幕間 王女の名を忘れてしまった
王女の名を忘れてしまったロードリックは、迎賓館から王宮へ戻り、私室で頭を抱えていた。
なんとか彼女の名前を思い出そうと、五年前の記憶をたどる。
「ティリーン王国のエディ王子は、勤勉でそれはそれは素晴らしい王子という噂です。ロードリック、あなたも見習うのですよ?」
それは、王太后であるロードリックの祖母の口癖だった。
エディとロードリック――王太后にとっては二人とも孫であるはずなのに、異国に住む彼女自身が会ったこともない孫の評判を信じ、誉め称える。
一緒に暮らしているロードリックとしては、おもしろくないのは当然だった。
だから、見聞を広めるために滞在したティリーン王国の王宮で、ロードリックはエディという生意気ないとこに実力の違いを見せつけるつもりだった。
ところが――。
「私の勝ちです。ロードリック殿……。また手合わせをしてください」
年下で、少しだけ背の低い少年に、ロードリックは負けた。
剣術だけではなく、勉学でもエディのほうが勝っている。
(ありえない! ……こんなはずじゃ……)
銀色の髪をした綺麗なだけの細身の――軟弱そうな子供に、ロードリックはなにをやっても敵わない。
エディの「また手合わせをしてください」の言葉の裏に「どうせ勝てるわけがないのですけれど、アハハハッ!」と、馬鹿にする意味が隠されている気がして、彼は憤った。
そこから滞在中の一ヶ月、彼は毎日エディのいる場所に押しかけては勝負を挑んだ。
時々エディの異母弟であるジェイラスも一緒だったが、とにかくロードリックのライバルとなるのはエディだった。
(すまし顔の人形め!)
一つ年上で、同じ王子という立場のロードリックに対し、エディは一見、礼儀正しく接しているように見えた。
けれど、感情の起伏があまりなく、その笑みはうわべだけの偽物だと彼の本能が告げていた。
とにかく気に入らない王子だった。
結局、たった一ヶ月では、なにも変わらない。
ロードリックは一度として勝利できないまま外遊を終え、アーガラム国へ戻った。
それから、剣術、勉学、マナー……ありとあらゆるものを学び直し、エディへの闘争心を糧に努力を重ねてきたのだ。
当然あちらも成長しているはずだ。背は伸び、たくましくなり、さらにいけ好かないキラキラ王子になっているはず。
ロードリックは自分と同じくらいの身長の銀髪美少年を仮想の敵として頭に思い浮かべながら、日々鍛錬に励んだ。
いつの間にか、アーガラム国の王太子は、文武両道で、未来の為政者にふさわしいと言われるようになった。
あとは、もう一度勝負をしてエディに勝利すれば、完璧な王太子になれる――そんなふうに考えていた矢先、ティリーン王国で予想もしない事態が起こったという一報が入った。
「エディ王子が……王子ではなく、王女……? 性別を偽っていたというのか! しかも、すでに降嫁しただと?」
倒すべき相手を失ったロードリックは絶望した。
勝ち逃げをしたエディを決して許すことはできない――。憎しみとは少し違うが、心の中になにか沸々としたものが湧き上がる。それはきっと、行き場を失った闘争心だろう。
納得できない感情を抱えたまま半年が過ぎ、ロードリックに吉報がもたらされた。
国王の在位二十年の式典の折に、エディがやってくるというのだ。
「性別など、関係ない……! 奴を倒すのは私の使命だ!」
性別が明らかになっただけで、エディという存在そのものはまったく変わっていない。
この五年間、銀髪のキラキラ王子様――成長したライバルの姿を思い浮かべながら、血のにじむような努力をしてきたのだ。
エディにはそれを受け止める責任があるはずだった。
そして、ティリーン王国からの客人が到着したという連絡を受けたロードリックは、すぐさまエディが滞在している迎賓館に乗り込んだ。
そこにいたのは、儚い印象の銀髪の美少女だった。
銀髪は、ティリーン王国の王族に多い。「お久しぶりです」という挨拶は、つまり五年前に面識があるという意味だ。
(ティリーン王国の王女の誰か……年齢からして二番目の王女だな!)
五年前に一度挨拶だけしたが、髪の色以外まったく思い出せなかった。
(な……名前は……名前は……っ!)
仕方なく、彼女を「王女」と呼び、その場を乗り切ることにした。
そのうち王女の周囲にいる誰かが、彼女の名前を呼ぶだろうと考えたのだ。
(おい、そこの侯爵の妹とやら……。王女の名前をなぜ呼ばない?)
ヴィヴィアンという名の黒髪の令嬢は、一向に王女の名前を呼ぶ気配がない。
しかも、肝心のエディは旅の疲れで部屋に籠もっているらしい。
(軟弱な。あのような繊細そうな王女がしっかり起きているのに、真っ昼間から休息だと――? この私がたるんだ根性を鍛え直してやろう!)
結局、最後まで王女の名前はわからないまま、ロードリックは迎賓館を去ることとなった。
「だめだ、やはり思い出せない……!」
いくら昔の記憶を呼び起こそうとしても、脳裏に浮かぶのは生意気なエディ王子の顔ばかりだ。
「ロードリック殿下、いかがなさいましたか?」
執務用の机に肘をついて悶々としていると、侍従が訝しげな視線で問いかけてきた。
王宮には、国内や隣国の王侯貴族、重要人物について記された資料がある。侍従に資料を持ってこさせれば、もちろん王女の名前など簡単にわかる。
(だが、……もてなす側として当然知っていなければおかしい内容を、今更慌てて調べるなどと、この私ができるはずがない!)
ロードリックのプライドは、アーガラム国の北側にそびえ立つ山脈よりも高かった。
「……なんでもない」
ティリーン王国の一行は、十日ほどこの国に滞在するはず。
そして同世代の王族で、同じ世継ぎの王子という立場上、少なくともジェイラスとは会話をする機会がたくさんあるだろう。
さすがに妹ならば名前で呼ぶだろうから、それまでじっと待てばいい。
「銀の……いや、まるで雪の妖精だ……降り積もる雪のような汚れのない乙女だ……」
「ロードリック殿下……?」
「独り言だ」
明日、ティリーン王国の一行は、国王や王太后との謁見をするらしい。
けれど、国王即位二十年の式典と関連行事に招待されているのは、一国だけではない。ロードリックはほかの国の代表をもてなす必要があるため、彼らには会えない。
「だからわざわざ今日出向いたというのに! あの軟弱者め……」
ロードリックはその日一日、憎き元王子と妖精のような王女のことを交互に考えて、まったく執務に身が入らなかった。
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