4-3

「姉上と会うのに、なぜフォーブスが同席するのだ!? 必要ない」


 憤っている理由を察して、エディは大きくため息をついた。


「ですが、あの女は今でも王位を狙っているかもしれません」


「それは無理だ。ありえない……おまえはこの国の法をしらないのか?」


 会話の相手は侍従の一人、バイロン・フォーブスだろう。カーシュ夫人の遠縁ということで、同じ侍従の中でも、エディの隣にいる者よりも幅を利かせているらしい。

 先ほど撃退した女官二人のうち、一人はフォーブスの姉の夫の妹――という関係だ。

 くだらない嫌がらせが誰の指示だったか、十分に察せられた。


「返事がないので、失礼する!」


 本当はノックすらしていないのに、相手が取り込み中で気がつかなかったていを装って、エディは部屋の中に踏み込んだ。


「……姉上?」


「今日は招いてくれて嬉しかった。久しぶりだなジェイラス」


 部屋の中にいた二人の人物は、エディをじっと見つめたまま固まっている。


「なんだ、じろじろ見ないでくれないか」


 出迎えた侍従と同じ反応だったため、エディは驚きもしなかった。


「まるで別人でしたから……。お元気そうでよかった」


「そうか。きちんと食事をとるようにしているし、髪が伸びたからだろう」


 ヴィヴィアンからもニコラからも、会話さえしなければ完璧な淑女だと太鼓判を押されている。

 エディはがさつな王女のままでいるつもりだから、それがいいかどうかはわからない。

 ただ、着飾るのは好きだった。だから、見た目が女性で中身ががさつというのも、ギャップがあっていいかもしれない――などと言い訳をしながら毎日可愛らしい装いを楽しんでいた。


