2-2

 お茶の時間のあと、アーガラム国で必要になるドレスやコートを用意するために、仕立屋を呼んで採寸をした。デザイン選びが終わると、もう昼食の時間だった。

 食事を終え、午後はハロルドと一緒にダンスのレッスンだ。


「王女殿下。無駄にキビキビしてはいけませんわ。なぜステップを踏むごとに、足音を立てるのですか?」


 ヴィヴィアンは、ピアノでワルツを奏でながら、檄を飛ばす。


「だって、わからないんだ。優雅さとだらしなさの違いが!」


 エディはジェイラスの誕生日を祝う舞踏会で、ダンスを披露している。

 ダンスレッスンも、悪妻をやめようと決意したあとは時々していた。記憶力はいいので、ステップは間違えない。

 ステップが合っていれば、それで上手く踊れる気でいたのだが、大きな間違いだった。


「そろそろわかっていただかないと、間に合いませんわ」


「でも、相手がハロルド殿だったら、それなりに上手く踊れる気がしている。……そなた、ダンスが上手いな。ハロルド殿と一緒に踊るのはいつも楽しい」


「私もですよ、エディ様」


 彼のリードに合わせていれば、あまり次に出す足のことを考えずに踊れる。彼が上手だからこそ、エディのダンスはヴィヴィアンの基準で及第点に至らないのだろう。


「ですから、レッスン中は、言葉遣いを改めてくださいませ。『旦那様のリードがお上手なので、時間を忘れてしまいそうですわ』でしょう?」


 ヴィヴィアンの言葉を受け、ハロルドの表情に輝きが増す。「さぁ、どうぞ。遠慮なく夫を賞賛する言葉をもう一度」と期待を込めたまなざしだ。


「だ……だん、旦那様のリードが……お上手なので…………ですわ」


 そういうふうに催促されると、今まで平気だったものが平気ではなくなる。

 距離が近いのも、腰に回された腕の強さも、妙に意識してしまう。

 モゴモゴと言葉が尻つぼみになる。「旦那様」という呼称はまだ慣れない。使おうとするとそのたびに赤面するのだ。


「あ、すまない。ハロルド殿」


 気恥ずかしさのせいで、エディはステップを間違える。ハロルドの足を思いっきり蹴ってしまった。


「ですから、『……旦那様、大変失礼いたしました。お怪我はありませんか?』でしょう!」


「今は嫌だ! 言いたくない。……誰かが聞いているときだけ頑張るから。ダンスに集中させてくれ」


 旅立ちまでに、ダンスと言葉遣いの両方を矯正しなければならないにしても、最初から同時に行うのは無理だった。

 とくに、ハロルドが相手だと平常心ではいられなかった。


「エディ様のなさりたいように。私は、恥ずかしがり屋のあなたが好きですから」


 彼はきっと、意地悪で言っているのだ。

 どこまで踏み込んだらエディが恥ずかしがるのか、困るのか、すべてを知っているのだから。

 その後はおしゃべりをせず、なんとか一曲を通しで踊り終える。

 ヴィヴィアンの採点は、「次回の休日にもう一度レッスンを」というもので、合格のお墨付きはもらえなかった。


「でも残念だ。ハロルド殿とならば、それなりに踊れる自信があるのだが……」


 動揺を隠すための強がりで言った言葉だ。

 アーガラム国の舞踏会では、ジェイラスがエディのパートナーとなるはずだ。

 残念だ、と言いながら、どこかに安堵の気持ちがある。エディはジェイラス付きの書記官になってから、弟に対する言葉遣いを改めている。

 だからハロルドが相手のときとは違い、その部分は意識しなくていいのだ。なにより、弟が相手ならばドキドキせず、常に平常心でいられる。


「私以外の、どなたとダンスをなさるおつもりですか?」


「え……?」


「私が、あなたを一人で外国に行かせると思っているのですか?」


 行かせるわけがないという意味だとすぐにわかる。アーガラム国への訪問についてはすでに許可を得ている。それなのに、一人で行かせないとなると――。


「ハロルド殿?」


「言ったでしょう? とても忙しくなると。……留守中の職務が滞らないように手配して、メイスフィールド侯爵夫妻として正式に招待してもらえるように、交渉して――」


 ハロルドの「交渉して」が「暗躍して」に聞こえてしまうのは、エディの気のせいだろうか。


「――それから、せっかくですからジェイラス殿下をお支えする役割も……。旅のあいだは仕える者を増やすべきですから、立候補させていただきました。ですから、私も職務としてアーガラム国へ同行いたします」


