4-2
ジェイラスの誕生日の二週間前、エディは一人で王宮に戻った。
ハロルドは職務で王宮にいるが、今回は同行しない。本人は無理にでも休暇をもらって一緒に行くと主張していたが、エディが突っぱねたのだ。
実家に帰るのに、夫に守ってもらうのはおかしい。
「……お……王女殿下?」
臣としてエディがはじめて王宮に入ると、ジェイラスの侍従の一人が出迎えてくれた。
バイロン・フォーブスとは別人だが、以前第二王子派と呼ばれていた新興貴族の一派だった。
侍従は目を丸くして驚いている。おそらく、五ヶ月ぶりに姿を見せたエディが、別人になっていたからだ。
「わざわざ出迎えご苦労」
ヴィヴィアンとニコラのおかげで、今日のエディは見た目だけなら完璧な淑女である。
薔薇色のドレスに、白いレースのチョーカー。短めの髪は花のモチーフの飾りで彩られている。
ここを去るときの、ドレスを着た少年はもうどこにもいなかった。
侯爵邸ではきちんと女性の服を着ているエディだ。けれど本当は、今日こそ〝降嫁後もまったく変わろうとしないがさつな男装王女〟と印象づけるため、男装で王宮へ向かうつもりだった。それをハロルドが〝夫の責任問題〟を持ち出して止めたのだ。
エディも負けじと〝十六年、育てた側の責任〟説を主張した。
最終的にもし男装で王宮へ向かうなら、職務をさぼって同行すると言い出したので、結局エディが折れるしかなかった。
彼はよく自分を人質にして、エディに言うことを聞かせようとする。
見透かされていることに腹が立つが、実際有効な手段だった。
ハロルドは配置換えによって、当たり障りのない部署に異動となっている。表向きはエディの降嫁に伴う純粋な人事異動だが、第一王子の側近という役割と比べたら、ほとんどの役職が格下だ。
これ以上、エディのせいでハロルドの立場を悪くすることはできなかった。
「おそばでお守りすることが適わないときは、許可できません」
最終的にそう諭されて、エディは謁見にふさわしいドレスに着替えた。
せっかくの華やかな装いだというのに、披露するのが親しくない者ばかりという状況を彼女はもったいなく感じていた。
「私の顔になにかついているか?」
侍従がずっと固まっているので、エディはムスッとした顔をして、早く案内するように促した。
「……いいえ、失礼いたしました。ジェイラス殿下のところまで、ご案内いたします」
「うん、頼む」
チラチラとエディを気にしながら侍従が案内する先は、王族が住まう宮の方向ではなかった。
私室、応接室、それとも執務室の近くか――通される可能性がある部屋の位置をいくら思い浮かべても、どこでもない方向だった。
「そなた、私がここの住人だったのを忘れたのか? 面倒な嫌がらせをするな。足が疲れるではないか」
降嫁してからほとんど公の場に出ていないエディを、多くの人目がある場所へ連れて行き、晒し者にする。それが侍従の目的なのは明らかだ。
先ほどから人が集まりやすい場所ばかり選んで通っている。
「王女殿下に嫌がらせなど、滅相もない。まだ約束のお時間には少々早いので、懐かしい場所をご案内しているだけです」
「そうか、ご配慮痛み入る。……そのありがたい気遣いは、誰の提案だ? ジェイラスか、それともフォーブス殿あたりだろうか?」
「い、いえ」
この男は、完全にエディの性格を見誤っていた。降嫁してひきこもっている王女は、なにをされても黙って涙をにじませるとでも思ったのだろうか。
隠していた性別が明らかになっただけで、エディの性格まで変わるはずもないというのに。
しかもエディにはハロルドの立場を悪くしないように自重しようという気が一切なかった。夫の助言を無視する悪妻なのだから、当然だ。
「では、そなた自身の気遣いだな? 気の利く侍従がいるから褒美を与えるように、ジェイラスに言っておこう。私に感謝するといい」
エディは不敵に笑ってみせた。これが気遣いだとしたら、ジェイラスに報告するのは感謝されるべき行為だ。
ジェイラスは確かにエディに対し憤っていた。けれど、こんな陰湿なやり方をする人物ではない。だとしたら、この嫌がらせは仕える者が勝手にやっているのだろう。
けれど、侍従は今になってようやく主人の性格を思い出したのかもしれない。
冷や汗をダラダラと流す男は、これ以上の遠まわりをやめて、ジェイラスの執務室がある方向へエディを導く。
「まぁ、なんて御髪なのかしら? みっともない」
まもなく目的の部屋に辿り着くというところで、甲高い声がした。二人の女官が廊下の端でエディのほうを見て笑っていた。
「しー! 王子殿下に失礼よ」
「王女殿下でしょう……ふふっ」
