4-1 もはや手段を選んではいられない

 もはや手段を選んではいられない――最近、エディは強くそう感じるようになった。

 結婚から四ヶ月が過ぎた。ハロルドは懲りずに毎晩部屋にやって来るし、エディがそれに慣れることはなかった。

 あれ以来、口づけは一度もしていないが、少しでも触れられると泣きたくなるほど動揺してしまい、しかも日に日に症状が悪化していた。


 そのあいだ、エディはより健康的な体つきになっていった。

 首まわりと胸のあたりに少しだけ肉がついたおかげで、女性らしく見えるようになった。

 髪はまだ肩まで届かないが、サイドだけならばアレンジできるようになった。

 器用なニコラに編み込みを入れてもらったり、リボンや髪飾りをつけてもらうのが、エディの密かな楽しみだった。


 侯爵邸での暮らしは賑やかなのに心は穏やかでいられた。ハロルドだけはエディの心を乱す存在だが、そうなるのは彼が自分の中で特別だからだと、エディはきちんとわかっていた。

 だからこそ、甘えてほだされる前にこの屋敷を出て行きたいという思いがより強くなる。

 長居をしたら、きっとエディのほうが離れ難くなってしまうから。


 この日は、ジェイラスの誕生日を祝うパーティーで着るためのドレスが仕上がっていた。

 その微調整と一緒に、宝飾品を選び、ついでに新しいドレスをいくつか仕立てるつもりだった。

 四ヶ月前にハロルドが用意してくれたドレスや、エディが持参した男装がきつくなってしまったのだ。


 侯爵邸の応接室には、仕上がった豪奢なドレスと、それに似合う宝飾品がずらりと並べられている。

 ヴィヴィアンとニコラがそれらをじっくりと眺め、ああでもない、こうでもないと楽しそうだ。エディとハロルドはそんな二人のはしゃぎっぷりを見守っていた。


(散財……禁じ手だが、この際仕方がない)


 エディは目立った成果が得られないことに、焦りを感じていた。

 侯爵家に迷惑をかけたくないなどと言って、生ぬるい行動ばかりしていてもなんの効果もない。そこでエディは、もう少し柔軟に悪妻をめざそうと決意した。


 ハロルドはおそらく、エディのなにもほしがらない部分に好感を抱いているのだろう。

 例えば――彼が甘やかしたせいで、与えられることにすっかり慣れ、なにもしていないのに高いものを買い与えられることを当然だと思っている。そして大して感謝もしない。

 もしそんな妻がいたら、間違いなく愛情が冷めるだろう。


 宝飾品ならば、離婚後にヴィヴィアンに引き継ぐか売り払うことができる。

 だから今回、エディはとにかく高いものを選び、ハロルドを困らせるつもりだった。


「エディ様、今日はヴィヴィアンのために宝石商を呼んだのではありませんよ。あなたもどうぞお近くで」


「う……うん、そうさせてもらう」


 挙動不審になりながら、エディは宝飾品に近づいて、じっくりと品定めをする。

 目に止まったのは、青い石だった。


「私はこれがいい。……大粒のサファイアだ」


 もちろん値段は書かれていない。けれどずらりと並べられた宝石の中で、一際目を引く青い石だった。

 メインのサファイアだけではなく、周囲に散りばめられた小さなダイヤモンドが、これでもかと言わんばかりに輝いている。

 この場にある宝飾品は、すべて侯爵夫人が身につけるにふさわしい品のはず。

 けれどその中でも、エディが選んだサファイアは間違いなく高い。知識がなくても、細工の細かさや輝きで、高いということだけはわかるものだ。


 エディのドレスは明るい青紫――ウィスタリアという名の色だった。もしドレスに合う宝石を選ぶのなら、エメラルドやサファイアが合いそうだった。

 彼女が興味を示すと、飾られているドレスの首もと付近にサファイアのネックレスがあてられる。


「いかがでございましょうか?」


「とても綺麗だ。ドレスによく合う気がする」


 言いながら、エディはハロルドの様子をうかがった。彼は真剣な表情でサファイアを見つめている。


「エディ様、実際につけてみてください」


 それを合図に、宝石商の女性がエディの背後にまわり込む。エディの首もとに、ずしりと重厚感のあるネックレスがつけられた。


「どうかな?」


 エディは王族だったから、高いものを身につけるのにそこまでためらいはない。

 身分にあったものを選ぶのは当然だ。それでもなお、このサファイアは過剰な贅沢品であると確信している。


「いいですね。ただ――」


 ハロルドの表情が険しいものに変わる。じっとエディと首飾りを食い入るように見つめた。


(よし! 遠慮はいらない。さすがに高すぎる……と本音を言えばいい)