 また「立候補」が「強引にねじ込んだ」に聞こえた。

 確かに、ジェイラスが長期間王宮を不在にするため、随行員は必要だ。

 普段の執務をよく知っている者の何人かをティリーン王国に残す必要もある。

 エディもジェイラスの補佐をするつもりでいるが、彼女のほうがむしろ問題を抱えているため、それもままならない。

 ハロルドの手助けはありがたいはずだった。


(でも、旅のあいだずっと一緒……? なんだか落ち着かない……)


 夫婦なのだから、そんなふうに感じるほうがおかしいとわかっていても、四六時中一緒にいるのは心臓が持ちそうにない。

 それはエディのせいではなく、彼女の心がハロルドに近づくより先に、彼が一歩内側に踏み込んでこようとするせいだ。


「新婚旅行みたいですね?」


「新婚……そうだな。……ハハ」


 エディは旅先での一日を想像してみる。

 馬車での移動の最中、ずっと甘い言葉を囁かれていたら、きっとエディの心臓はとろけて壊れてしまう。


「……ヴィヴィアン殿、あの!」


 エディはピアノの前に座っていたヴィヴィアンに助けを求めた。


「お断りいたします」


「まだなにも言っていないのに!」


「わたくしに同行しろとおっしゃるのでは?」


 図星だった。ハロルドとの接し方がわからなくなると、ヴィヴィアンを頼るのはエディの常套手段だった。


「だって、ヴィヴィアン殿がいてくれたなら、旅の最中もレッスンを続けられるし、それに式典に合わせてアーガラム国の都でも大きなお祭りがあるというし、きっと楽しいと思うんだ」


 エディは、ハロルドと二人きりだと困るという理由以外にも、ヴィヴィアンが一緒だったらいいという理由を必死に考えて、並び立てる。


「……お祭り、ですか?」


 ヴィヴィアンは楽しいもの、めずらしいものが好きだ。明らかに興味をそそられている。


「うん。何日も続くお祭りがあると聞いている。公式行事と視察があるけれど、一日くらいお忍びで、町を見て回れるはずだ」


「そうですの……楽しそうですわね」


「でも、同行してほしい一番の理由は、そなたが頼りになるからだ」


 エディの言葉は嘘ではなかった。淑女らしい振る舞いについて、アーガラム国でなにか起こった場合に相談できる人はいたほうがいい。

 エディのわがままが、ハロルドを傷つけるかもしれないとわかっていた。それでも――。


「ヴィヴィアン、私からも頼む」


「ハロルド殿?」


 エディは思わず彼の顔を仰ぎ見た。予想していた反応と現実が異なる。


「そのほうがエディ様は安心できるのでしょう?」


 ハロルドはエディの頭を軽く撫でて、今の言葉が嘘や強がりではないのだと教えてくれる。


「うん……」


「お兄様の許可があるのなら、お断りする理由はとくにありませんわ」


「ありがとう! 頼りにしている」


 エディはピアノの前に座っていたヴィヴィアンにギュッと抱きついた。


「ちょっと、王女殿下。そんなにはしゃがないでくださいませ。まだレッスンの途中ですのに」


「……ああ、すまない」


 ハロルドの許可が出たため、旅の一向にヴィヴィアン、そして侯爵家付きのメイドとしてニコラも加わることとなった。


 出仕した日は、アーガラム国についての調査書をまとめ、ジェイラス付きの書記官の職務に励む。夕方と休日は淑女レッスン。それからヴィヴィアンやニコラと旅に必要なものを買いに行く。


 そんな生活を続け、一ヶ月。


 アーガラム国へ向かって旅立つ朝を迎えた。

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