6-1 エディにはいくつもの夢がある

 エディにはいくつもの夢がある。

 今叶えようとしているのは、文官として出仕し、いずれ来るジェイラスの治世を盛り立てたいというものだ。


 それから一週間後。前例のないことだったが、エディが文官として王宮勤めをするという人事は、表立った反発もなく受け入れられた。

 書記官という身分そのものが、エディのために新設された役職だ。

 王族のプライベートを助ける役割が近侍で、政務の補助を行うのが書記官という位置づけだという。

 公的な文章を書き記し、陳情を取りまとめ、求められた場合に助言をする。

 エディ個人には、政治的な決定権はなにも与えられないという部分に皆が納得したようだった。


 ジェイラスの根回しもあるのだが、国王が賛成の態度を取ったことも反発が少なかった理由の一つだ。


 いまだに、エディは父親である国王をどう思えばいいのかよくわからなかった。

 少なくとも、ジェイラスやエディの進む道を邪魔するつもりはないのだとわかる。けれど彼女は、それだけで国王に感謝し、昔抱いていたはずの尊敬の念を取り戻すには至らなかった。


 国王についても、王妃についても、今すぐに自分の中にある感情になんらかの決着をつける必要などない――というのがエディの結論だ。



 そして王子付き書記官という肩書きを得た、エディの一日がはじまる。


「物々しいな……」


 はじめての出仕となるこの日、エディは上質だが地味なドレスに身を包んで、ハロルドと一緒に王宮へ向かった。

 馬車の左右を騎乗した護衛で固めている。治安のいい都で、貴族が町中を移動するのに専用の護衛をつけるというのは一般的ではなかった。


「念のため、ですよ。女性が文官――ジェイラス殿下付きの書記官に任命されたというのは、前例がないことです。表立って批判する者は今のところいませんが、なにがあるかわかりませんから」


 隣に座るハロルドが、エディを怖がらせないように配慮しつつも、危険性を指摘する。


「過保護だ……と言いたいところだが、気をつける」


 ハロルドは心配性ではあるものの、なんの理由もなしに過剰な護衛をつけることはしないはず。王宮には敵がいる――エディはその可能性を決して忘れず、自分でも気をつける必要があった。


「なにかあったらすぐに知らせをください。それから、エディ様はご自身の評判をご存じでしょうか?」


「男の立場を奪う、がさつな元王子か?」


 文官の中では下位の役職であっても、女性ではじめて政の一端を担うのだ。

 陰ではおもしろくないと思っている者も多いだろう。ハロルドはそれを懸念して護衛をつけているのだから。


「全然違います」


 ハロルドが首を横に振る。


「……夫をかしづかせる、不遜な侯爵夫人だな?」


 ジェイラスの誕生祝いでは、それなりの淑女としての行動ができていたはずだが、エディの話し方は王子時代のままだ。

 あえてそういう態度を取り続けているのだが、不遜だと思われても仕方がない。


「それも違いますね」


 今度は呆れた様子でため息をつく。

 エディにはそれ以上思い当たることがなく、察しが悪いと言われた気がして頬を膨らませた。


「じゃあ、なんだ?」


「現在エディ様は、好意的な意味で評判になっています。銀の髪が美しく、可愛らしい容姿に対し、立ち居振る舞いは堂々としていてその二面性が素敵だと」


「まぁ、不細工ではないな。それくらいは自覚している」


 王子時代から美少年だと評判だった。

 ニコラとハロルドは、どんな容姿でも誉め称えるに決まっているが、ヴィヴィアンは正直者だ。

 ヴィヴィアンからも「見た目だけなら淑女」とお墨付きをいただいている。

 健康面も改善され、色気は皆無だが女性としてもそれなりに整った容姿をしているという自覚はある。


「ジェイラス殿下とのダンスで、あなたに興味を持った者は数えきれないくらいいるでしょう。派閥や政治的思惑での危機意識はエディ様もお持ちだと思われますが、そちらは驚くほど鈍感なようですから、十分にご注意ください」


「私は人妻だぞ?」


「それでも関係ありません。とにかく私……それから弟君であるジェイラス殿下以外の異性は、基本的に邪な感情を抱いているおぞましいケダモノであると、十分にご承知おきください」


