幕間 ジェイラスには苦労が多い

 ジェイラスには苦労が多い。


 尊敬する兄が、じつは女性だったという事実を、彼はすぐには受け入れられなかった。兄のものだと思っていた王位が、最初から自分のものだったという。

 国王になれることを喜ぶより、ジェイラスはその重圧に苦しんだ。


 直後に父である国王の口から、姉を蝕んでいた毒の件が語られた。

 父や重鎮たちはなにも疑問に思わない様子だったが、ジェイラスはなぜ聡明なエディが毒を盛られていたことに気づかなかったのかが、やたらと気になった。


 エディ本人には到底聞ける話ではなかった。

 だから彼は、誰よりも事情を把握しているハロルドを呼び出し、話を聞いた。


「姉上は、毒の件をご存じなかったのだろうか?」


 つまりわかっていてあえて毒を口にしていたのではないか、という意味だ。

 その言葉を口にした瞬間、ハロルドはジェイラスに対し、敵意に近い視線を向けてきた。 錯覚だったかもしれないと思えるほど、ほんの一瞬。けれど確かに、ジェイラスは穏やかだという評判の男の別の顔を見た気がした。


「エディ殿下がどういうおつもりだったかは、私にもわかりかねます。今後、あの方にたずねる気もないのです。どうかジェイラス殿下も、ご内密にお願いいたします」


 この青年は、エディの降嫁を望み、国王はそれを認めている。

 王女の降嫁が侯爵家にとってなんの利益ももたらさないと承知の上での申し出だ。


 青年はどうやら、姉にとって触れてほしくないであろう真実を、永遠に隠すつもりでいるらしい。だからその秘密を探ってくるジェイラスに敵意を向けたのだ。


(番犬……みたいだな)


 それがジェイラスがハロルドに抱いた印象だ。


「一つ言えるのは、あの方がジェイラス殿下が王位を継ぐことを前提に、弟君のためになにができるかを必死に考えておいでだったということです」


「私のために……?」


「少なくとも、嘘をつき続けることに葛藤があったはずですよ」


 そこまで聞いてもなお、ジェイラスは降嫁して幸せになろうとしている姉が許せなかった。発覚後一度だけあった彼女と話す機会で、彼は憤りをぶつけることしかできなかった。

 いきなりかかった重責に耐えられず、鬱憤のはけ口にしてしまったのだ。


 そして約半年後、ようやく姉と向き合おうと決意した。

 それまで第二王子だからという理由で、ジェイラスは甘えていたのだろう。剣術など得意な部分には熱心だったが、学びにばらつきがあった。

 今になって、次期国王として足りない部分を補うのに必死だった。

 例えば、人事――いつの間にか母親の紹介で派閥のようなものが形成され、ジェイラス自身がそれに囚われそうになっていた。

 とくに母の血縁だという理由で、侍従のフォーブスがより高い地位を望んでいるのを強く感じ、危機感を覚えていた。


 姉に話すだけで解決するわけではないが、客観的な意見を聞きたくて、エディを呼び出したのだ。



 ジェイラスは執務の合間の休息時間に、先日の姉の姿を思い浮かべた。



 堂々とした立ち居振る舞いは相変わらずだった。今にして思えば、王宮にいた頃のエディは、なぜ誰も不思議に思わないのか疑問なほど、ボロボロの体だった。

 ハロルドが用意した彼女を守るための場所で過ごした半年足らずのあいだで、エディの見た目はすっかり変わった。

 大切にされ、幸せに暮らしているのは疑いようがなかった。


「……姉上は、ずるい」


 彼女は王子だった頃の印象と変わらず、まっすぐで強かった。見た目は変わったが、中身は勤勉で誠実な昔のままだ。

 最初は性別詐称の件で、エディがとんでもない嘘つきで不誠実な人物に見えていたジェイラスだ。けれど冷静になるにつれて、そうではないのだと悟る。

 生まれながらにつかされた嘘に思い悩み、けれどそれ以外の部分ではひたすら正しくありたいと願っていたのが、きっとエディなのだろう。


 正しくて、ずるい――そんな嫉妬に苛まれながらも、ジェイラスは、エディやハロルドとの共闘を望んでいた。


 ところが、彼女は離婚しようと企んでいるという。

 ジェイラスはハロルドがいかにエディを大切にしているか知っている。

 エディもまた、ハロルドの幸せを願っているようにしか思えない。


(それなのに離婚とは!)


