3-4

 会場に着くなり、ヴィヴィアンは「なにかおもしろいものがないか見て参りますわ」と言い残し、スッと消えてしまう。ジェイラスも「目立たない場所を探してきます」と、なんのために舞踏会に参加しているのかわからない発言をして立ち去った。


「もうすぐダンスがはじまります。……こちらへ」


 エディはハロルドに導かれ、会場の中央に歩み出る。

 腰に回された手に支えられることを恐れずに、けれど頼りすぎず……。姿勢よくしなければならないが、あくまで優雅に。

 やがて楽団による最初の曲が流れはじめる。

 ダンスのステップはきちんと覚えている。動揺さえしなければ、ハロルドの足を踏むことはありえない。


「ダンスは楽しそうに踊れば、それでいいのですよ」


 確かに表情が固いと不自然だ。エディは頷いて笑ってみせる。

 けれど、レッスンと本番とでは周囲の雰囲気がまるで違う。皆が注目しているのではないか、と周囲の視線が気になり、めまいを起こしそうだった。


「大丈夫ですよ。集中してください」


 エディにだけ聞こえる大きさの声は、妙に甘ったるい。


「……無理、です」


「なぜ?」


 確かに、彼のおかげで周囲の雑音は気にならなくなる。けれど、ダンスにも集中できなくなりそうだった。

 きっとエディの動揺などお見通しのはずなのに、彼はわざとわからないふりをする。


「ハロルド殿――旦那様。なんだか、いつも以上に距離が近いような気がしているのですが?」


 ただでさえ不慣れなのだ。緊張をほぐすため――を軽く超えて動揺させようとするハロルドにエディは抗議した。


「ダンスでは当然です」


「……うぅ、そうではなくて……国を発ってからずっとです。私が油断すると、わざとなにかしていませんか? 昨日もそうだったと思うのですが……」


 パートナーとの距離は決まっている。そうではなくて、ないしょ話をするときの態度、支える手の力、それから表情も――レッスンのときと違っている。

 優しくて誠実ないつものハロルドならば、エディは抱きしめられても安心できるのに。今夜の彼は、そうではない部分を隠そうとはしなかった。


「夫婦ですから」


 天井で輝くシャンデリアと正装がいけないのだろうか。今夜はいつも以上に、ハロルドがまぶしくて、積極的だ。

 エディに対してというよりは、周囲にどれだけ相思相愛であるかを見せつける意図が感じられた。


「私は、もう……気持ちを偽っていないのですが?」


 昨日もかなりわかりやすく好意を口にした。

 ハロルドはこれ以上なにを望んでいるのだろうか。


「ええ。よくわかっております……」


 ターンのタイミングで会話が途切れる。

 きっと彼は答えをくれないのだろう。もっと自分自身で夫の気持ちをよく考えて――そんな意図かもしれない。

 エディは気を取り直してダンスに集中した。

 やはりハロルドはダンスが上手い。

 最初はステップも表情もぎこちなかったかもしれない。それが、彼に合わせているだけで自然なものに変わっていく。

 終盤になると、彼とのダンスをずっと続けたいと思うほどだ。


 やがて曲の終わりとともに、エディたちのダンスも終わった。

 エディはハロルドに手を引かれて、会場の隅へと移動する。

 今夜の使命は、エディが完璧な淑女であると証明すること、そしてロードリックの誤解を正し、争いを回避することだ。

 まずはドレス姿とダンスで淑女らしさは強調できたはず。だから二つ目の目標のために行動すべきだ。


「そのサファイア、お気に入りのようですね?」


「……そう、ですね」


 また心臓がドクン、と音を立てる。

 ハロルドが買ってくれたから。それとも彼の瞳と同じ青い石だから。どちらの理由を口にしても、結局彼に行き着く。


「あの、旦那様。少しだけ、離れてもよろしいでしょうか?」


 せっかく冷静になれたのに、ハロルドは次の罠をしかけてくる。

 エディはだんだん耐えられなくなり、一度彼から離れようとする。


「ええ。……ですが気をつけて。すぐに戻ってきてください」


 化粧直しかお花摘みか、淑女には男性に同行してもらいたくないちょっとした用事がある。

 紳士であるハロルドは、当然どこに行くかなど聞いてくるような無作法はしない。


「わかっています、旦那様」


 火照った頬をどうにかしたくて、エディは舞踏会の会場から出た。外は寒いが、風の入りこまない廊下ならば、冷静になるのにちょうどいい。

 エディは出窓にもたれるようにしながら、窓の外を眺めた。透明なガラスにそっと指で触れてみる。グローブをしていても伝わるくらい冷えていた。


(不本意だ! ドキドキするのは私ばかりで、ハロルド殿は平気な顔で……)