「フォーブス、ここはもういい。下がれ」


「……御意」


 ジェイラスが強く命令すると、フォーブスはしぶしぶそれに従った。

 エディは弟に促され、ソファに座る。ジェイラスがテーブルを挟んで向かいに腰を下ろすと、すぐにお茶が運ばれてきた。

 女官にも退出を命じて、久々に二人だけで語らう時間となった。


「今日はなんの用だ?」


「特別な用事があったわけではありません。ただ、きっと私の誕生祝いのときは長話などできないでしょうから、たまにはゆっくり会いたかったのです」


「そうか」


 最初の歓迎・・が、ジェイラスの指示だったとは思っていないエディだ。

 けれど、仕える者たちが彼の思いを勝手に汲んだのだとしたら、ジェイラスは姉をまだ許していないのかもしれない。

 そんな覚悟をしていたが、再会は思いのほか穏やかなはじまりだった。


「メイスフィールド侯爵邸では、いかがお過ごしですか?」


「皆に優しくしてもらっている。領地に関することで、多少ハロルド殿の手伝いをしているが、あとは遊んで暮らしているよ」


 結婚休暇を終えたハロルドは、職務のため日中は不在だ。

 彼はいつも出かける前にエディに仕事を与えてくれる。調べ物だったり、ちょっとした資料のまとめや計算などだ。


「侯爵は姉上に優しいのでしょうね」


「そうだな。……そなたは元気だったか?」


 ジェイラスの顔が歪む。

 彼がそんな表情をするのは、彼の周囲にいる者のせいだろうか。


「姉上は、先ほどのやり取りをどうお考えですか? 聞いていたのでしょう?」


 エディの予想は当たっていた。

 ジェイラスは自分を取り巻く状況を、姉に相談するつもりで招いたのだろう。


「フォーブス殿のことだな。あれは、私――というより、侯爵家を恐れているのだと思う」


「姉上の王位継承権もないのに、ですか?」


「フォーブス殿が恐れているのは、そなたの王位継承が邪魔されることではないはずだ。どう考えたってありえないから」


 ティリーン王国の王女にも、王女が生んだ子供にも、王位継承権は与えられない。いくらメイスフィールド侯爵が、力のある名家だからといっても、法を曲げることは不可能だ。


「だったら……」


「たぶん、私とそなたが関係修復をした先に、メイスフィールド侯爵家をはじめとした、かつて私を支持していた者たちに、出世が阻まれるのを恐れているのだろう」


 かつてエディに近い立場を表明した貴族たちは、変わらず王宮に出仕している。

 今のところ、ジェイラスはその者たちをそばに置こうとはしていない。していない――ではなく、できないのだ。


「私が、姉上との個人的な関係で誰かを閑職に追いやったり、逆に優遇したりする……そう思われているということですね」


 ジェイラスは、正義感の強い人物だ。当然、そんなことをするつもりはないのだろう。

 任命できる役職には限りがあり、現在そのポストは、どうしても第二王子派と呼ばれていた者たちで埋まっていた。

 エディが去ったあと、どちらの王子を推すかという争いは強制的に終了した。

 けれどすでに取り立てた者が大きな失敗でもしない限り、ジェイラスがほかの者に役職を与えることはできない。

 ただそれだけなのだが、外から見たらかつて第一王子に近い立場だった者を無視しているように見えてしまうのだ。


「本当はそうではないとわかっている。きっかけがあればいいのだが……」


 動かずにいれば、取り巻きだけを優遇する王子と見なされる。

 けれど積極的にそれ以外の者を起用すれば、きっと以前からの支持者からは不満が噴出する。そんな状況だった。


「姉上はなんでもわかっていらっしゃる」


 彼の表情が曇る。

 エディが理解を示したことに、ジェイラスは不満そうだ。


「そんなことはない。わかっていたら、そなたにこんな苦労をさせなかった」


 本当は、ある程度予想していた。ただ周囲が二人の王子の敵対を煽る中で、どうやってもジェイラスに上手く助言できなかった。

 エディ自身、仕える者を選べたわけではないのだから。


「お優しいですね。姉上は」


 語気が強まる。今度は明らかに怒りをはらんでいた。エディはジェイラスの力になりたいと思っているのに、なぜ――。


「ジェイラス?」


「メイスフィールド侯爵に守られて、誰からも尊敬されて……王位を継ぐ気なんて最初からなかったのに、いつも私の前を歩いて……」


 それがジェイラスの本音だった。

 彼からしたら、面倒なことをすべて押しつけて、優しい夫に守られて、好きに過ごしているように思えるのだろう。

 実際、エディの外見――健康的になり、美しいドレスを身にまとう姿は、侯爵家でこれ以上ないほど大切にされている証しだ。


「昔からそうだ。あなたは王子としては父上から認められていたし、有能なメイスフィールド侯爵だって、ただ第一王子だからというだけで、あなたを支えていたわけじゃない。今でも堂々として、それでいて自由で……」


「自由?」


「失言でした、申し訳ありません」


「自由……なのか。いいんだ……たぶん、間違っていないのだから。でも、今の私はもうなにかを成し遂げたいと望んでも、できないんだ。私こそ、そなたがうらやましい」


 エディは自由を望んでいない。しがらみの中でも、誰かの役に立ち、必要とされたかったのだと思う。そして、彼女が唯一他人から必要とされていたのは王子としてのエディだけだった。

 王子という地位を奪われて、残ったのはなにもない存在だ。

 だから、彼女のほうこそ弟がうらやましくて仕方がなかった。


「……言い争いなんて、はじめてですね」


「うん、そうだな」


 それまで険しかったジェイラスの表情が和らぐ。言いたいことを言い終えると、途端についさっきまでの発言がばからしくなるものなのだ。

 結局、二人とも与えられた立場で足掻くしかない。


「ジェイラス聞いてくれ。理由はなんでもいい……そなたハロルド殿を近くに置いたほうがいい」


 ポストは簡単には増やせない。けれどエディが第一王子ではなくなり、王子としての職務がすべてジェイラス一人に割り当てられている。

 だったら、新たに人を増やすこともできるのではないか。エディはそんな可能性を弟に伝えた。


「……それは、私も考えていました。ですが、やはり姉上の夫という反発は大きい」


 優秀で、高位貴族としての力がある、それでいて人格的にも信用できる者として真っ先に浮かぶのが贔屓目なしにハロルドだ。

 けれど同時に、彼はかつての第一王子派の代表でもある。これまでジェイラスを支えてきた者たちの反発は必至だ。


「あのときはなにも言えなかったが、そなたが私を支える気でいてくれたという言葉は嬉しかった。だからこそ申し訳なく思ったんだ。……できれば、ハロルド殿に頼むのではなく、私がそなたを助けたかった」


 以前、ハロルドが「殿下が望むように生きることはできる」と言っていた。

 もし本当に望めるのなら、エディは過去の十六年を無駄にしない生き方がしたかった。

 弟を追いやり、女王になりたい――というわけではない。

 どんな身分でもいいから、国政に関わりたかったという思いは今でも強くあった。


「姉上ご自身が、ですか? そうですね。そんな関係になれればどれだけいいか。メイスフィールド侯爵の件は、私も具体的に検討します」


「そうか……、だったら、そなたには正直に言うべきなのだな。私はハロルド殿とは離婚したいと思っている。いいや、絶対に離婚する。私の夫だから……という反発は、そのうち消えてなくなるはず」


「なぜですか? 不仲とは思えませんが」


「私とハロルド殿は白い結婚だぞ。意味はわかるか?」


「わかりますよ! 姉上と私はほとんど同じ歳ではありませんか」


 ジェイラスは頬を赤らめる。わりと純朴な少年だった。


「ハロルド殿は、なんの役にも立たない私の面倒を一生見るつもりでいるらしい」


「面倒を見てもらえばいいじゃないですか」


 なぜそれがいけないのか、ジェイラスにはわからないのだろう。


「私にはきっと誰かを愛することなんてできないし、本当にその資格がないんだ。……大切にしてもらう理由がどこにあるのかわからない。だから離婚する」


 誰かに愛されるのには、きっと資格がいるのだ。

 エディは両親に愛されなかったからという理由で、その資格がないと考えてるわけではない。

 けれど、過去に犯した過ち・・はいつまで経ってもなかったことにはならない。

 エディは根本的な部分で、ハロルドの本当の妻になれる自信がなかった。だから愛される資格はきっとない。


「資格……? よくわかりませんが」


 その過ち・・については、本当に誰にも話したことがなかった。

 もし伝えるとしたら、まずはハロルドに言うべきだ。


「それはいいんだ。……私は今、悪妻になるべく日々ハロルド殿に嫌がらせをしている。それから、つい先ほどもそなたの侍従や女官たちを、不遜な態度で脅してやった。降嫁しても傲慢で夫を臣として扱うがさつな王女だと思われたはず」


 寛容すぎるハロルドに対する嫌がらせは、いまいち手応えを感じられないが、ジェイラスの側仕えたちへの悪妻アピールはかなり上手くいった。

 もともとエディを疎んでいる者たちは、噂を流すのに積極的だから、すぐに王宮内どころか貴族社会全体に伝わるだろう。


「なぜそんな愚かなことを?」


「ハロルド殿に落ち度のない離婚が、私の望みだからだ」


 エディは断言するが、ジェイラスは首を傾げている。


「……できるとは思えませんが、邪魔はいたしませんので頑張ってください」


 ジェイラスの言うように、離婚までの道は険しい。

 まずは結婚後はじめての社交の場となるジェイラスの誕生日。――それが皆のこれからを決める重要な日になりそうな予感がした。

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