5-3
昼の王宮は、日の光を反射する白が際立つ、強くて活気のある印象だ。それに対し夜の王宮は、窓のかたちに切り取られた無数の光が暗闇の中に浮かぶ、幻想的な場所だった。
先に馬車を降りたハロルドが、自然な動作でエディに手を差し出す。
本日二回目となるため、エディにも少しだけ余裕が生まれた。ニコリと笑って、夫の手を取る。
それから、ドレスの裾を踏まないように注意をしながらステップに足をかける。
人々の注目は、侯爵家の紋が入った馬車がこの場所へ辿り着いたときからはじまっていたのだろう。エディが姿を現すと、周囲がざわめき出す。
「目立っているな……。まぁ、当然か」
耳を澄ますと、「青か」、「紫も少しだけ入っている」、「青に違いない」という声がどこからか聞こえた。
エディのドレスの色当てが、ちょっとした賭けの対象になっているのは本当だったらしい。答えに青紫がないのなら、このゲームの勝敗はどうなるのだろうかと、他人事ながら心配になる。
「堂々となさっていれば、大丈夫ですよ」
王子だった時代から、公の場で本音を隠す仮面をつけるのは得意だった。それでもただのエディは、平気なようでいて他者にどう思われているのかを気にする普通の女性だ。
ハロルドはそんなエディの内心をわかっているのだろうか。見つめる瞳はとても穏やかだ。
「さて、ファーストダンスは誰と踊るのだろうか?」
もちろんエディのことではない。
わざわざ舞踏会というかたちにした誕生祝いだ。次期国王であることが確定しているからこそ、国中の令嬢たちがジェイラスに見初められたいと望んでいるはず。
王宮で開かれる催しものの中でも、今夜は若い女性の数がとにかく多かった。
エディかジェイラスか……。国王になりそうな王子との婚姻を望んで分散していた令嬢たちが皆、この舞踏会に押しかけたというところだ。
「そういえば、ヴィヴィアン殿は……?」
侯爵令嬢であるヴィヴィアンには、十分に次期国王の妃となれる条件が揃っている。それなのに、今夜は不参加だった。
「興味がないそうです。私たち二人が出席すれば礼儀としては十分ですから」
「もったいない」
ヴィヴィアンはかなりの美人だし、会話をすると愛くるしく親しみやすさもある。
それに文句をいろいろと言いつつも、世話焼きで優しい。もし、彼女が未来の王妃をめざすのなら、エディとしてはぜひ協力したいところだった。
「……妹は、線の細い儚げな印象の美少年が好きなんですよ」
「ふーん、それならば仕方がないな」
ジェイラスは剣術を得意とし、年齢の割にがっしりとした体格をしている。ヴィヴィアンの好みとかけ離れているのなら、お節介は不要だ。
もうすぐ一曲目のワルツがはじまる。
その頃になって、本日の主役であるジェイラスが姿を見せた。彼は皆に軽く手を振りながら、まっすぐにエディたちのほうへ歩いてくる。
今夜のジェイラスが従えているのは、先日エディを出迎えた侍従だった。
「メイスフィールド侯爵、それに姉上。よく来てくれましたね」
「この度は、十六歳のお誕生日おめでとうございます。すでに降嫁した身ではございますが、血縁としてジェイラス殿下の成長を喜ばしく思っております」
エディは弟に向かって淑女の礼をする。彼を〝殿下〟と呼んだのも、言葉遣いを変えたのも、すべてこれからの立場を明確にする意図があってのものだ。
「姉上……、いやメイスフィールド侯爵夫人。最初のダンスは私と踊らないか?」
それは、予想外の提案だった。
けれどエディもハロルドも即座にジェイラスの意図を理解した。
降嫁しても、大切な血縁であるというジェイラスからのメッセージだった。
つまり、かつて第一王子派と呼ばれていた貴族たちを、今後、次期国王としてのジェイラスがどう扱うつもりであるのか――その象徴としたいのだ。
それから、今宵のファーストダンスの相手を姉にすることで、彼がまだ特別な女性を定めていないのだとアピールするつもりだろう。
「大変光栄なことと存じます。喜んでご一緒させていただきます」
エディはためらわずに弟の手を取った。
二人が歩き出すと、自然と人が会場の端に寄る。
このダンスは、宴のはじまりの余興だった。
やがて、楽団による演奏がはじまる。付け焼き刃の女性パートだが、ジェイラスのリードが上手く、ダンスを楽しむ余裕があった。
「やはり、青ですね。……微妙に紫も混ざっていますが」
「ドレスの色当ての件でしょうか?」
ジェイラスがフッ、と笑った。
「メイスフィールド侯爵なら、そういう色合いを選ぶだろうと思っていました。あれからいかがお過ごしでしたか? きちんと悪妻をされていますか?」
ステップを踏みながら、小声で会話を楽しむ。
髪と瞳の色だけはそっくりの
「……そのことですが、私はもう悪妻にはなれそうにありません」
「だから言ったでしょう? 最初から、侯爵に勝てるとは思っていませんでしたが、結構早かったですね!」
「もう! 笑わないでください」
ジェイラスにまで見透かされていたのには腹が立つが、エディは内心ほっとしていた。
彼がエディの離婚を前提とせずに、それでも侯爵家との友好関係を望んでいるから。
「だって、侯爵が姉上を大切にしているのは明らかですし、姉上も侯爵に好意を抱いているようでしたから。先ほどの侯爵なんて、捨て犬みたいになっていましたよ? 姉上を奪われておもしろくないのでしょうね」
ハロルドを咎めるのではなく、からかう意図だった。
大人の男性であるハロルドが、そんな表情をするだろうか。少なくともエディは見たことがない。
「本当なら残念です。真横にいたから見えなかったので」
曲がクライマックスに差しかかる。
「そうそう、姉上に考えておいていただきたいことがあるんです」
「なんでしょうか、殿下」
「――やはり私は、姉上には諸々の責任を取っていただこうと思うのです。一人だけ遊んでいてはいけませんよ? ですから――」
続く内緒の話に、エディは目を丸くした。
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