4-6

 それからのエディは、とにかくハロルドと二人きりになるのを徹底的に避けた。

 次にそうなったら、明確に夫婦となれない理由を説明して、彼を納得させなければならない。

 エディはそれを恐れ、ジェイラスの誕生日を祝うパーティーの前日まで、ずっとヴィヴィアンの部屋で厄介になっていた。


 けれど、いつまでもハロルドを避け続けるのは無理だ。話したくないというだけで、先延ばしにしても意味は無い。

 黙っているだけでも、場合によっては罪となる――それは性別詐称の件でエディが学んだことだった。

 明日は二人でいる時間が長い。もう逃げ続けるのは限界だった。


 間もなく就寝という時間。エディは寝間着の上にガウンを着て、主寝室を訪ねた。胸にはウサギのぬいぐるみを抱いている。

 エディがこの部屋に足を踏み入れるのは、今夜がはじめてだった。


 甘ったるい内装のエディの部屋とは違い、主寝室は落ち着いた雰囲気だった。

 大きな天蓋付きのベッド、チェストやテーブルはチェリーウッド。白と黒の大理石の床の上にふかふかの絨毯が敷かれている。


 ハロルドは部屋の中央にあるソファでくつろいでいた。

 本を読みながら、葡萄酒を飲んでいたのだろう。エディが訪ねるとグラスを置いて、少し困った顔をした。


「エディ様、このような時間に男の部屋……というか、夫婦の部屋ですが……。とにかくあまりほめられた行為ではありません」


「いつも私の部屋にやって来るのに、今さらだ」


 つい先日まで、いくらやめてほしいと頼んでも、ハロルドは毎晩ベッドに入ってきた。

 それなのに、エディが咎められるのはどうかんがえてもおかしい。

 しかも以前は、いつでも主寝室に来ていいと言っていたのだ。


「あなたからやって来たのなら、遠慮はしません。合意があったと見なしますが?」


「合意などしない。……大事な話があって来た。明日、王宮でのパーティーの前に、どうしてもはっきりさせておきたいことがある」


 公の場に二人で出るのはこれがはじめてだ。二人のあいだに溝があっては、上手くいくはずのものもいかなくなる。


「わかりました」


 エディはハロルドの隣に座ると、膝のうえに乗せたラベンダー色のウサギの頭を撫でた。


「ウサギ、……嬉しかったんだ。ハロルド殿はいつから私の性別に気づいていたんだ?」


 あとから考えると、おかしなところはたくさんあった。

 男女問わず人気のある幸福のウサギ――それはエディが受け取りやすくするための嘘だった。

 ヴィヴィアンやニコラにそれとなく聞いても、このウサギがちまたで流行っているという話は出てこなかった。

 あの二人がハロルドよりも流行に疎いなどと、どうしても思えない。


「あなたの誕生日の一ヶ月ほど前です。視察のあと、気分を悪くされたときに」


「じゃあ、ハロルド殿は私のことを考えて、贈ってくれたんだな? ありがとう。本も嬉しかったが、こんな可愛いぬいぐるみをもらったのははじめてだった。たぶん、に贈り物をしてくれたのは、そなたがはじめてだ」


「光栄です」


 本題はここからだ。エディは一度だけ、大きく深呼吸をした。


「……このウサギになにを願ったか、知りたいか?」


「ええ、あなたのことはなんでも知りたいと思っています」


「そなたとダンスを踊ってみたい……、そんなばかな願いをしたから、きっとこんなことになってしまったんだ! 本当にすまなかった。……ご、ごめんなさい……ごめんなさい」


 こらえきれず、エディの瞳からは涙が零れる。

 もし叶ったら、相手が幸せになれないような願い事をしてしまった。ウサギにそんな力がないことくらい、常識で考えればわかる。

 それでもわずかな選択の違いで、別の未来があったのではないかと後悔ばかりだ。


「エディ様、なぜ謝るのですか? その夢は、明日叶いますよ」


 エディは首を横に振る。

 明日のジェイラスの誕生祝いのパーティーは、舞踏会の形式で行われる。だからパートナーであるハロルドと踊りたいと願えば、それが叶う。


「――やっぱり私は、そなたの妻にはなれない。本当にふさわしくないんだ。だから夫婦になんて、なれない。願っても、それは無理なんだ」


「エディ様」


「皆が、私を賢い……なんて言うが、それは勘違いなんだ……。私は絶対に許されない過ちを犯していたんだ。だから、無理なんだ」


 半年前、エディは許されない罪を犯した。

 たった半年で、後悔するようなことをする人間は、愚者だった。


「……進んで毒を飲んでいたから……それが自分の体をどう蝕んでいるのかわからない。子供を望めないかもしれない」


 泣きじゃくりながら、エディはハロルドに真実を話した。

 結婚し、侯爵邸に向かう馬車の中で、エディは子供を作らないと言い張った。けれど真相は違う。

 本当は、医者から処方された毒薬で、体が蝕まれているかもしれないと不安だった。作らないと作れないでは話がだいぶ違ってくる。


「本当に悪いのは、自ら進んで死のうとしたことだ。こんなに自分を蔑ろにして、――そんな最低な人間は愛されるわけがない。……誰かに愛される資格を、私は自分で捨てたんだ……」