「耳のあたりがさびしいな。……同じ色合いのイヤリングはないのか?」


「……え?」


 すかさず、宝石商がイヤリングの入ったケースを持ってくる。

 あっという間にエディの耳にネックレスと揃いの青い石がつけられた。


「よくお似合いです。――私の瞳の色に合わせてくださったのが、なによりも嬉しい」


 ハロルドがはにかんだ。


「……あ、合わせてない! 偶然だ。仕方がないだろう? ドレスに合うものだとこのサファイアが一番だったのだから」


 エディの贅沢を咎めるどころか、勝手にイヤリングを追加した。エディは侯爵家の財力を侮っていたのだろうか。

 それにうっかりハロルドの瞳と同じ色の石を選ぶという失態を犯す。

 偶然だと強い口調で否定しても、宝石商やニコラは「恥ずかしがっているだけ」として扱うし、ヴィヴィアンは宝飾品に夢中でそれどころではない様子だ。


「お兄様、わたくしも選んでいいかしら? こちらのルビーがほしいの」


 ヴィヴィアンが興味を示したのは、シンプルなルビーのネックレスだ。

 先の尖った楕円形――マルキーズと呼ばれるカットで、台座は金。上品だが、少々地味だ。正装のドレスに合わせる用途ではなく、普段使いのものだった。


「さすがお嬢様はお目が高い。こちらのルビーはミルマー産の最高級品でございます」


「やっぱりね」


 ヴィヴィアンは自分磨きに余念がない、着飾ることが好きなタイプの令嬢だ。

 彼女にしては地味な宝石を選ぶのが不自然で、エディは首を傾げた。


「……エディ様、ミルマーは東方の国で、上質なルビーの産地として有名です」


 そばに控えていたニコラが小声で教えてくれる。

 エディは綺麗な宝石に憧れるごく普通の女性だったが、王子として育ったせいで知識はない。代表的な石の名前はわかるが、産地まで気にしていなかった。


「ヴィヴィアン殿もニコラも詳しいな」


「ちなみに、一般的に高価な宝石というと、まず最初にダイヤモンドが浮かびますが、ルビーは大きなものが採れませんので、上質かつ大粒のルビーはダイヤモンドより高いのです……もちろん、品質次第ですが」


 嫌な予感がして、エディの額に汗がにじんだ。


「ニコラ、もしかしてこの中で一番高いのは……」


「ええ。私の推測では……今、ヴィヴィアン様が試されているネックレスです」


 エディは焦った。これではエディが散財している印象が消えてしまう。


「気に入ったわ。石の赤みを引き立てるためのシンプルな装飾。……わたくしにふさわしい美しさだわ」


「ヴィヴィアン、贅沢だぞ」


 ハロルドが眉間にしわを寄せ、大きなため息をつく。

 これこそ、エディが彼から引き出したかった表情だ。けれど、成し遂げたのは残念ながらヴィヴィアンだった。


「でもこのルビーに決めていいですわよね? お兄様。赤い石が似合うのは、どうせ王女殿下ではなく、わたくしでしょう?」


 正装に合わせる宝飾品は、貴族の必要経費である。

 ヴィヴィアンはそうではなく、普段使いのネックレスにエディ以上の金をかけるつもりなのだ。


「仕方のない妹だ。……エディ様」


「どうしたんだ?」


「エディ様はあと三つほど宝飾品をお選びください。そのうち必要になるでしょうから。今日はあなたのために宝石商を招いたのに、これでは夫としての示しがつきません」


 妻を差し置いて妹に高いものを与えるのは、夫失格だと彼は言うのだ。

 ヴィヴィアンの無駄な審美眼のせいで、エディの「散財する悪妻計画」は完全に破綻した。

 エディに宝石に関する知識がなかったことも大きな原因のため、ヴィヴィアンだけを責めることはできない。


 けれど、彼女は離婚計画に協力すると約束したはずだった。それが逆に、邪魔をするかたちとなったことにエディは納得できなかった。


「ヴィヴィアン殿……」


「もしかしてわたくしに嫉妬していますの? 王女殿下ももっとお兄様におねだりすればいいのに」


「違う」


 エディはうなだれて、完全に戦意を失った。

 結局、それなりの散財はできた。ただし、ヴィヴィアンに引きずられてというかたちだった。エディの評価はヴィヴィアンのせいで「堅実で遠慮がち」となってしまった。

 ハロルドに関しては、新妻を甘やかしたい夫という評価を獲得してしまった。


 目立った成果を上げられないまま、王宮で開かれるジェイラスの誕生祝いの日が近づいていた。


 そんな中、エディに一通の手紙が届く。

 差出人はジェイラスからで、久々に会いたいというものだった。

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