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 国王の執務室での話を終えたエディとジェイラスは、旅支度をはじめた。

 と言っても、荷造りではない。

 アーガラム国の王族や有力者についての情報をまとめ、頭にたたき込んでおくこと。

 滞在中、視察に行く場所、会談などをする相手を事前に決めて打診しておくなど、するべきことがたくさんあるのだ。

 せっかく外国へ行くのだから、ただ即位二十年の式典に参列して帰ってくるだけでは終われない。

 隣国には、ティリーン王国にないもの、見習うべきものがたくさんある。

 世継ぎの王子であるジェイラスにとって、有意義な旅にしなければならない。そのための

資料をまとめるのが、書記官としてのエディの職務だ。



 執務室にはジェイラス付きの文官――エディの同僚が常に二、三人いて、分野ごとに手分けをしながら必要な資料をまとめていた。

 皆が疲労を感じた頃になると、女官のマーサ・ハットンが紅茶とケーキを用意してくれた。

 エディは甘いもので英気を養ってから、再び職務に勤しむ。


 まずは地理や気候に関する本に目を通していく。


(滞在中……雪が降るかもしれない)


 エディは執務室の外に広がる景色を眺める。

 王宮の針葉樹コニファー庭園に植えられた木々も紅葉し、王宮を訪れる者たちに深まる秋を感じさせてくれる。

 一ヶ月後。エディたちが旅立つ頃は、冬のはじまりだ。


 エディは雪が降りしきる大地を見た経験がない。

 ティリーン王国の都は比較的温暖な気候で、滅多に雪は降らない。降ったとしても、積もらずに解けてしまう。

 一方、山脈を越えた場所にあるアーガラム国は、北に位置し標高も高い場所にあるため、真冬は雪に閉ざされる。


(積もってしまうと、帰国が大変になるのだけれど……雪が見られたらいいなぁ)


 そんなことを考えながら、まとめた書類をジェイラスのもとへ持っていく。


「どうなさったのですか? ジェイラス殿下。なんだか心ここにあらずといったご様子ですが……」


 ジェイラスは国王の執務室を出たあたりから、ずっと浮かない表情だ。アーガラム国王への祝辞を考えている最中のはずだが、まったくペンが動いていない。


「……もう! 誰のせいで……。侯爵夫人は逆に堂々としすぎですよ!」


 顔を上げたジェイラスは、なぜか怒っている。

 思い当たる節のないエディは首を傾げた。


「ジェイラス殿下ははじめての外遊が不安なのですか? 大丈夫ですよ、私も一緒ですし。一ヶ月先の予定を深く考えすぎると、体に悪いですよ」


 不安ならばその原因を取り除くため、まずは旅に必要な知識を得るべきだ。ペンが動かなくなっては意味がない。


「……私が心配しているのは、あなたのことです! マーティナ王太后は、十代で即位されたアーガラム国王を支えた、大変厳しいお方だというではありませんか」


 アーガラム国王は、現在三十九歳。即位したのは十九歳だ。

 若き王を支えてきた王太后は、影の国王などと言われている。自分にも、臣にも大変厳しい人物だという噂だ。


「ご心配には及びません。私が王太后を納得させる素晴らしい淑女であればいいだけですから」


「……いや、だから……そこが問題なのですが?」


 フーッ、とジェイラスはため息をついて机に突っ伏した。


「ジェイラス殿下、なにをおっしゃっているのですか? 今は男装ですけれど、ドレスをまとったらきちんとした淑女です!」


 ジェイラスのため息は、エディにとっては心外である。


「……以前から思っていたのですが、姉上の自信は時々根拠に乏しいときがありますよね?」


「そんなこと! 義妹のヴィヴィアン殿や屋敷のメイドから『見た目だけなら完璧な淑女』だと太鼓判を押されていますから、問題ありません」


 出仕するときは男装だが、エディはドレスで着飾るのが好きだ。

 髪の長さは一般的な王侯貴族の女性としては、まだ短い。けれど半年と少しのあいだに伸びて、まとめれば不自然さはない長さになっている。

 最近、王宮内では男装が多かったため、ジェイラスは姉のドレス姿を忘れてしまったのだろうか。


「あの……姉上。おそらく、注目すべきは『見た目だけなら』の部分です」


「なにが言いたいのですか?」


「つまり、……見た目以外は、ダメダメなんですよ。……姉上は」


 一瞬、意味がわからず、エディは何度もまばたきをした。

 頭の中に「見た目以外は、ダメダメなんですよ」というジェイラスの言葉が、何度も響く。


「……う、嘘だ!」


 動揺したエディは、言葉遣いが弟に対するものに戻っていた。


「本当です」


 エディは紅茶のカップを片づけているハットンに視線を送った。客観的な意見を聞きたいという期待のまなざしだ。

 ところが、彼女は口もとをヒクヒクとさせ、ぎこちない笑みを作りながらあからさまに目を逸らす。

 答えたくない――という態度だ。


「嘘だ……。だって、ジェイラス殿下に対しては、丁寧な言葉で接しているではないか!」


「本当です。それに、言葉遣いが丁寧だからといっても、女性らしいとは限らないでしょう。メイスフィールド侯爵だって、いつも丁寧じゃないですか?」


 ジェイラスが念を押してくる。

 それでも信じられないエディは、ほかの同僚にも視線を送る。

 ジェイラスの側近たちはエディと目が合うとあからさまに視線を逸らし、「手もとの書類に集中しています!」という演技をはじめた。


「嘘……!」


 最近のエディは、ほかの文官とも信頼関係を築けているのを自覚する日々だ。

 彼らがエディを蔑ろにして、聞こえていないふりを装っているのではないとさすがに察した。

 彼らの胸の内にあるのはきっと、とどめを刺したくない、という良心だ。


「認めたくない……」


 エディはショックを受けて、しばらく職務が手につかなくなった。

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