「そんなこと言うけれど、そなたも獣だと思う」


 先日もハロルドは「私以外の男はすべておぞましい存在」と語っていた。そのときも今も、彼に対し気持ちが悪いという感情を抱いたことのないエディだ。

 普段は礼儀正しい紳士で理想的な男性だが、エディにだけ別の側面を見せる。

 夜も、今も瞳の奥に熱情をはらんでいるのだ。


「ええ。ですが私はエディ様に寄り添うことが許された、飼い犬ですから」


 獣と言われて怒らないどころか、自らをエディの飼い犬だと自称する。


「……時々、私の夫は変な男だと思うことがある。プライドはないのか?」


「エディ様に対してだけですよ」


 清々しい笑顔も「もし、ほかの者に侮られたら完膚なきまでに叩きのめしますけれど」という本音が見え隠れするので台無しだ。


 王宮に辿り着くと、エディは馬車を降り、ハロルドと別れる。

 向かうのは、もちろんジェイラスの執務室だ。


「おはようございます、ジェイラス殿下。……本日よりよろしくお願いいたします」


 挨拶をすると、ペンを持って文字を綴っていたジェイラスが顔を上げた。


「あぁ、メイスフィールド侯爵夫人。よろしく頼みます」


 ジェイラスはエディを「文官の侯爵夫人」として受け入れてくれる。


「殿下をお助けするため、微力ながら精一杯務めさせていただきたく思います。……ところで、フォーブス殿はどうされたのですか?」


 ジェイラス以外で部屋にいるのは、面識のある金髪の女官だけだった。

 パーティーの日も、今日も、なぜか彼の姿が見当たらない。もちろんほかにも侍従はいるのだから、たまたま会わないだけという可能性もある。

 それでも、エディの中でフォーブスという男は常にジェイラスのそばに控えている印象があったので、疑問に思った。


「異動してもらいました。いずれは王宮から離れてもらうつもりです」


「そうでしたか」


 ジェイラスやカーシュ夫人との血縁であるという理由で、フォーブスという男は王宮内でかなり幅を利かせていた。

 今回、ハロルドが正式に抗議をした結果、左遷されたというのが真相だった。


「ですが、すぐに解雇して追い出すわけにはいかないのです。まったく!」


 ジェイラスは、不満そうだ。

 その不満は、フォーブス本人というよりカーシュ夫人に向けられたものだろうか。


「血縁が解雇され無職……というのは、夫人にとっても殿下にとっても醜聞となってしまいますから理解はできます」


 貴族は噂好きである。縁者を利用して、やりたい放題していたフォーブスが王宮勤めを辞めさせられたら、その理由を隠すことは不可能だ。

 血縁にすら愛想を尽かされた男など、誰も進んで雇いたがらない。

 ジェイラスとしては、身の丈に合った雇用先を紹介したいが、見つからずにいるという状況なのだろう。


 状況の確認が終わったところで、早速書記官としての職務がはじまる。


 ジェイラスが公務で都を離れる場合の護衛や同行者の選別。

 王子宛ての陳情を優先度で振り分ける作業。

 来客の予定を把握して、管理すること。


 エディのほかに、高位貴族の派閥から一人、かつての派閥から優秀な若手が一人、それぞれジェイラスの側近を務める者が任命されている。

 その者たちも、エディに好意的だったので、大きな戸惑いもなく職務に没頭していった。


「つまり、ジェイラス殿下は、公私をできる限り分けて、公の部分に限っては派閥に囚われずに人を起用する方針なのですね?」


 午後になり、休息の時間となったところでエディはそう結論づけた。


「さすがは姉上――ではなく、侯爵夫人ですね。そのとおりです」


 王子時代のエディと先日までのジェイラスは、そばに置く者が真逆だった。

 エディの場合、私的な部分を補う人員がほとんどおらず、なぜか公の部分を補佐する役割のハロルドが、すべてを手助けしてくれていた。

 ジェイラスは逆だったが、それをこの機に是正したのだ。


 なぜだか、すべてがいい方向へ進んでいる。そんな前向きな気持ちで、エディは書記官としての初日を終えた。

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