5-4
ファーストダンスを終えると、ジェイラスはすぐにエディをハロルドに託した。
これから、臣たちの挨拶を受けて、場合によっては妃候補となりそうな令嬢と踊るのだろう。
エディは一応義務を果たそうと、国王やカーシュ夫人にも挨拶をした。
ハロルドが隣にいて寄り添ってくれているせいだろうか。父親に対する思いが、彼女の中で大きく変わっていることに気がついた。
以前の彼女にとって、父親は畏怖の対象で、理想の国王だった。
けれど今は違う。王子という身分を失い、王宮の外で暮らすようになったせいでエディの視野は少しだけ広くなったのだろう。
(いや、ハロルド殿のせいかもしれない……)
国王は、私生活では完璧とは言い難く、それが巡り巡って政にまで影響を及ぼす――欠点のある、ごく普通の人間だった。どちらかといえば、どうしようもないだめな種類の男性だ。
比べてはいけないのだが、エディの隣にいる青年がすばらしい人だから、父親の欠点を冷静に見つめ直すに至った。
エディには、王族として、そして混乱の原因としての責任がある。
この思いは今でも変わっていないのだが、同時に、なぜ一人で背負う気でいたのだろうかと馬鹿らしくなっていた。
親世代にも面倒事を負担させ、次期国王として努力しているジェイラスを盛り立てていく。ハロルドの協力もあるのだから、きっとそんな未来を望んでもいいはずだ。
無難に挨拶を終えたエディは、ハロルドと庭園に出た。
久しく遠ざかっていた煌びやかな世界に酔ってしまい、静かなところで休みたかったのと、先ほど聞いたばかりのジェイラスの話を、ハロルドにも伝える必要があったからだ。
まだ舞踏会ははじまったばかりだ。疲れて涼んでいる者もほぼいない。エディは薔薇の蔦が絡まる東屋まで歩き、ベンチに腰を下ろした。
楽団による演奏は、風に乗って二人のいる庭園にまで届く。
軽やかな旋律と、火照った肌を冷やしてくれる夜風が心地よい。
「皆が目を奪われていましたよ。……エディ様がはじめてダンスをするときは、私がお相手を務めさせていただきたかったのですが……残念です」
「身内と踊るのはかまわないだろう? それに、ダンスははじめてではないよ」
「女性としてのエディ様は、誰とも踊られたことがないはずですよ。私は独占欲が強いみたいです」
「でも、成果はあった」
集まった者たちに、エディとジェイラスが敵対関係にないのだと知らしめた。
それは同時に、昔からジェイラスを支えてきた者たちの反発を招く行為だ。ジェイラスは決意を持って、国の行く末のために一歩踏み出したということだ。
「ジェイラス殿下も私も、親からの命令には従順だった。でも、もう子供ではないんだ……。カーシュ夫人の軽率な行動を諫めるのも、これからは殿下の役割になるのだろうな。それで――」
ジェイラスの提案。それはもしかしたらハロルドにとっては喜べるものではないのかもしれない。そんな不安で、口を噤みそうになる。それでもエディは、ハロルドに対してだけは誠実に、なんでも相談するべきだと思っていた。
「ジェイラス殿下は、私だけが遊んでいるのはずるいとおっしゃっていた」
「おもしろいことをおっしゃいますね」
「うん――。近々、かつての派閥外の優秀な人材をまとめて取り立てるそうだ。そして、私を文官として起用するつもりらしい」
「……エディ様を?」
女性を文官として採用するのは、前例がない。王位継承権は男性しか持てないという規則があるが、女性が王宮勤めの文官になってはいけないという法はなかった。
性別による制限がないことは以前から知っていたが、曰く付きのエディには不可能だと思って諦めていた。
エディは改めて、先日の王宮訪問で、ジェイラスと話した内容をハロルドに聞かせた。
二人とも、互いをうらやんで、ちょっとした言い争いになったこと。そしてそのときにエディが「私がそなたを助けたかった」と話し、ジェイラスがそれを気にかけてくれた結果の提案だったことだ。
「エディ様もジェイラス殿下も、とんでもないことを考えつく」
ハロルドもさすがに驚いている。
「申し訳ない」
「いいえ。エディ様が政に関わりたいのは知っていました。私としては領地の管理や自治をお任せしようと考えていたんですが――」
この国の常識から考えると、侯爵夫人という地位の者が王宮に上がるとしたら、王女や王妃の相談役としてしか許されない。
妻が男と同じ仕事を望んだら、きっと驚き、身の程知らずだと憤るのが普通の反応だろう。
けれどハロルドは驚くだけで、怒っている様子がない。
「――あなたは……いいえ、あなた方は、私よりもずっと柔軟で予想の遥か上を行く。驚かされてばかりですよ」
「だが、そうなるとバランスの問題でそなたは!」
メイスフィールド侯爵家ばかりを取り立てると、貴族たちから不満が噴出する。それでは、そばに置く者の偏りを解消したいというジェイラスの意に添わない。
だから当然、エディがジェイラスに仕えるのなら、ハロルドは今のままだ。
「文官になってジェイラス殿下にお仕えするのなら、私の力が及ばない場所で、あなたが苦労するのではないかと心配でなりません。正直に言えば、別の道をおすすめしたい気持ちはあります。……それでも、私は言ったはずだ」
「自由に生きることはできる……?」
「そうです。エディ様のなさりたいように。それが私の望みです」
「……ハロルド殿」
嘘偽りのない誠実なまなざしだった。
感謝の気持ちを伝えたいのに、頭に浮かぶ彼への賛辞がすべて陳腐に思えてしまい、言葉にならない。
しばらく見つめ合っていると、彼は急に立ち上がり、エディの前にゆっくりと跪く。
「……そろそろ戻らなければなりませんね。ですがその前に、私と踊っていただけますか?」
誰に見せるわけでもなく、二人だけのダンスを。エディが誕生日の夜にウサギに願った夢を叶えるための誘いだ。
「喜んで」
目の奥がじんわりと熱くなるのを感じた彼女だが、グッとこらえて笑みを作る。この瞬間のすべてを大切にしたかったのだ。
涙でハロルドの表情が見えなくなってしまったらもったいない。
「私の夢を叶えてくれてありがとう」
ウサギに願ったのは、ハロルドとダンスをすることだった。
「夢が一つ叶ったのなら、また次を探しましょう?」
次の夢は決まっていた。十六年間存在していたはずの第一王子エディを否定せず、胸を張って生きること。
きっとそれだけではない。ハロルドを幸せにしたい。ヴィヴィアンとももっと仲良くなりたい。都の外を見てみたい――外国に行ってみたい。
上げだしたら切りがないほどしたいことで溢れていた。
「欲張りになってしまいそうだ……だが、今はそんな生き方もいいと思える。そなたのおかげだ」
ハロルドがそんなふうにエディを変えた。
まだ、今すぐにハロルドに恩を返す力はないのかもしれない。けれど、なにもないことを嘆くだけのエディはもういなかった。
「今はまだ、なにも持たないから……」
曲の終わりと同時に、エディはハロルドの肩に手をかけた。それから背伸びをして、唇を寄せた。
彼にぬくもりを分け与えることだけは、今でもできる。
そんな小さなことが、今のエディには誇りだった。
それからしばらくして、ジェイラスは、メイスフィールド侯爵夫人・エディを王子付きの書記官に取り立てるという発表をした。
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