3-5

「……ごきげんよう、ロードリック殿。隠れていたのではありません。ただ、どうしてよいものかわからなかったのです」


 ドレスの裾を少しだけ摘まみ、エディはゆっくり礼をした。

 顔を上げて、ヴィヴィアンから習ったとおりの笑みを作る。


「お、お……、王女! すまない、あのような大きな声を出す者がいたら、か……弱いそなたが身を隠すのは当然だな」


 ロードリックの声も、かなり大きくなっている。

 本当のことを言っていいのなら、エディはか弱い女性ではない。

 そして、彼女が避けたいトラブルとは、酔っ払いとロードリックの諍いだけではなかった。

 ハロルドがそばにいないところで、ロードリックに会いたくないという思いもあったのだが、もちろん本人には到底言えない。


「あの方々、不敬な発言をされていましたが、よろしかったのですか?」


 名前を問われたらどうしようか、とやや慎重になりながら、エディは気になっていることをたずねてみた。


「あの者たちの不満も理解できる。ただ、父上の即位が冬というのは変えられないのだから謝罪するつもりもないのだが。……せっかくの舞踏会の夜だ。酔っ払いの言葉に腹を立てて、客人に不快な思いをさせたくないからな……君も忘れてくれ」


「ご立派なのですね……」


 本来の彼は寛容で、優先順位を考えて対処できる人なのだろう。

 それなのに、どうしてエディには剣術の勝負などを持ちかけてきたのだろうか。

 そこまで彼に嫌われている理由をエディは考えた。やはりすぐに思い当たるのが女だからだ。

 子供の頃の出来事とはいえ、負けた相手が年下で、しかも女だったという事実が、世継ぎの王子であるロードリックのプライドを傷つけた。

 だから、相手が賓客であることを忘れ迎賓館に乗り込んでくるほど、冷静さを欠いてしまったのだろうか。

 親しいと思っていた人に嫌われていると知るのは、根本的な原因がエディにあったとしてもやるせない。


「そんなに不安に思う必要はない。……声が大きいのもルガランドの者たちの特徴だ。それより、王女はなにをしているのだ?」


「舞踏会には慣れなくて、少しだけ涼みたかったのです」


「そうか。まだ社交界にデビューしたばかりなのだろうな? だが、君のような、か……可憐な女性が一人でいるのはよくない」


 ロードリックは今夜もエディの正体には気づかない。

 エディはだんだんと腹立たしくなってきた。「その可憐な女性に、そなたは決闘を申し込もうとしているのだ!」と言ってやりたくなってくる。


「はい。……それでは私はこれで失礼いたします」


 王太后の件があり、エディは淑女の仮面を外せない。それがなくてもティリーン王国の代表の一人であることを忘れてはいなかった。

 まずは事前の打ち合わせどおり、誤解を解くならハロルドと合流するべきだった。


「いや一人はよくないと言っただろう? ……保護者のところまで送ろう」


 保護者――この場合、ハロルドだ。


「……ありがとうございます」


 いつまでも問題を先送りにしても仕方がない。エディはこのままロードリックと一緒にハロルドのところへ行き、そこできちんと彼の誤解を解こうと決意する。


「ところで、そのドレス。よく似合っているな。……雪の妖精みたいだ」


「光栄です。ロードリック殿の正装も、素敵です」


「本当にそう思うか!?」


 ドレスをほめるのは社交辞令ではないのか。そして、相手をほめるのも同様だ。

 ロードリックは凜々しい顔立ちの王子だ。正装姿もよく似合っている。だからエディの言葉は本心だった。

 王太子という立場もあり、彼は多くの者から賞賛されることに慣れていそうなはずなのに、どうしてそんなに驚くのだろうか……エディは首をかしげた。


「はい……」


 言いながら、エディはハロルドの姿を探した。長身で黒髪の青年は目立つので、人の多い場所でもきっとすぐに見つかるはずだ。


「そうか……その、王女よ。よければ……その……。私と一曲……ん? あれは……」


「ハロルド殿……!」


 探していたハロルドは、柱の近くで令嬢たちに囲まれていた。

 すぐに戻ってくるようにと釘を刺したのはあちらのほうなのに、とエディは頬を膨らませた。


「ハロルド殿? あぁ、メイスフィールド侯爵だったか……。確かエディ王子――王女の降嫁先だったな。……それにしても、ものすごい色男だ」


 エディは今まで、ハロルドが女性と会話を楽しんでいるところを見たことがなかった。

 彼が側近だった時代、第一王子がパーティーに参加するときは常にそばに控えて、彼自身が楽しむよりもエディを優先していた。

 国内指折りの貴族の当主なのだから、きっと独身時代は社交界で人気者だったに違いない。

 エディの知らない場所で、彼は今みたいに令嬢たちから熱い視線を送られていたのだろうか。

