第2章 良妻編
1-1 隣国から届いた手紙
隣国から届いた手紙を受け取ったエディは、差出人の名前を確認し驚いた。
「アーガラム国のマーティナ王太后から、私宛の手紙……ですか?」
アーガラム国は、ティリーン王国の北に位置する国である。王太后とは、先代の国王の妃に与えられる称号だ。
そして、アーガラム国はエディの母の祖国であり、マーティナ王太后はエディの祖母ということになる。
「そうだ」
国王が、静かにエディの問いに答えた。
ここは国王の執務室。
つい先ほどまで、エディは文官としての職務に励んでいた。
そんな中、急な呼び出しがあり、エディはジェイラスと一緒に国王の執務室を訪ねた。
今は部屋の中央にある会議用のテーブルを三人で取り囲むように着席している。家族団らん――だったらいいのだが、当然そんな雰囲気ではない。
エディの性別が明らかになってから、ジェイラスとの関係は劇的によくなった。
現在は、世継ぎの王子とそれを支える女性文官という関係にも慣れはじめている。そして、休憩のときはごく一般的な姉と弟がするような世間話もできるようになった。
国王も過去の振る舞いを反省し、今のエディを認めようとしてくれているような様子は見て取れる。けれど、十六年まともに向き合ってこなかった父と娘の関係が、すぐにどうにかなるわけではなかった。
険悪ではないが気まずいまま――とりあえず国王、王子、王子付きの書記官というそれぞれの役割で話し合いの場にいる。
「マーティナ王太后は、私にアーガラム国王陛下の在位二十年の式典への参列を求めておられるようです。それから、『大変な出来事があなたの身に降りかかりましたが、立派な淑女になったところを見せて、安心させてほしい――』と……」
エディは王太后からの手紙に目を通し、かいつまんで二人に聞かせた。
「うむ……」
「式典には、父上の名代として私が参列する予定ではなかったのですか?」
そう問い質したのはジェイラスだ。
式典への参列については、数ヶ月前に打診があり、ティリーン王国の代表としてジェイラスが赴くことがすでに決まっていた。
それが今日になって、エディの訪問を促す手紙がアーガラム国から届いたというのが現在の状況だった。
「ジェイラスが我が国の代表であるのに変わりはない。……マーティナ王太后は、個人的にエディを招きたいのだろう」
エディにとって、王太后は祖母であり、アーガラム国王は伯父にあたる。国の代表としてではなく、エディ個人への誘いがあってもおかしくはない。
もちろん、孫に会いたいからという単純な理由で手紙を送りつけたはずもない。
裏には、エディの性別詐称とそれに伴う王妃への処分の件で、なんらかの思惑があるはずだ。
エディの性別詐称のそもそもの原因は、国王が隣国からやってきた王妃を蔑ろにしたことが発端である。
けれど、アーガラム国はこの件について一方的に抗議ができる立場ではなかった。
なぜ、国家の基盤を揺るがしかねないほどの罪を犯すような人物を嫁がせたのか。そもそも、王妃に政略結婚で嫁ぐ者としての適性と覚悟があったのか――という送り出した側への責任も追及されるからだ。
この一件は、どちらかの国が相手国を糾弾しようとすると、泥仕合になることがわかりきっている。
ティリーン王国側は、自主的に王妃への処分を甘くして、アーガラム国の王族であった人物への配慮を見せた。
アーガラム国はそれで納得し、この件をティリーン王国の内政問題として、関わらないというのが基本的な立場のようだった。
国としての公式の立場はそうなのだが、はたして王太后個人はどう思っているのだろうか。
「……父上、断ってください。メイスフィールド侯爵夫人――いいえ姉上は、この件に関わるべきではないと、私は考えます」
ジェイラスはきっぱりと断言する。
最近の彼は、以前よりもはっきり自分の意見を口にするようになっていた。それが世継ぎの王子としての責任だと考えているのだ。
「ですが、ジェイラス殿下。マーティナ王太后からの個人的なお誘いであれば、私もただの血縁として応じるかどうかを検討するしかありません」
「それは……そうかもしれませんが……」
国としての正式な要請ではなく、王太后個人からの招待だ。
そう主張されてしまうと、政治的に妥当かどうかではなく、王太后に対する誠意の問題になってくる。
孫に会いたがっている高齢の王太后に、エディが会いに行くか、それとも冷たく断るか――。
たとえ、赴いた先で好奇の目に晒されたとしても、エディが手紙を無視することは難しい。
「ですが、やはり納得できません。……これは外交問題です。すでに降嫁されている姉上を巻き込むのは間違っています」
「ジェイラス殿下……」
「だってそうでしょう? 姉上はこの件で、もう一度傷つく必要はないはずです」
エディは王太后の望みなら、アーガラム国へ行くべきだと考えていた。降嫁していても、王家に生まれた者としての義務があるからだ。
ジェイラスは融通の利かない性格だ。それは短所でもあり、長所でもある。
そして今回、少なくともエディは彼の言葉に救われた。
「ありがとう、ジェイラス」
完全に姉に向けられた言葉だと感じたエディは、あえて以前の呼び方で弟に感謝を伝えた。
それから彼女は、一度大きく深呼吸をしてから、二人に向かって決意を語る。
「……私はアーガラム国へ赴き、マーティナ王太后にお会いしたいと考えます。孫である私の口から説明すれば、わずかでも不満を取り除ける可能性はありますから」
「姉上……、ですが」
「大丈夫です! 孫の顔が見たいというのですから、お断りする理由はありません。手紙には『立派な淑女になったところを見せて』と書いてあるのですから、そのとおりにすればいいでしょう?」
確かに血縁ではあるのだが、エディはマーティナ王太后に一度も会ったことがない。
性別詐称がバレてしまう可能性をかんがみて、体が弱いのを理由にし、外遊を避けていたからだ。
人となりすら噂でしか知らないというのに、悪意で呼びつけたとは思いたくない。隣国に嫁いだ娘、そして孫が気になるのは、人として当然だった。
エディ個人としても、祖母に会ってみたいという思いがある。
だから自信を持って、自らの決意を語る。
「りっ……立派な淑女……?」
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ……」
なぜだかジェイラスの声がうわずっていた。
そんなに心配することはないのに、とエディは真面目な弟が安心できる言葉を探す。
「今の私にできるのは、この件が外交問題に発展しないように、ティリーン王国が誠意ある対応をしていると、あちらに印象づけることだけです。それに、ジェイラス殿下の外遊に、書記官として同行できるのは嬉しいです」
せっかくジェイラスと一緒に隣国訪問をするのならば、文官として彼を支える役割もしっかり果たすつもりだった。
「わかった。では、二人とも旅の準備をしておきなさい」
「……はい、父上」
「かしこまりました、陛下」
国王から呼び出しがあったとき、エディはなにかよくないことでもあったのかと身構えた。
確かに国家間の思惑が絡み、難しい対応が求められる事案ではある。
それでも、エディは前向きだ。はじめて異国の地を訪れる期待で胸を膨らませ、国王の執務室を出た。
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