3-1

 付け焼き刃の淑女でも、エディは最善を尽くすつもりだった。

 アーガラム国の都に到着した翌日、彼女は謁見用のドレスに袖を通した。

 ドレスは光沢のあるグレーでエディの髪の色を濃くした印象だ。無彩色のドレスは一見地味なようでいて、光が当たると花のモチーフが浮き出るジャガード織りの生地を使っている。

 冬の装いらしい重厚感がありつつも、華やかさを失ってはいない。

 髪はすっきりと結い上げて、うっすらと化粧もしている。結い上げてしまえば、多少の髪の短さは気にならない。

 支度を手伝ってくれたニコラや、いつもアドバイスをくれるヴィヴィアンも出来映えに満足そうだった。


「いかがでしょうか? 旦那様」


 エディは迎えに来てくれたハロルドに問いかけた。

 アーガラム国の誰かにバレる心配がない場所でも、今日は朝から態度に気をつけているエディだ。支度を終えたところで、ハロルドの前で優雅に微笑んでみせた。


「とても美しいですよ。エディ」


 敬称をつけずに呼ばれるだけで、ドクン、と心臓が音を立てた。


「そなた、今日だけはわざと私を動揺させるのはやめてくれないか!? しかも、極力名前を呼ばないように皆に命じたのはハロルド殿だろう!」


 普段からきっちりと服を着こなすハロルドだが、正装姿は妻であるはずのエディでもうっかりすると見とれてしまうほど麗しい。

 苦手にしている「エディ」という呼び方と合わされば、冷静ではいられないに決まっていた。


「敬称がないくらいで動揺するあなたがあまりにも可愛らしいので……つい」


 エディはさっそく淑女らしい態度から素に戻り、頬を膨らませた。するとハロルドが膨らんだ頬にわざと触れるので、冷静になれない悪循環に陥ってしまう。


「朝からイチャイチャしないでくださいませ」


 ヴィヴィアンがあきれている。周囲にそう思われているという事実が、エディの動揺に追い打ちをかける。


「していない!」


「先が思いやられますわね。……お兄様も王女殿下で遊ぶのはやめたほうがいいですわよ。そのうち嫌われたって知りませんわ」


 ハロルドはばつが悪そうだ。

 一応、エディをもてあそんで困らせている自覚が、彼にもあるらしい。


「さて、そろそろ王宮へ向かいましょうか」


「そうだな」


 エディは差し出された手を素直に取った。


「ヴィヴィアン、万が一ロードリック殿下が押しかけてくるようなことがあったら、対応を頼む」


 謁見に出向くのは、ジェイラスとメイスフィールド侯爵夫妻ということになっている。ヴィヴィアンは留守番だ。


「あら、わたくしに任せたらあの方のプライドをぎったんぎったんに踏みにじってしまうかもしれませんわ」


 ヴィヴィアンはロードリックに対し、最も好戦的だった。

 ロードリックがエディを探しているのなら、今日、迎賓館に再突撃される心配は少ない。隣国からの客人の予定くらい、王太子である彼は簡単に把握できるのだから。

 だから、今日に限ってはあまり警戒しなくてもいいだろう。

 五年前、ロードリックと親しかったという認識でいるエディは、とりあえず再びヴィヴィアンとロードリックが対峙することがないように――と願ってしまう。


「……ヴィヴィアン殿は、ロードリック殿が苦手なんだな? あぁ、そう言えばそなたの好きな異性のタイプは線の細い儚げな印象の美少年だったか……。なるほど、たしかに真逆だ」


「それ、どなたがおっしゃったのかしら?」


「……あれ?」


 口にしてはいけない内容だったとエディが気づいたのは、ハロルドがあからさまに視線を逸らしたからだ。


「……へぇ、お兄様ったら! そんなに妹に関心があったのですね?」


「すまない、ヴィヴィアン殿、ハロルド殿」


 異性の好みについての会話など、兄妹のあいだでは普通はしない。

 エディも、ハロルドとの仲についてジェイラスに根掘り葉掘り聞かれたら困る。逆に、ジェイラスがどんな令嬢が好きなのか、姉としては気になるというのが本音だが、本人にたずねる気はなかった。

