今でも王族として国のために最善を尽くす努力をしているのですから」


 エディのすることに誰も反対しなかった。

 ハロルドは支えてくれて、ジェイラスは手を差し伸べてくれて――父である国王はしぶしぶ認めている。だから、エディは胸を張って自分の行動が正しいものだと主張する。


「さようでございましたか。……では、今から王太后様にそのようにご説明をお願いいたします」


 女官の言葉は淡々としていて、だからこそ恐ろしい。


「い、……今から?」


「ええ。もう迎えの者を待たせておりますので」


 おそらく、王太后はエディの暮らしを独自に調査したのではないか。

 その報告書が彼女の手元に届き、――早朝からエディを呼びつけたくなるほど憤っている。

 そんな推測ができた。


(まずい……。よりにもよってハロルド殿がいない日に! いや、偶然ではないのかもしれない)


 もしかしたら調査はとっくにされていて、ハロルドやジェイラスがすぐに帰ってこられない日を狙っていたのかもしれない。これはきっと、抜き打ち検査というものだろう。

 だとしたら本気で言い訳ができそうもなかった。


「着替えがまだですから、申し訳ありませんが迎えの方には少々お待ちいただきたく思います」


「その必要はありません。……ありのままを、王太后様にお見せなさいませ」


 女官が廊下の外に目配せをする。

 すると、慎ましいドレスに身を包んだ女性が二人、姿を見せた。年齢はエディより少し上の二十代前半くらい。

 おそらくは彼女たちも王太后に仕える女官なのだろう。


(だめだ……これ……、間違いなくお祖母様に全部見透かされている!)


「エディ王女殿下。……ジャケットはこちらでよろしいですか?」


 女官の一人が、ソファの背もたれにかけてあったエディのジャケットを手に取った。


「いやいや、着替えさせ――」


 もう一人の女官が鏡台の上に置かれていたリボンタイを見つけてエディの首もとに巻きつける。それが終わるとジャケットが背後に迫り、エディは反射的にそれに袖を通してしまった。


「ささ、参りましょう」


 二人の若い女官がエディの腰をしっかりと支える。

 おそらくエディのほうが足は速いだろうから、逃走は可能だ。

 ただし、逃げ場がない。

 迎賓館から逃走し、なんの護衛手段も持たずに町に行けば、誘拐される可能性がある。

 また、ティリーン王国からの賓客という立場ではあるものの、孫と祖母という関係上、エディがマーティナ王太后の呼び出しを無視することはできない。

 もしジェイラスやハロルドがいたら、マーティナ王太后に意見できたかもしれないが、館に帰ってくるのは夕方だ。


「王女殿下!?」


 三人の女官に囲まれた状態でエントランスホールまで進むと、ヴィヴィアンと出くわした。


「ヴィヴィアン殿、すまない……お祖母様からの呼び出しだ」


「呼び出し? むしろ、連行ではありませんの……!? わたくしもご一緒いたしますわ」


 ヴィヴィアンがエディに近づくと、最年長の女官が二人のあいだを塞ぐように立ちはだかる。


「……血縁としての、とても重要なお話があるとのことですから、ご遠慮いただきますようお願い申し上げます」


「そんな、王女殿下をお一人にするなとわたくしは兄から申し使っておりますのに!」


「ヴィヴィアン殿。大丈夫……別に私は悪いことなど一つもしていないのだから、よい機会だし説明してくる。もし私が王宮から戻るより先にハロルド殿が帰ってきたら、事情を説明しておいてくれ」


 王太后はエディを拘束できる立場にはない。

 今、連行されようとしているのは、あくまでエディ自身が二国のあいだに波風を立たせたくないという思いがあるからだ。


 だからエディは自分の心配はしていなかった。

 大ごとにならないように、上手く立ち回ることだけを考えればいい。

 館に戻るのが遅くなったらハロルドに事情を説明しておいて――そう口にしてはじめて、ハロルドがこの件を知ったらどう動くか想像し、エディは震え上がる。


(……ハロルド殿に知られたら……ものすごくまずい……たぶん……)


 エディには彼に溺愛されている自覚がきちんとあった。

 ハロルドが館に戻ったときにエディがいなかったら、相手が隣国の王族だろうがなんだろうが、猛抗議する姿が目に浮かぶ。


「ヴィヴィアン殿。ハロルド殿が暴走しそうになったら……止めてくれ!」


 祖母と夫が争い合う姿など、エディとしては見たくない。


「無理ですわ。お兄様は王女殿下の言うことしか聞かない方なので」


「そんな……。私の願いだって聞かないぞ!」


 ハロルドはエディが幸せになるための願いは、だいたい叶えて、協力してくれる。

 一方で、エディが自分を犠牲にする行動をしようとすると、むしろ邪魔をしてくる傾向がある。

 今回は後者のパターンである気がしてならなかった。


「王女殿下にできないのなら、わたくしに求められても困りますわ。とにかくお早いお戻りを……」


「わかった、行ってきます。ヴィヴィアン殿」


 連行されているのはエディなのに、なぜか一番の不安要素がハロルドの暴走だった。

 エディはとにかく祖母のところに赴いて、彼女に納得してもらうしかないのだろう。

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