3-2

「あなたがエディ様ね? それからメイスフィールド侯爵も、よく来てくれました」


 王太后は、エディを出迎えるために、ゆっくりと立ち上がる。

 今年六十歳になったはずの王太后は、老いても姿勢のよい貴婦人だった。

 ややきつめの容姿から、噂どおり厳しい人なのかもしれないという印象を抱き、エディは緊張した。


「はい、お初にお目にかかります。マーティナ王太后」


 ヴィヴィアンに習ったとおり、焦らず優雅な挨拶を心がける。


「あら、いやだわ。わたくしはあなたの祖母ですよ」


「お祖母様。……遠い地にいらっしゃるあなた様にお目にかかれて、嬉しゅうございます。また、この度は国王陛下の即位二十年という節目のめでたき日に立ち会える栄誉に預かりましたこと、大変光栄に思います」


「ご丁寧にありがとう。あまりかしこまらなくてもいいのよ……?」


 エディの緊張を解こうとしてくれているのだろうか。王太后はほほえんで、着席を促した。


「はい、お祖母様。失礼いたします」


 座るときも、ハロルドの手を借りてゆっくりと腰を下ろす。

 ハロルドとエディは三人掛けのソファ、王太后はその向かいに座った。

 すぐにお茶とお菓子が運ばれてくる。寒い国だからこそ、熱い紅茶がいっそう美味しそうに感じられる。


「ロードリックの話では、エディ様は相当な剣の腕前の持ち主で、男勝りだということでしたから、心配していたのです。……でも私の杞憂だったようですね」


 剣の腕前に対する評価には、かなりの誇張が入っている。

 それは、男女の差が顕著になる前にロードリックが抱いていた印象なのだろう。実際には、半年違いで生まれたジェイラスに敵わないし、ハロルドには常に手加減されている。

 ただ、男勝りという言葉をエディは否定できなかった。

 今でも剣術の鍛錬をして、文官として出仕しているのだ。文官をしている件は、王太后に積極的に話すつもりのないエディだが、国内では隠していないためいつ露見してもおかしくない。


「恐れながら、我が妻は今でも活発ですよ」


「まぁ、そうなのですか?」


「ええ。よく二人で馬に乗り、遠乗りへ行きます。体を動かすのも好きなようです。……私は活発な妻を愛おしく想っておりますので」


 話せる範囲で事実をそのまま告げるというのは、戦略として正しい。エディも過度な自己否定を好まない。

 けれど最後の「愛おしく想っております」は余計だった。


「……旦那様、お祖母様の前で恥ずかしいので……」


 茶会に誘われて、じっくりと話をする機会があるという予想はしていた。

 臨機応変な会話をする心構えもあった。

 だが、エディはハロルドが人前でこんな態度を取るとは聞いていなかった。事前の打ち合わせが可能な相手が、率先して想定外の流れを作り出すという状況になっている。


「なにをおっしゃっているのですか? 夫である私が、あなたをどれだけ大切にしているのかをきちんとお伝えすれば、あなたのお祖母様は安心されるでしょう」


 ハロルドは手を伸ばし、膝に置いてあったエディの手をそっと取った。


(そういうレッスンはしていないのに!)