 性別詐称が明らかになったあとでも、侯爵邸に来てからでも、ハロルドに相談して医者に診てもらえばよかったのだ。

 患部を告げない患者など、どんな名医にも治せない。

 最初は、どうせ離婚するつもりなのだから黙っていても問題ないと考えていた。離婚したいとしっかり告げているのだから、それ以上の説明はいらないと思っていた。

 エディ自身、飲んでいた毒がどんなものだったのか知らない。調べようとしないことそのものが、きっと罪だ。

 どうせ修道院で一生を終えるのだから、現実から目を背けていたかったのだ。


 けれどハロルドはどこまでも優しくて、なにも持たないエディでもいいのだと言い続ける。だから徐々に、エディは自分がしでかした罪が性別詐称だけではなかったと自覚していった。


「言わなくていい」


「ハロルド殿?」


「これ以上は、言わなくていい」


 ウサギを抱きしめていた手は震えている。ハロルドがそれを包み込んで、ぬくもりをわけてくれる。


「でも」


「信じたかったのでしょう? ただ、それだけだ」


 信じたかった――その言葉はストンと腑に落ちる。

 母親である王妃に愛されていないことくらい、とっくに知っていた。それでもエディは、我が子を殺したいほど憎む親などいないと信じたかったのだ。


「うん。そうじゃなければいいと思ってたんだ……。でも一気に具合が悪くなって、ならもういいやって。誰にも愛されていないのなら、いらないんだと……私、自分に対しても無責任で、今になって後悔して」


「後悔しているのは、あなたが私との幸せを望んでいるからだ。いい加減、それを認めなさい」


「そなたがしてくれることを、どうやって返せばいいのかわからないんだ」


「教えます、私が。――まずは、背中に手をまわしてみるといいですよ」


 ハロルドがたくましい腕をエディの背中にまわした。

 エディも彼に言われるまま、相手を抱きしめた。


「こう?」


「ええ、少し長くなりますが聞いていただけますか?」


 そう言って、ハロルドはエディが飲んでいた毒について、知っていることを聞かせてくれた。

 そこではじめてエディは、彼が途中で毒をすり替えていた事実を知った。確かにハロルドが起床の時間に現れるようになってから、エディの体調はよくなっていったのだ。

 毒の成分も調査済みだった。それはごく弱いもので、エディを衰弱させ、自然死に偽装するための毒だという。

 だから、体力が回復した今ならば、まったく影響はない――と完全には断定できないものの、影響は限定的という見立てだった。

 エディは知らないうちに、毒の件でもきちんと医者の診察を受けていたのだ。

 そんなに前から、ハロルドが守っていてくれていたのを知った彼女は、また泣いてしまった。

 けれど今度の涙は、後悔ばかりではない。彼の優しさが嬉しくて泣いたのだ。


「そのように悩まれるくらいなら、きちんとお話ししておけばよかった」


 ハロルドの言葉にエディは首を横に振る。

 知らずに毒を飲んでいた場合、エディにそれを知らせると「母親に毒を盛られていた」という残酷な真実を教えることになってしまう。

 エディが毒だとわかって口にしていた場合でも、それを指摘してもう一度傷つけるのを避けたのだろう。


「毒や成長期の栄養不足があなたの体にまったく影響がない……とは言い切れません。ただ、私は最初からそれを知っていて、それでも一緒にいたいと思っています」


「ハロルド殿は、私のどこを好いてくれているのだ? なんでそんなに……」


「一生懸命なところも、すぐに意地をはるところも、……いつだって他人ばかり優先してしまうところも、愛おしく思っていますよ」


 聞いた瞬間、エディの心臓は爆ぜそうなくらい高鳴った。

 本当は、同じように想いを伝えたほうがいいのだとわかっているのに、黙り込む。

 どうせハロルドは、エディの気持ちなど、全部お見通しなのだ。

 エディからはハロルドは優しくて、強くて、だめな部分が一つもない人物に見えていた。

 彼しか知らないからそう感じるわけではないと、どうしたら伝えられるのだろうか。


 ハロルドが一度エディから離れる。

 もっとくっついていたいと、エディが不満に思っていると体がふわりと浮いた。彼がエディを抱き上げたのだ。


 下ろされたのはベッドの上。すぐに肩が押され、体がシーツに沈み込む。

 いつもと同じように眠るだけ――という状況ではないのだと察するくらい、ハロルドの瞳は熱をはらんでいた。


「く、口づけをするつもりなのか? あれは嫌いだ――なんか胸のあたりが痛くて泣きたくなるんだ」


「嫌い……ではないはずですよ。あまり言うとこちらも傷つくので、黙っていてください」


 エディは頷いて、瞳を閉じた。

 いつ口づけがされるのだろうかと身を固くする。けれどハロルドは額や髪に触れるだけで、一向にその気配がなかった。

 指先がエディの柔い唇のかたちを辿る。


「エディ」


 はじめて敬称なしで名前が呼ばれた。

 口づけがエディを平常心ではいられなくさせるという認識は間違いだった。ハロルドは名前の呼び方一つで彼女を翻弄し、泣かせるのだ。


(やっぱり、本当の夫婦になんてなれそうにない……。そうなる前に私が壊れてしまうではないか!)


 二度目の口づけの最中、エディは彼に対する不満で頭がいっぱいになった。

 それでもたった一つ彼に返せることが、彼を抱きしめることだけで、エディは泣いて、震えながらもしっかりと背中にまわした手に力を込め続けた。


 この夜、エディは本当にハロルドの妻になった。

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