 空気を読まない発言だった、とエディは二人に謝罪をした。


「もういいですわ。わたくしが、ああいう方を苦手としているのは事実ですし。……さあ、あまり時間がありませんわ。そろそろここを発ちませんと」


「それでは参りましょうか?」


「ええ、旦那様。……ヴィヴィアン殿、不在中のことは頼みます」


 部屋を出たら、エディはティリーン王国の王女で、メイスフィールド侯爵夫人だ。

 今度こそ、ちょっとしたことで淑女の仮面が外れないように注意しなければならない。


   ◇ ◇ ◇



 王宮の入り口にたどり着くと、まずはジェイラスが馬車を降りる。続いてハロルド、彼に手をかりながらエディが続く。

 馬車から降りた瞬間から、両国間の親善目的での公式行事がはじまっている。


 出迎えてくれたのは、大臣の一人だった。彼の案内で謁見の間までの回廊を進む。


「寒くはありませんか?」


 ハロルドが問いかける。

 今日は昨日より雲が多く、かなり気温が低かった。

 謁見用のドレスだと確かに寒い。ただ、一歩王宮内に入ってしまえば、石造りの頑丈な建物が風を遮ってくれるので問題なかった。


「いつも気遣ってくださってありがとうございます。私は大丈夫です」


 エディは隣を歩く夫にほほえみかけた。

 そして、回廊の端には王宮勤めの貴族たちの姿が多くあることに気がつく。皆、隣国からの客人を出迎えるためにここにいるというていである。


「お出迎えの方々がたくさんいらっしゃるのですね?」


 野次馬が多いな――という文句を淑女風に言い換えればこうなる。


 皆、低頭し友好国の王族に対する礼儀を忘れていない。けれど、耳を澄ますと「あれが、元王子の……?」、「王子にはとても見えないが」というささやきが聞こえてくる。

 悪意でも、好意でも、エディはいつも誰かに注目されているので今更なのだが、やはり緊張はする。


「あなたは私だけ見ていればいいのですよ」


 ハロルドが片目をつむってみせる。「他人の視線をいちいち気にするな」という忠告を、蜂蜜漬けにするとこういう台詞になるのだろう。


 やがて謁見の間に辿り着く。

 それぞれがアーガラム国王夫妻に挨拶をし、夫妻からも長旅をねぎらう言葉がかけられた。

 王太后は自分の宮にいて、謁見のあと個人的にエディと語らう時間がほしいとのことだった。


(とりあえず、ロードリック殿がいなくてよかった)


 ロードリックは、別の賓客をもてなすためにこの場にはいないという。

 問題の先延ばしではあるのだが、王太后がどんな人物かを知る前に、ロードリックから決闘を申し込まれたら面倒だった。


 現在三十九歳の国王は、ロードリックと同じ栗色の髪をした、温和そうな人物だった。寄り添う王妃も穏やかな印象で、国王夫妻との謁見は問題なく終わる。


 その後、エディはハロルドだけを伴って王太后の宮に向かった。

 女官の案内に従って、王宮内でも奥の方にある王太后の住まいまで歩みを進める。

 エディは窓の外に広がる景色が、見慣れた自分の国とはかなり違っていることに気がついた。


「ティリーン王国の王宮より、ずいぶんと周囲の塀が高いのですね」


 それは、かつて戦の多かった国の特徴だ。

 仮に王宮内に敵の侵入を許してしまった場合の備えとして、王宮の中も高い塀と鉄の門で仕切られている。

 王宮の入り口に近い場所ではあまり感じられなかった構造の違いが、奥に進むにつれて顕著に表れた。


「戦に備える――それだけではなく、建物内の暖かい空気を逃さない工夫もあるそうですよ」


 小さめの窓を見ながら、ハロルドがそう教えてくれる。


「なるほど、そうでしたか」


 ハロルドは歩きながら、王宮について建築学的な観点からおもしろい話を聞かせてくれた。


「訪問先について調べるのも、旅の醍醐味ですよ」


 この旅への同行が決まったのは、たった一ヶ月前だ。

 それからハロルドは文官としての職務が滞らないように部下に指示を出し、侯爵としての職務も前倒しして片付け、隣国についての事前調査も怠らなかったのだとわかる。

 建物の構造など、知らなくても困らないだろうに、とエディは思う。

 かなり忙しくしていた裏で、そんな部分まで調べていたとは驚きだった。


 いくつかの城壁と門をくぐり、やがて王太后の住まいへたどり着く。

 通された部屋に入ると、白髪交じりの髪の女性がゆったりとソファに腰を下ろしている姿が見えた。


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