 性別を偽っていたという特殊な事情のある王女だからこそ、降嫁を受け入れたハロルドが、エディにどんな態度で接しているかは確かに重要だ。

 大切にされている、相思相愛の夫婦である――と、王太后に事実をそのまま告げることにためらうのはおかしい。


「だ、旦那様……」


 ハロルドは今日も正しい。エディは何度も心の中で唱えるが、だんだんと冷静ではいられなくなった。


「いいのではなくて? まだ結婚して一年経っていないのでしょう……フフッ。エディ様は可愛らしい方なのね……」


「ええ、自慢の妻です」


「正直、安心いたしました。……アーガラム王族の血を引く者が間違った選択を重ねるわけにはいかないのですから」


 間違った選択というのは、娘をティリーン国王に嫁がせたこと、そして彼女が生まれてきた子の性別を偽るという大罪を犯したことを言っているのだろうか。

 王太后はすでに娘を見限っているのだと、エディは察した。

 そして、送り出した側の責任で、エディのその後を気にしているのだ。


「いいですか、エディ様。……私はあなたが侯爵夫人として常に正しくあることを望んでいます。わかりますね?」


「はい、お祖母様」


 言っている意味はエディにもわかる。模範的な貴族の夫人でいろという意味だ。


「きっと『男として育ったから』などと、揚げ足を取ろうとする者がいるでしょう。そういう悪意に負けないためには、誰よりも素晴らしい淑女でなければなりませんよ」


「……はい」


 本当のエディの姿を知ったら、祖母は失望するのだろう。

 ハロルドにとっての理想的な妻を目指すつもりは、エディにもある。誰にも負けない最高の夫婦になりたいと望む気持ちだ。

 ただし、普通の王侯貴族の常識からはかけ離れている。

 ハロルドは、エディのせいで閑職しか与えられなくても、まったく気にしない人だった。今回、外遊に際し一時的にジェイラスの補佐をしているが、旅が終われば本来の所属に戻るつもりらしい。

 エディが望むままに生きることが彼の願いだという。彼女は彼の言葉をそのまま受け取り、王子だった頃の自分を否定しない生き方を望んでいる。

 二人のあいだでは正しくても、エディの生き方を理解しない者もいるのは当然だ。


 それは覚悟しているはずだった。けれど、祖母に偽りの姿を見せ続けるのは思っていたよりもこたえる。

 必要なときに淑女らしく振る舞っても、完璧なダンスができるように努力を重ねても、それはエディの本質を偽ることにはならない。

 文官としてジェイラスを支えたいエディだが、とくに男らしくなりたいわけではないのだから。

 ただ、問われたことに本心とは違う返答をするのは、心が痛んだ。


 その後は五年前のロードリックの様子について、それからエディの日々の生活について、王太后から雑談交じりにいろいろと聞かれた。


 一時間ほど会話をしたあとに、エディたちは迎賓館に戻ることとなった。


 予想通り、「淑女らしく」、「王女らしく」という言葉が何度も出てきたときは、反論したい気持ちと、祖母に嘘をついている申し訳なさで胸の中がモヤモヤとした。

 けれど、祖母と話ができたことは純粋に嬉しく思うエディだ。


「さて、マーティナ王太后についての対応は、問題なくできましたね。……あとは、明日の舞踏会でロードリック殿下とどう対峙するか――」


 迎賓館へ帰る馬車の中で、今日の成果と明日の課題について確認をしていく。


「……うん、そうだな」


「エディ様?」


「お祖母様は、まだ即位のときに十代だったアーガラム国王を影から支えた女性だと聞いているのだが、私の本当の姿は理解してもらえそうにないみたいだ……なんだか、さみしい。欲張りだとわかっているが……」


 最近のエディは欲張りになってしまったのだ。

 以前は、自分という存在が誰かに理解してもらえる可能性に気づかず、最初から諦めていた。

 今は、わかり合える人もいるし、恐らく永遠にそうならない人もいるのだと、きちんと知っている。


「いつか、きっと――などと、私は申しません」


 根拠のない希望を、彼はエディに聞かせない。

 性別の件が明らかになったときからずっとそうだった。彼が理想を語るときは、必ず見えない部分でそうなるための努力をしているときだった。


「そなたの……そっ、そういうところは、……好きだ、ぞ……?」


 圧倒的に彼から与えられるもののほうが多い中で、彼女のほうができる数少ないことの一つが、きちんと愛情を伝えるという行為だ。

 だからエディは下を向いて、小さな声で素直な言葉を口にした。


「ハロルド殿!?」


 視線を逸らした隙にハロルドがエディを抱き寄せた。


「代わりに、私はあなたの一番の理解者ですよ……この先も、ずっと」


 耳もとで囁かれると、くすぐったい。

 馬車の中はかなり冷えているのに、エディ自身が発熱して暑いくらいだ。


「う……うん。嬉しい……。嬉しいのだが……、急に抱きしめられると困るんだ。私はまだ、完璧にはそなたに慣れていない」


「慣れると飽きるは似ているので、エディ様が私に慣れることは一生ないと思います。諦めてください」


 一生ドキドキさせてやるという宣言だった。

 就寝時など、すでに習慣となっている場合はそこまで意識せずにいられるようになっていた。

 けれどハロルドは、慣れを許してくれないという。


「そういうものだろうか……?」


「はい」


 優しくされているのに、時々意地悪に思えてしまう。エディはまだ、夫をよく理解していなかった。理解していないから、毎日心がかき乱されるのだ。

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