6-3

 王宮内で職務に励んでいたハロルドは、ジェイラス付きの女官マーサ・ハットンの訪問を受けた。


「エディ様がカーシュ夫人に呼ばれた?」


「はい。文官としての職務を邪魔されたことに腹を立てておいででしたので、無茶をされたらどうしようかと心配になりまして、侯爵閣下のご判断をおうかがいしたいのです」


 ハロルドは、エディのことならばなんでも知っておきたいと考えていた。『エディ王女殿下を見守る会』なるあやしげな集団の存在は、もちろん把握済みである。

 直接エディと話したことのある者だけではなく、エディの逸話を聞いただけで入会する者もいて、会員の数は増え続けているという。

 陰から見守られるのを好まないため、ハロルドとしては公認するつもりのない集団だが、無害だという認識だった。

 そしてこの金髪の女官は、『見守る会』の会員だ。


「カーシュ夫人か……」


 カーシュ夫人は謀略とは無縁の人物だ。ただ一つ懸念事項があるとすれば、フォーブスという男が夫人付きになっていることだ。

 ジェイラスは、男を取り立てた張本人であるカーシュ夫人に監督責任と処罰を押しつけたのだ。


 ハロルドは、エディのことに関してはジェイラスとよく相談をしている。だから当然、フォーブスが今、どのような扱いになっているのかを把握していた。

 広い王宮内で、政にまったく関わらないカーシュ夫人が、エディと出会うことなどないと考えて、エディ本人には話をしていない。


 まさか夫人と一緒のときに、フォーブスがエディになにかを仕掛けるとは思っていないハロルドだが、なんとなく気持ちの悪さを感じた。


「まぁ、エディ様が暴走して、いらぬ騒ぎを起こしてもいけませんし……念のため迎えに行きましょう。知らせてくださって感謝いたします」


「もったいないお言葉です!」


 ハロルドは早速、ハットンという名の女官と一緒に、エディがいるはずの南の宮に向かった。

 多くの文官が働く場所から、建物同士を繋ぐ回廊を歩き南の宮に向かう途中、焦った様子の女官に出くわした。


「あの! ……大変失礼ですが、メイスフィールド侯爵様でいらっしゃいますか?」


「ええ」


「ええっと、侯爵夫人が持病でなんだか変なんです。それで……ええっと……」


 カーシュ夫人付きと思われる女官は、かなり混乱していてなにを言っているのかよくわからない。

 ただ、エディになにかあったということだけは察せられた。


「持病?」


 エディには持病などなかった。半年前の体調不良は毒の影響と栄養失調だ。


「ええ、とにかく持病で大変なんです。でも、フォーブス殿は持病だから休めば大丈夫だとおっしゃっていましたが、心配で……。だから私は言いつけに背いてお医者様を呼びに行こうと思ったのです」


 女官の口から男の名が発せられたことにより、ハロルドはなにかよくない事態になっているのだと悟る。


「ハットン殿、あなたは戻って医者の手配をお願いします」


「はい! すぐに」


 それだけ言ったハロルドは、もう一人の女官に向き直る。


「お手数ですが、エディ様のところへ案内してください」


「こちらです」


 王宮内での行儀など、どうでもよかった。

 ハロルドは案内役の女官を追い越して、南の宮への道を急ぐ。女官も必死にあとを追ってくる。


「フォーブス殿が持病だと言ったのですか?」


「はい、侯爵夫人はろれつが回っておられない様子で、小声でそう言った……とフォーブス殿が……」


 走りながら、ハロルドは懸命に付いてくる女官に確認する。女官も息を切らしながら、詳しい状況を補足した。


 嘘だ――。こんなことならば、どんな手段を用いても、フォーブスを王宮内から追い出せばよかった。今さらハロルドが後悔しても、もう遅い。


 南の宮の入り口には、衛兵二人が立っていた。


「……通してもらおうか。妻が急病だと聞いている。それから、バイロン・フォーブスという男が、私の妻になにかした可能性がある。私が全責任を取るから、男を捕らえるのに協力しなさい」