 彼女は愛されたことがないから、そういう気持ちはわからないと言っていた。けれど、きっとまだ間に合うのだ。

 おそらくエディにとってハロルドはその感情を教えてくれる存在のはず。半年違いとはいえ、弟のジェイラスでもわかる簡単なことに、エディは気がついていない。


「ジェイラス殿下、新しい紅茶をお持ちいいたしました」


 黒髪の女官が、冷めた紅茶を替えてくれた。


「ありがとう。……なにか落ちたぞ」


 メイドが屈んだときに、床の上に小さな紙を落としたのだ。折りたたまれたその紙にはなぜか〝エディ〟という文字が綴られている。


「失礼いたしました!」


「エディ……と書いてあったようだが、姉上がどうかしたのか? 見せなさい」


 この女官――キャシー・アダムズは、先日エディが王宮にやって来た時間帯に勤務中だった。

 エディに嫌がらせをした一人なのだろうか。


 側仕えたちがエディになにをしたのかは、ハロルドからの抗議によって、一通り把握している。

 フォーブスに関してはジェイラスも手を焼いており、対策の必要があるというのがハロルドとの共通認識だった。

 けれど、ジェイラスとしてはほかの者に罰を与えるつもりはなかった。

 側仕えたち全員に対し厳重注意というかたちで意思を伝えたが、まだ足りなかったのだろうか。逆恨みで更なる企てでもしているのではないか……ジェイラスはそんな疑念を抱く。


「こ……これは個人的なメモ書きでございます」


「いいから」


 強い口調で言えば、女官がおずおずとメモ書きを差し出す。便箋の両面に小さな文字でびっしりと、しかも複数の人物の筆跡が確認できる。


「は!?……『エディ王女殿下を見守る乙女の会』……だと……?」


 ジェイラスは頭を抱えた。

 先日、会ったときに確かエディはこう言っていたのだ。「そなたの侍従や女官たちを、不遜な態度で脅してやった」と。

 姉から聞いていた話と、女官の表情が一致しない。

 女官はほんのりと頬を染めて、まるで恋する乙女だった。


「不敬で申し訳ありません。ですが、ただ見守っているだけで、まったく実害のない……静かな集まりですから、お見逃しください」


 女官が真実を話しているかを確認するため、ジェイラスはメモ書きを読み進める。

 どういう状況での発言かは推測の域をでないが、名言集なるものまであった。


『こんな卑怯な嫌がらせを強要する者は、きっとそなたたちが危機に陥っても、庇ってくれないだろう。違うか?』


『誰かに命じられて動くだけの小者をいちいち蹴散らすのが面倒なだけだ』


 その下には、なにかの色と、側仕えたちの名が記されている。


「ちなみに、赤、青、紫……というのはなんだ?」


「ジェイラス王子殿下の誕生祝いのときに、エディ王女殿下がお召しになるドレスの色を当てるというゲームです。……紫が一番人気なんですよ」


「ほどほどにな……。ちなみに私は青だと思う」


「なぜでございましょうか?」


「メイスフィールド侯爵が選んだら、そうなりそうな予感がするからだ」


 独占欲の強そうな番犬が、これみよがしに仲のよさをアピールするに決まっているから――という言葉を最大限希釈して、女官に伝える。

 それから『見守る会』は無害だと判断し、メモ書きを女官に返した。


「それは、すばらしい洞察力でございます」


 メモ書きを受け取った女官は、どこからかペンを取り出して、青予想の名簿になにかを書き足そうとする。


「……私の名前を書き加えないでくれ」


 ただお茶を飲んで、女官と会話をしただけで、なぜだかドッと疲れが溜まる。すべて姉のせいである。


「姉上は、まったく!」


 離婚のために、あえてがさつな王女を演じていると言っていたのはなんだったのだろう。

 なぜ、ジェイラスの側仕えまで信奉者にしてしまったのだろうか。

 いい兆候だと思いつつ、理解に苦しむジェイラスだった。



『……できれば、ハロルド殿に頼むのではなく、私がそなたを助けたかった』



 責任感の強い姉は、ジェイラスにそんな思いを打ち明けてくれた。

 彼の心の中に、なぜだかその言葉が強く残っていた。

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