5-1 悪妻をやめた朝

 悪妻をやめた朝。エディは広いベッドの上で目を覚ます。

 私室ではなく、絶対に行かないと決めていたはずの夫婦の寝室だった。


「ハロルド殿……?」


 隣で眠るのははじめてではないが、いつもは無意識に、彼に背を向けて眠るようにしていた。

 今日は彼の胸に顔を埋めるかたちで目が覚めた。腕がしっかりとまわされているせいで、身動きがとれない。

 名前を呼んでから、少しだけ顔を上げれば、うっすら目を開けるハロルドがそこにいた。


「おはようございます、エディ様」


「……おはよう、ゴザイマス」


「どこか調子の悪いところはありませんか?」


 二人とも横になったまま、わずかに体が離れる。すると互いの顔がよく見えるようになった。

 ハロルドは中途半端な長さのエディの髪を撫でて、彼女の体調を気遣った。


 冷静になったエディは、今後について考える。

 昨日はただハロルドが好きだという感情ばかりが先走って、これからどうすればいいのかまでは考えていなかったのだ。


「ない、です。そ、その……私は悪妻をやめていいのだろ……でしょうか?」


 性別が明らかになってからも、エディは言葉遣いを改めなかった。

 けれど悪妻をやめるのなら、これからは王女ではなく、きちんとした侯爵夫人だ。

 夫であるハロルドの言葉が丁寧ならば、エディだけ偉そうにするのはいただけない。


「エディ様は私をジェイラス殿下の側近にするために、離婚しようとしていたということでしょうか? 悪妻のつもり……だったんですね、あれ……」


「そうだ!」


 頬を膨らませるのは、気恥ずかしさを隠すためだった。

 今知った、ぜんぜん響いてなかった、というハロルドの態度は、少し意地が悪かった。


「私はとくにジェイラス殿下の側近になりたいわけじゃないんです。ただ、国の安寧については、王女の降嫁先として責任があると感じているだけで」


「だが、私は必要な人材としてそなたには次期国王の傍らにいてほしいんだ……いや、いていただきたいと思っているのです。でも私の夫だと、かつての第一王子派という印象が消えてくれないから……」


 もし最初から後継者である王子がジェイラス一人だったとしたら、国王もカーシュ夫人を甘やかすことはなかっただろうし、ジェイラスの側近はハロルドになっていたはず。

 今のエディにできるのは、第一王子エディの存在によって歪められた関係を修復していくことだろうか。


「ところで、無理に言葉遣いを変える必要はないと思いますよ」


「そうか? 助かる。意識すれば女性らしい言葉遣いだってできるが、親しい者に対し、途中から変えるのは恥ずかしいんだ」


「話を戻しますが、エディ様がジェイラス殿下の今後に責任を感じておられるのは理解できますが、一人で背負うものではありません。これから、ジェイラス殿下とエディ様、それから私も協力して模索すればいいのです」


 ジェイラスに会い、今の彼がエディに憤っていないことは確認できている。それに、ジェイラス自身は、かつての支持者以外の人材をほしがっている。

 ハロルドの提案は、現実的でとても前向きだった。


「そうだな……それが正しいのかもしれない」


「あなたはもう、一人ではありませんから」


 一人で贖罪をし続けなくてもいいのだと、彼は言っているのだ。

 誰にも心配されないから、エディは自分自身を蔑ろにした。大切なのは第一王子という虚像だけで、誰も知らない少女などいなくなってもかまわないと思っていたからだ。

 けれど、今は無茶をすると心配してくれる相手がいる。


「うん、わかっている。ハロルド殿を頼りにする! その代わり、私がそなたを幸せにするんだろう?」


 以前に、ハロルドがそうしてほしいと願ったのだ。

 エディははじめて、離れて迷惑をかけないようにする以外の行動で、彼を幸せにする方法を考えはじめた。


「そういえば、ハロルド殿の好みは確か……。また男装にしたほうがいいか?」


「……フッ。……ははっ!」


 笑いながら、ハロルドが身を起こした。あまりに面白かったから、もうベッドの中でまどろむ気が失せたというように。

 腹を抱えて笑うのは、エディにはじめて見せる姿だ。


「なにがおかしい!」


 ハロルドに続いて、エディも身を起こす。


「エディ様が私の好みに合わせようとしてくださったのが嬉しかっただけです」


「だって……!」


 やはりエディ個人にできることは限られている。すぐに実践できそうだったのが、彼好みの女性になる努力だった。

 それなのに笑われて、エディは頬を膨らませる。


「男装も好きですが、今のあなたにはドレスが似合います。どうせヴィヴィアンから聞いたのでしょうけれど、あれは嘘ですよ」


 ハロルドがそう言って、片目をつむった。


「嘘?」


「あなたがわかりやすい諜報員・・・を送ってきたので、でたらめを吹き込んだんです」


 ヴィヴィアンが自信ありげに集めてきた情報は、偽物だったということだ。

 だとしたら、翌日から急に女性用の服を着るようになったエディを、ハロルドはどんな気持ちで見ていたのだろうか。


「そなた……以前から思っていたのだが、性格が悪いぞ」


 優しいのに、強引で。隠していたいことまですべて見透かして――いつもエディを困らせてばかりだった。


「私はエディ様に対し、常に誠実な夫ですよ」


「昨日は、……〝様〟がなかったのに」


 目覚めてからのハロルドは、すっかりいつもの彼だった。

 昨日は確かに、普段見せてくれない隠された彼を感じていたのだ。いつも翻弄され、余裕がないのはエディだけ――という状況は大いに不満だった。


「エディ」


 ベッドの上にまだ座った状態。スッとハロルドが身を寄せて、耳に触れるかどうかの距離で囁いた。


「……!」


 名前を呼ばれただけで、体温が急上昇する。


「やっぱり。そんなふうに名を呼ぶだけで真っ赤になるのなら、人前ではむりですね。見ているこちらが恥ずかしくなってしまいます」


「わかった! そなたも今までどおりでいい」


「そうですね。あなたが真っ赤になってもいいときだけにしましょう。……ね、エディ?」


 エディはこの日、はじめて夫は性格が悪いのではないかと疑い、すぐにそれは間違いではないと悟った。

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