 いきなり不穏なことを口にするものだから、衛兵は困惑している。


「……で、ですが。お約束がないのでしたら、私どもがカーシュ夫人に話を通すのが規則で――」


「全責任を取ると言っている! 今すぐどかないと、私の妻になにかあった場合の責任をおまえたちにも負ってもらうが、それでいいか?」


 ジロリ、と衛兵をにらみつけながら、ハロルドは彼らの前を通り過ぎる。

 カーシュ夫人とメイスフィールド侯爵ハロルド。どちらを優先すべきか思案しているのだろう。結局衛兵は、制止をせずにハロルドを宮の中に入れた。

 協力するつもりなのか、監視のためなのかは定かではないが、衛兵たちもハロルドのあとを追う。


「あちらです、侯爵様!」


 女官がエディがいるはずの部屋を指し示す。

 ハロルドはノックもせずに、勢いよく扉を開けた。


「エディ様!」


 目に入った光景は、ベッドに寝かされたエディと彼女の服に手を掛けようとするフォーブスの姿だ。

 ハロルドは駆け寄り、フォーブスの首根っこを掴んで、エディから引き剥がした。そして床の上に転がった男のみぞおちを思いっきり踏みつけた。


「拘束しろ、早く!」


 あまりの展開に呆然としていた衛兵が我に返り、慌ててフォーブスを拘束する。


「エディ!」


「……は、……ど……」


 首のあたりのボタンがはずされているが、彼女の見た目にそれ以外の変化はない。

 ハロルドは彼女を抱きしめて、手を握った。


「声が出ないのですか?」


「……っ!」


 肯定の意味なのか、それともただ苦痛を訴えているのかすらわからない。頷くことすらできないほど、ひどい状態だ。


「毒を盛られたのですか? もしそうなら、少しでいい……手に力を入れてごらんなさい」


 彼女の指先は冷えて、小刻みに震えていた。

 ハロルドの指示に従い、なんとか力を込めようとしているのだろう。けれど、震えが大きくなるだけだった。手を動かそうとした――それが答えだ。


「わかりました、もう大丈夫です……。私がそばにおりますから」


 ハロルドがそう言うと、エディはゆっくりと瞳を閉じた。

 きっと限界だったのだろう。そのまま意識を失ってしまう。


 ハロルドはエディをベッドに寝かすと、拘束されている犯人と対峙した。


「エディ様になにを盛った? すぐに毒薬の名を吐け」


「……わ、私は知らない……!」


「毒を特定するには時間がかかる。……この場合、多少手荒な手段を用いても、誰も咎めないだろうな」


 低く強い口調でそう言うと、フォーブスだけではなく、女官や衛兵まで真っ青な顔になり震え出す。

 温厚な人物という評判だから、殺気を放つハロルドに皆が驚いているのだ。

 どんな手段を用いてもという言葉は脅しではなく、本気だ。殴って口を割るのなら、すぐにそうしていた。


「そこの女官殿。エディ様がここに来てから口にされたものは?」


 けれどわずかに残った冷静なハロルドが、暴力に訴えても問題は解決しないと諭す。

 だからまずは、エディがこうなった状況を問いただす。


「ハーブティー……カモミールです」


「それは誰がいれて、誰が運んだものかわかりますか?」


「はい、私が運びました。いれたのはフォーブス殿です。……いつもそのようなことをしないのに……と思い、ここを出る前にほかの会員・・にカップの保全を指示してあります!」


「……なっ!」


 妙な声を出したのはフォーブスだった。衛兵に羽交い締めにされたまま、女官をにらんだ。

 エディが持病で休息をしているというのを信じたのなら、ティーカップは即座に洗われるはずだった。


「申し訳ありません、閣下。……エディ王女殿下がお倒れになる前に疑うべきでした。……私、それが悔しくて」


 フォーブスの命令に従わず、勝手な判断で南の宮を抜け出してきた女官は、涙をにじませた。


「いいえ、会員の方々には感謝しかありません。フォーブス……」


「私じゃない! 誘われたんだ」


 エディに誘われて、ふしだらな行為に及ぶ――それは手足すら動かせない状態から回復していたら通用する嘘だった。

 それならば、エディが飲んだのは命を奪う目的の毒ではない。だからといって安全とは言えないのだ。


「症状からすると体の自由を奪う類いの薬だろう。だが自由を奪うということは、一歩間違えば呼吸すらできなくなる可能性がある。早く処置をしないと危険だ。これ以上言わせるな」


 強い口調で迫ると、やがてフォーブスはうなだれた。そして、自白をはじめた。

 男が使ったのは、医療行為でも使われる薬の一種だった。医師の到着を待って、すぐに適切な処置がされていく。

 症状とフォーブスが告げた薬の効能は一致している。


 女官が証拠保全をしてくれていたティーカップから出た薬、エディの症状、フォーブスの自供――この三つが揃ったことにより、男はそのまま捕縛され、衛兵が連行していった。


「エディ……」


 薬の効果はごく短いあいだだという。

 ハロルドは医者の許可を得てから、眠ったままのエディを抱え、侯爵邸へ戻ることにした。こんな場所で目が覚めても、怖がらせるだけだと考えたのだ。

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