これもジェイラスの側仕えたちの演出の一つなのだとエディはすぐに察した。
同行している侍従は、すでに企てが看破されていることを女官たちに伝える術を持たず、口をパクパクさせているだけだった。
「おい。あのくだらない演出もそなたの差し金か? そなたらは、ばかなのか?」
「い、いえ、そのようなことは……」
エディが、女官たちに聞こえる声で咎めると、侍従の顔色はもはや土気色だ。
なんとか女官たちのおしゃべりを止めようとする侍従のあわてぶりが愉快だった。
「なにかしら、まるで男みたいな話し方ですわ」
「侯爵閣下が一番不幸だわ」
女官たちはそれでも強気に悪口を続ける。
エディは大きくため息をついてから、下らない会話をし続ける女官を一瞥する。
「黒髪の女官はキャシー・アダムズ、金髪の女官はマーサ・ハットン。カーシュ夫人の推薦で王宮に上がったはずだ。確か一人はフォーブスという男の姉の嫁ぎ先の――」
かつて第二王子派と呼ばれていたジェイラスに仕える者たちは、エディにとっての敵となる可能性があった。だから身分を問わず、顔と名前、それから推薦者や血縁まで全部頭に入れていた。
エディが失礼な女官たちの名前を口にすると、彼女たちの顔色が一気に悪くなる。
おそらく彼女たちは、誰かから命じられていたのだろう。エディが個人を罰しようとしても、知らぬ存ぜぬ、誰だか特定できませんでした――と、口裏合わせをするつもりで。
名前を知られた程度で怯えるくらいなら、最初から言わなければいいのに。
「これでも私は王女で、今は侯爵夫人だ。夫は私の命令をなんでも聞いてくれるみたいなんだ。……医者の娘と、地方役人の娘……だったか? ハロルド殿にお願いして
あくまでひとり言としてつぶやくが、相手はすぐにエディに近づいて、ものすごい速さで頭を下げた。
「……も、申し訳……ありませ……んでした」
「私……、そうしろと命じられて……」
「誰から命じられたのか、あえて聞かない。けれど、こんな卑怯な嫌がらせを強要する者は、きっとそなたたちが危機に陥っても、庇ってくれないだろうよ。違うか?」
エディはそこで一旦言葉を切った。
生まれたときから嘘をつくことを強要されていた彼女だ。それでも、母親の命令だから仕方なかったのだと開き直るのは違うと思っていた。
とくにジェイラスとハロルドの二人には、申し訳ないことをしたと後悔ばかりだ。
「私も仕方なくついた嘘で誰かを傷つけた経験がある。だから、今回はそなたらを咎めない」
「王女殿下……」
女官の瞳から涙がこぼれ落ちる。もう一人はすでに俯いてハンカチで顔を覆っていた。
「もう行きなさい。見逃すのは一度だけだ。覚えておくといい」
二人の女官はもう一度深く頭を下げてから、立ち去っていった。
(覚えておくといい――我ながら完全な悪役だな)
夫の社会的地位を利用して、少し嫌みを言っただけの女官を一家まるごと都から追い出すという無茶ぶりだ。
しかも降嫁後も、エディは王女として振るまい、夫を僕のように扱っているのだと印象づけることに成功した。
先に相手が噛みついてきたとしても、泣かせるまで完璧に叩きのめした。
まさに、物語に出てくる悪役貴族そのものだった。
「……相手がハロルド殿でなければ、わりと上手くいくのだな」
きっとエディの悪妻っぷりは、王宮内、貴族たちにすぐに広まるだろう。それだけでも今回の訪問に意味はあった。
「王女殿下、なにかおっしゃいましたか?」
「ひとり言だ……。そなたも覚えておけ。私は、敵意を向けてくる者には容赦しない。そして、私の知っているジェイラスは、曲がったことが嫌いだったはず。そなたらの行動が弟の命によるものならば仕方がないが、臣が争いを煽ってどうする?」
「殿下のお言葉、しかと胸に刻みます。……この度の失礼、重ねてお詫び申し上げます」
「わかればいい。次はないぞ」
どうやら、この侍従はそこまで悪意のある人間ではないらしい。
「なんと寛大な……」
「寛大? 勘違いするな。誰かに命じられて動くだけの小者をいちいち蹴散らすのが面倒なだけだ。わかったか」
エディとしては、彼女がいかにがさつな王女だったかを貴族社会に広めてもらう役割を彼らに求めている。
処罰しては、意味がないから脅すだけにとどめたのだ。好意的に勘違いしてもらっては困る。
「はっ!」
やがて、目的の部屋の前に辿り着く。
扉越しでもはっきりと、ジェイラスの声が聞こえた。
「姉上と会うのに、なぜフォーブスが同席するのだ!? 必要ない」
憤っている理由を察して、エディは大きくため息をついた。
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