2-4

 壁側で眠っていたエディが、馬車の方向転換と同時にハロルドの方にもたれかかってくる。ハロルドは彼女への負担を少しでも減らしてあげたくて、膝を貸すことにした。

 甘えたくなかったのか、エディが目を擦りながら身じろぎをした。


「……いいから、眠っていてください」


 ハロルドが声をかけると、彼女は安心したのかすぐにスー、スー、と穏やかな呼吸で再び深い眠りに落ちていった。


「眠ってもいいとは言ったが、三人しかいない空間でイチャイチャしないでもらいたい。ものすごく気まずいのだが……」


 ハラリと落ちた銀の髪に触れていると、ジェイラスから苦情が来た。


「申し訳ありません、まだ新婚気分が抜けないもので」


 ハロルドは中途半端な長さに伸びたエディの髪をそっと耳にかけてから、彼女に触れるのをやめ、枕役に徹した。


「姉上、……幸せそうだ。王子だった時代は、姉上の孤独を理解しようとせずに優秀な第一王子に嫉妬したり、性別詐称が明らかになった直後は勝手に失望したり……。今のような関係になれるとは考えもしなかったな……」


 ぐっすり眠っているエディを起こさないくらいの小声で、ジェイラスが姉に対する思いを語りはじめる。

 ハロルドとジェイラスは、エディに関する件で頻繁に連絡を取り合っている。

 けれど互いに忙しいため、用件だけを済ませる短いものだ。だから、こんなふうにゆっくり話をするのははじめてだ。


「今のような関係、ですか?」


「姉上は、私の前で弱い部分を見せる人ではなかった。悪い変化だと言いたいわけではないのだが……」


「わかります。……私の前でもそうでしたよ」


 誰かに弱みを見せているのは、信頼の証だ。

 第一王子だった頃のエディは、貧血で意識を失っても誰かを頼ろうとなどしない人物だった。

 そんな彼女が苦手な部分を認めて、助けてほしい――と、素直に口にできるようになったのは、好ましい変化だ。


「侯爵が姉上を変えたのだろう? きっと、姉上と侯爵は理想的な夫婦なんだろうな」


「理想的な……? そうなれる努力は惜しみませんが、私たちはきっとまだ真の夫婦とは言えないのでしょう」


「そうだろうか?」


 ジェイラスが、眠っているエディとハロルドを交互に見ながら首を傾げる。


「エディ様は味方のいない状況で、ずっと一人で生きてきたんです。突然手を差し伸べる者が現れれば、好意を抱くのは当然ですよ」


 エディは間違いなくハロルドに特別な感情を抱いている。そしてハロルドも、エディを愛しみ二人で幸せになりたいと強く思っている。

 けれどいつも考えてしまうのだ。もし彼女に手を差し伸べた人間が自分ではなかったら――と。

 仮定の話をしても意味がないことは、ハロルドも十分わかっているのだが。


「だが、姉上は……依存を愛情と勘違いしているとは思えない。あなたの負担になるのを恐れて、離婚しようとしていたくらいなんだから」


「ええ、ですが普通の夫婦ではないのも事実です。……本当は恋人くらいの関係なんですよ。それから兄や父親の役割を兼任しているのかもしれません」


 ハロルドが男の一面をわざと見せると、エディはすぐに動揺する。

 今回も、ヴィヴィアンやニコラを連れていきたがったのは、そのあたりに理由がある。

 ハロルドがヴィヴィアンたちの同行を認めたのは、もう少しだけエディを待ってあげたいという思いからだ。

 エディは十六年間、愛情を知らずに育った。急にハロルドが与えるすべての愛を受け止めろと言っても心の成長が追いつかないのは当たり前だった。

 そうは言っても、二人きりになればエディについ、自分の感情を押しつけようとしてしまう。

 だからハロルドとしても、適度な逃げ場になってくれるヴィヴィアンの存在は必要なのかもしれない。


「いや、それって結局のろけなんじゃ……? 全部の役割をあなたが独占しているという……」


「私は、エディ様の前に――例えば完璧な王子様が現れても、まったく揺るがないくらいの絆がほしいんですよ」


 今のエディは、自分のことをなんでも自分で決めていい立場だ。

 王子の頃のほうがたくさんの権利を有していたと彼女は勘違いをしているようだが、それは違う。彼女はただ、王子として正しい采配をしていただけで、性別を明かすことすら自分の意志ではできなかった。

 ハロルドはエディが誰よりも自由であることを望んでいる。なんでも選べる立場の彼女に選ばれたいのだ。


「だからそれって、のろけでしょう! ……あぁ、そうだ。王子様といえば、アーガラム国のロードリック殿には気をつけたほうがいい」


「エディ様のいとこにあたる方ですし、ロードリック殿下とは親しくされていたようですが?」


 いったいなにを気をつけるのか、ハロルドには見当がつかなかった。


「親しく……?」


「ええ、毎日剣の鍛錬を一緒にするほど仲がよかったとうかがっております」


「い、いや……。ロードリック殿は一方的に姉上を敵視して、毎朝姉上に手合わせを強要し、勉学でも負けて、捨て台詞を吐いて立ち去るような人物だったはずだが……?」


 毎日剣の鍛錬を一緒に行っていたという部分は、確かにエディの話と一緒だ。けれどジェイラスが抱いた隣国の王太子への印象は、真逆だった。


「私の調査では、文武両道で評判のよい人物のようですが」


 エディが気にかけていた人物だったため、ハロルドはロードリックについての調査をしていた。

 とくに悪い噂はなく、向上心の強い立派な王太子――というのが、アーガラム国内での彼の評判だ。


「優秀な方だからこそ、プライドも高いというのはよくあると思う」


「……そうですね。エディ様は中途半端な悪意を歪曲する悪癖がありますから……ジェイラス殿下のご忠告に感謝申し上げます」


 生まれながらにして、無関心と敵意という二種類の感情しか向けられたことがないせいなのか。

 エディは中途半端な悪意には鈍感で、むしろ好意的に解釈してしまう癖がある。

 エディとジェイラス、どちらに客観性があるのかは明らかだ。


「マーティナ王太后とロードリック殿下……。私より姉上のほうに問題が山積しているみたいで心配だ」


「エディ様は私がお守りいたします……。それから、できる範囲で暴走も止めますよ」


「……時々、侯爵が煽っている気がしているのだが?」


「気のせいでしょう」


 ハロルドはただ、エディに自由でいてもらいたいだけだ。

 それに彼女を文官に起用するという前代未聞の提案は、ジェイラスからなされたものだ。

 だから彼にだけは、エディを煽っているなどと言う権利はないだろう。



 一行は、大きなトラブルに見舞われることもなく、十日後、アーガラム国の都にたどり着いた。

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