2-3
一行は三台の馬車に分かれてアーガラム国へと旅立った。
王族と高位貴族を守るため、前後を護衛の兵で固め、厳重な警備が敷かれている。天候に問題がなければ、十日ほどの旅路となる。
滞在も十日ほどの予定だから、全部で約一ヶ月の長い旅となる見込みだ。
エディは、ジェイラスとハロルドと一緒の馬車に乗り込んだ。これは車内でこれからの方針などを話し合うためである。
「侯爵夫人は今日も男装なのですね」
「はい。国境を越えるまでは、ジェイラス殿下の書記官としての役割を果たすつもりですから」
影の国王がマーティナ王太后である――などと言われているが、アーガラム国にも女性の文官はいないし、男装の元王女などきっと受け入れてはもらえない。
ジェイラスの補佐をしている部分まで隠すつもりはないエディだが、アーガラム国に入ったら男装はやめるつもりだった。
「あの、やはり他者の目がないときは、姉と弟でいませんか? 姉上と侯爵に気遣われながら同じ車内で長時間過ごすのは、私としても疲れるので」
「……わかった」
彼の提案は、エディにとっても嬉しいものだった。
いつもの言葉遣いのほうが楽だから、という理由ではない。エディはジェイラスの臣ではあるのだが、姉と弟の関係も残っているのだと認めてもらえている気がしたのだ。
「それで、侯爵。北方の――ルガランドの情勢はどうだろうか?」
ジェイラスがハロルドにたずねる。
ルガランドはアーガラム国の北方にある一地方だ。
ただし、遥か昔は一地方ではなく一国家であり、アーガラム国が併合した過去がある。ルガランドには、今でも独立性を重んじる風潮があるという。
重んじる――というより、隙あらば独立するつもりという印象だ。ただし、声は大きいが争いにまで発展する可能性は低い。
最後に小規模な反乱が起こったのは、先代国王の時代――三十年ほど前だ。
「目立った動きはありません。これから冬になりますから、この時期になにかが起こる可能性はまずないでしょう」
北側のルガランドはとくに深い雪に覆われる地域だ。
そのため、冬は移動手段の確保ができず、基本的に争いは起きない。
「諸外国の代表を招いての大規模な祝賀行事には、王家の威光しらしめて、ルガランドを抑え込む意図があるのだろう」
ジェイラスがそうまとめた。
エディもハロルドも、彼の見解に同意して、深く頷く。
最近、次期国王としての自覚を持ち日々努力をしているジェイラスの成長は著しい。エディは誇りに思うのと同時に、やっぱり負けてはいられないと感じるのだった。
その後は、滞在中の予定を確認する。
行動予定の作成は、エディが担当している。
「隣国からの代表者を歓迎する舞踏会、それから国軍の精鋭部隊による騎乗模擬戦闘も予定されているみたいだ」
「アーガラムは、軍用の丈夫な馬の産地として有名ですからね」
「模擬戦闘の観戦は無理でも、乗馬はしてみたいな。……うーん、ジェイラスの予定はほぼ決まっているが……問題は私だな……。マーティナ王太后がどう出てくるのかわからない」
ジェイラスは十日間の滞在中、公式行事に参加し、空き時間にはアーガラムの国王や王太子と対談を行ったり、特産品などを見て回る予定だ。
それに対しエディは一部の行事への参加はするが、あまり予定がない。
こういった場合、女性は女性同士――マーティナ王太后や、王妃が主催する茶会などに参加するはずだった。
ヴィヴィアンが助けてくれるとしても、かなりの緊張を強いられる。
「はぁ……」
思わずため息が溢れる。
今から心配ばかりしても意味がない。そうわかっているはずなのに、エディは昨晩、はじめての旅への期待と不安で眠れなかったのだが。
「エディ様?」
「すまない。できる限りの淑女レッスンはしたのだから、自信を持って臨むつもりだ」
「きっと楽しいこともありますよ、姉上」
「そうだな」
ジェイラスがなぐさめてくれる。実際、外国へ行ってみたいと願っていたし、祖母に会ってみたいという思いも本物だ。
ひとまず職務上の話を終えると、気持ちが一気に緩む。
窓の外には騎乗した兵が、エディたちの馬車を守っている。馬の尻尾が揺れている様子を眺めたり、葉の落ちた木々を見つめているとあくびが込み上げてくる。
「……雪が見られたらいいな」
レッスン疲れと、睡眠不足。それから適度な揺れのせいでエディは急に睡魔に襲われ、目を開けているのが辛くなってしまった。
「そうですね。私と姉上が物心ついたくらいから、ティリーン王国では積雪はありませんでしたからね」
コクン、コクン、と頷いてみるが、完全に船を漕いでいる状態だ。
「……エディ様? もしかして眠たいのですか?」
「あぁ、すまない。……揺れが心地よくて」
弟とはいえ、主人であるジェイラスが同乗しているのだ。臣がこんな態度ではいけないと思い、エディは懸命に目を開ける。
「エディ様は淑女レッスンでお疲れだったのでしょう。少し眠られてはいかがですか?」
「いや、大丈夫だ」
「姉上。これからしばらく一日中移動なんですよ? ここにはあなたの夫と弟しかいないのに、遠慮なんておかしいです。私だって、途中で絶対眠くなりますから。ほとんどやることはありませんし、文字を読むと酔って気分が悪くなります」
国の中にいる限り、ジェイラス付きの書記官でいようと思っていたのに、二人に言われると甘えてしまう。
「……うん。ありがとう二人とも」
エディはそっと馬車の壁にもたれる。硬いが、伝わる振動がなぜだか心地よくて、もう眠気に抗えなかった。
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