 人生経験の差だろうか。大人の余裕を見せられると、対等になりたいエディとしては不満が募る。


(国に戻ったら、私がハロルド殿をドキドキさせてやるんだからっ!)


 こんな日まで、愛されることに不慣れな者を翻弄する必要はないのにと、不満がだんだんと彼への憤りに変わる。

 エディはどんな仕返しをすれば彼が困るのかを必死に考えていた。

 いろいろ想像してみるが、思い浮かべるだけで恥ずかしくなるのはエディだけで、むしろ彼をよろこばせてしまう妄想しか浮かばない。


「まったく、冬支度の忙しい時期に我らを都に呼び寄せるとは!」


 突然、男性の大きな声が響く。

 廊下にはエディと同じように、賑やかな会場から逃れてきた者もいる。それなのに、はばかることなく不満を叫んでいる。


「本当にいい迷惑だ。応じなければ謀反を疑うのだろうからな。中央にいる者が……陛下が我らの都合をわざと無視して力を削ぐつもりなのは、明らかだ……そう、思うだろう?」


 柱の陰から、チラリと声がするほうに視線を送る。

 声の主は、アーガラム国の貴族と思われる二人の男性だった。どちらも亜麻色の髪をして、立派なひげを生やしていた。


(……あれは、ルガランド貴族だろうか?)


 エディはここに来る前に得た知識から、そう予想した。

 アーガラム国もティリーン王国も、大陸の共用語を使っているのだが、国や地域によって訛りがある。

 大声の二人はややろれつが回っておらず、かなり酔っ払っている様子だった。酒のせいで他者の視線が気にならなくなり、だからこそ余計に訛りが強調されているのだろう。

 淡い髪色の者が多く、成人した男性がひげを大切にしているのもルガランドの者の特徴だ。

 エディは自分とは無関係とはいえ、目の前で諍いごとの火種がくすぶっている状況に肝を冷やす。


「……おまえたち、酔っているのではないか?」


(ロードリック殿!?)


 廊下の奥のほうから現れたのは、ロードリックだった。

 ルガランド貴族とおぼしき二人は、大声で国王に対する不満を叫び、よりにもよってそれを王太子に聞かれてしまったのだ。


「なぁんだと? ルガランドの者は酒に酔ったりはせぬのだ……!」


 よほど酔っているのだろう。ロードリックの姿は見えているはずなのに、ルガランド貴族は彼の正体がわかっていない様子だ。


「酔っていると思うぞ?」


 言い聞かせるように、ロードリックはもう一度彼らに指摘した。


「……ロ、ロードリック殿下!?」


「どうしてここにっ! わ、我らは……その……」


 二人の酔っぱらいは、ようやく自分のしでかしたことに気がついた。

 謝罪や言い訳もできないまま、口をパクパクと開閉させている。


「もう一度聞く。……酔っているのだな? ……酔っている者の戯れ言に付き合うのは馬鹿げているからな」


 それはおそらく、酔っているのなら見逃すという意味だ。


「……あ、え……はい。酔っております」


 片方が、声を震わせながら答えた。


「ならば今夜はもう帰って、ゆっくり休息をとることだ。 よいな?」


 ルガランド貴族の二人は頭を下げ、そそくさとその場を去っていく。

 エディには、一昨日迎賓館に乗り込んできた人物と、今のロードリックが同一人物に思えなかった。


「そこの者。なぜ、隠れているのだ? さっきから水色のドレスが見えている」


 トラブルに発展しそうな事態が起こりそうだった場所を避けたのであって、盗み聞きするために隠れているわけではない。

 だからエディは、柱から離れ、堂々とロードリックの前に立った。

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