4-5

「そこまでにしてもらおうか」


 急に引き離され、腕の痛みから解放される。割って入った声が誰のものか、エディはすぐにはわからなかった。


「ハロルド殿?」


 エディをフォーブスから引き離したのは、ハロルドだった。明らかに敵意を含んだ低い声は、守られる側のエディすら、少しだけ怖いと感じてしまう。


「……エディ様、お迎えに上がりました」


 エディに対しては、数秒前とは別人の、普段のハロルドだった。スッとハンカチを取り出すと、フォーブスが掴んでいた部分を拭き清める。


「……なんで来たんだ?」


 せっかく、いいところだったのに邪魔をしないでほしいと思っていたエディだが、今のハロルドが普段どおりのようでいて、どこか違うので抗議はできなかった。


「あなたのために、本日するべき仕事をすべて終えて、一緒に帰ろうと思いまして。危ないことをしてはいけませんよ。……少し、お仕置きが必要なようですね……」


 ボソリ、と最後に不穏な言葉が聞こえたのはエディの気のせいではないはずだ。


「フォーブス殿」


 ハロルドはエディを庇いながら、フォーブスに向き直る。


「エディ様は降嫁されたとはいえ、王族のご出身の尊きご身分。しかも今は、この私、メイスフィールド侯爵の妻だ。不用意に触れてよい相手ではない」


 大声を出したわけではない。けれど、いつもより低いその声と、険しい表情には迫力がある。


「……し、失礼する!」


 フォーブスは唇をわなわなと震わせるが、結局反論すらせず足早に立ち去る。


「この件は、私からジェイラス王子殿下に抗議を入れます。……まったく、おそばでお守りすることが適わないときは、無茶をしてはいけませんと忠告したはずですよ」


「無茶なんてしていない」


「……気持ち悪いなどと、本音でしょうけれど正直に言ってどうするのですか? 力では勝てないのですから、言いたいのなら私がご一緒のときにお願いいたします。……わざと煽りましたね?」


 青い瞳が、エディを見透かす。

 ハロルドは、じつは結構前からエディの近くにいたのではないか。そうでなければ、エディがわざと煽ったなどと思わないはず。


「そんなことはないよ。男は皆、あんなふうにおぞましいものなのか? 言葉だけで、鳥肌が立って、我慢できなかっただけだ」


「ええ、私以外の男はすべておぞましい存在だと知っておいてください。さあ、もう帰りましょう」


 しっかりと腰に手がまわされ、王宮の出入り口まで辿り着くとすぐに侯爵家の馬車がやって来る。

 有無を言わさずその中に押し込まれ、エディにとっては久々の王宮訪問が終わる。


 あとは侯爵邸に戻ってゆっくり過ごす――とはならない。ハロルドが明らかに怒っているからだ。


「とにかくエディ様はご自身のお体を大事になさってください。約束していただけないのでしたら、外出など許可できませんよ」


「そなたに心配してもらわなくても大丈夫だ」


「私はあなたの夫です。心配する権利があるんですよ、エディ様」


「夫だなんて認めていない! 少なくとも、私のほうにハロルド殿に心配してもらえる資格がないから気にするな。自分の身くらい自分で守れる」


 久々にジェイラスと話をして、昔住んでいた王宮を肌で感じたせいだろうか。

 侯爵家に来てから、離婚したいと口にしつつ、無意識に考えないようにしていた「ハロルドの妻になれない、一番の理由」が彼女に重くのしかかった。


 愛されたことがないから、愛し方がよくわからないから。

 ハロルドにとってなんの得にもならないから。


 それらは嘘ではないのだが、もう一つ、絶対にハロルドには知られたくない理由があった。

 エディ自身、最初はそれが悪いことだとは思っていなかった。けれど、ハロルドに優しくされるたび、どうしてか違和感を覚えたのだ。


 その根本にあったのは……。


「エディ様?」


「最初に、侯爵家に向かう馬車の中でも言っただろう? 私は絶対に変わらない。……そなたこそ、私の気持ちを無視するのはいい加減やめろ。はっきり言えば迷惑なんだ。二年経ったら考えが変わるなんて期待して、そなたの時間を無駄にするな」


 いつか変わるかもしれないからなどと期待させたままでいるのは、エディとしても苦しい。たった半年で焦りを覚え、今もこうやって、彼を傷つける言葉ばかりを吐き出している。


「それならば、エディ様こそ離婚したい理由をおっしゃってください。男が嫌いだとおっしゃいましたが、私のことは好きでしょう?」


「なに言って……」


「どうやって誤解しろと言うのですか? さすがに無理がありますよ。気の長いほうだと思っていましたが、私もそろそろ待てません。……もう諦めてください」


 もし「嫌いではないでしょう?」という問いならば、素直に返せたはずだ。もう感謝や尊敬という言葉で取り繕おうとしても、今のハロルドはそれを許してくれない。

 異性として好きかどうかの答え以外は、認めてくれそうになかった。


「……なぜ、そなたは私をそんなに困らせるんだ」


 それっきり、エディは黙り込んだ。

 ハロルドは無理に問いただすこともなく、互いに無言になった。


 悪態すらつけない状況は、はじめてだ。

 エディは本気でどうすればいいのかわからなくなってひたすら俯いていた。



 そのままハロルドとは口を聞かずに夜が更けていく。

 どうしても二人きりになりたくないエディは、就寝の支度をしたあとに、ヴィヴィアンの私室を訪ねた。


「王女殿下、なぜ最初からわたくしの部屋で眠るつもりなんでしょうか? ものすごく迷惑ですわ」


 枕を抱えてエディが匿ってほしいと懇願すると、ヴィヴィアンは大きなため息をついた。


「そなた、私たちの離婚に協力してくれると言っていたじゃないか。頼れるのはヴィヴィアン殿しかいない。二人きりになったら……もう抵抗できるかあやしい」


「まだ言っていましたの? まず、なぜ私が愛し合う二人の邪魔なんてしなければなりませんの。面倒くさいですし、勝手にわたくしをお邪魔虫の悪役小姑にしないでくださいませ」


「……ヴィヴィアン殿?」


「夫婦喧嘩中ならば、仕方ないですからしばらくはこちらで眠ってもいいですわ。おやすみなさい、王女殿下」


「う……うん、世話になる」


 ウサギは私室に置いたままだった。

 エディは嘘が下手なのだ。生まれてからずっと秘めていた性別の秘密だけは、徹底してバレないように隠せていたはずなのに、ほかはだめだった。

 そろそろ自分の気持ちをごまかすのは限界だと承知していた。

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