 ヴィヴィアンは、兄には親しい女性はいなかったと言っていたが、妹である彼女がどこまで知っているかは不明だ。

 過去に遡って彼を束縛する権利などないのに、エディの胸にもやもやとした嫌な感情がくすぶった。


「ティリーン王国のお方なのですか?」


「ぜひ、お話を聞かせてくださいませ。……どんな場所なのか、興味がありますの」


 押しの強い令嬢たちにハロルドは困惑していた。

 彼は決して喜んだりはしていない。それでも、おもしろくないエディだ。


「王女? なぜ君が怒っているのだ?」


「怒ってなどおりません!」


 認めたら、嫉妬深い子供になってしまう。それではハロルドとの差が広がるだけだ。


「あぁ、そうか……。メイスフィールド侯爵は君の姉上の夫だったな。王女は優しいな。姉の夫があんなふうに女性に囲まれていたら心配になるのは当然だ。まぁ、美しい令嬢に囲まれて喜ぶのは仕方がない。男みたいな王女と暮らしているのならなおさら――」


「……男みたいな、王女」


「あぁ、すまない! 君の大切な姉上だった」


 いつまでも誤解を正さないエディにも非がある。

 ロードリックが王子時代のエディに対しかなり執着していて、そのせいで冷静さを欠いているのもよくわかる。

 それでも耐えるのは限界だった。


「……と、ところで、君の姉上はどこにいる? 先ほどから探しているのだが、姿が見当たらない。銀髪は君とジェイラス殿と、エディ王子王女しかいないのだからすぐにわかると思ったのだが?」


 王子王女とはなんだろうか、ともはや突っ込みを入れる気にもなれない。


「そのことですが――」


 見当違いばかりのロードリックの発言に我慢ができなくなり、だんだんと決闘を申し込まれてもかまわないという心境に変わっていく。

 もう真実を言ってしまおうと、彼女は口を開きかける。

 途中でやめたのは、ハロルドと目が合ったからだ。


「王女殿下」


 彼はエディが戻ってきたことに気がつくと、令嬢たちから逃れ、まっすぐ歩いてくる。


「ハロルド殿……」


 ハロルドは、すぐにエディのそばまでやってきて、グッ、と彼女を引き寄せた。


「あまり遠くへ行ってはいけませんよ?」


 普段の何倍もキラキラした笑みを向けてくる。

 けれど、これは本気ではなく演技だとエディは見抜いていた。


「……」


 エディが黙っていると、ハロルドはロードリックに視線を向ける。


「……これはロードリック殿下。お久しぶりでございます。五年前に一度、ご挨拶をさせていただきましたが、覚えておいででしょうか?」


「もちろんだ。メイスフィールド侯爵」


「光栄です。王女殿下を連れてきてくださったのですね? ……王女殿下、すぐに戻っていらっしゃるというお約束を守っていただかねば困ります」


「わかっております、ハロルド殿」


 これでは迷子になった子供と、その保護者だった。

 しかもハロルドは極上の笑みの裏側で、一人でいるときにロードリックと遭遇したエディを非難している。


(ハロルド殿だって……)


「それで、メイスフィールド侯爵。五年前、私がエディ王女と交流を持っていたのを、ご存じだろうか?」


 エディはゴクリとつばを呑み込んだ。

 ついにロードリックに真実を打ち明けるときがきたのだ。


「ええ……、もちろんでございます」


 ハロルドがゆっくりと肯定する。

 今まで勘違いをそうと知っていて正さなかったエディには、多少の後ろめたさがあった。

 けれど、言いづらくなってしまったのは、ロードリックがエディに決闘を申し込もうとしたり、がさつだと貶したりしたせいである。

 エディは背筋を伸ばしてハロルドの言葉を待つ。


「エディ王女殿下は――」


「ロードリック殿下。ご歓談中、大変失礼申し上げます」


 ハロルドが言葉を続けようとすると、彼の侍従がそれを遮った。

 迎賓館にも同行していた青年で、今夜もなんだか慌てている。


「なんだ?」


 侍従はすぐにロードリックに近づいて、耳打ちをする。ひそひそと「ルガランドの……」、「またか……!」、という声が聞こえた。


「――すまない、王宮警備の者同士でトラブルがあったらしい。今夜は多くの賓客を迎え入れているというのに、情けない話だ。……王女、侯爵……また会おう」


 揉め事が今、この瞬間に起きているというのならば、これ以上話を続けるのは無理だった。

 ロードリックはエディたちの挨拶も待たずに、軽く手を振りながら、侍従と一緒に会場を出ていってしまう。


 機会を逃してしまったエディたちは、適当なところで舞踏会の会場をあとにした。

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