3-5
翌朝、エディとハロルドは前日とほぼ同じやり取りを繰り返していた。
「そなた、懲りないな。互いに眠れないだろう?」
グッ、と両腕に力を込めて、ハロルドを追い出そうと試みる。けれど彼が腕を掴んで抵抗したせいで、エディは体勢を崩してしまう。
ハロルドの胸に顔から突っ込むかたちになり、鼻を打つ。
「痛い」
図らずも、彼の嫌う行動をしている。
異性に触れられるのが苦手なはずなのに、彼は演技派で本音を隠すのが上手だ。朝の光に照らされて、キラキラとした笑顔を見せるだけだった。
「申し訳ございません。……ですが、エディ様こそ諦めが悪いですよ。熟睡なさっていたくせに眠れないなどと嘘を言って」
そもそも彼はなぜ二日続けてエディのベッドに忍び込んだのか。エディは思考を巡らせて、ある結論に辿り着く。
(なるほど……。一緒に寝るのをやめると、愛情が冷めた証しになるのだろうな……)
だとしたら、彼は今後もエディの部屋に忍び込み続けるのだろう。
同時に、この行為をやめさせることができれば「不仲疑惑」が浮上するのだと悟った。
一度眠ったら、多少のことでは起きないエディには、今のところ打つ手がない。この件に関しては、力で押したり、頑なに拒絶したりという抵抗は、ほぼ無意味だ。
なにかいい対策が見つかるまで、体力の無駄遣いをやめようというのがエディの結論だった。
使用人の誰かがやって来る前に、エディはハロルドから逃れ、起き上がった。
昨日のように、彼の思惑どおりになってたまるか、という思いだった。
彼女が離れると、ハロルドも身を起こして、支度のために私室へ帰って行った。
今日も、朝の支度を手伝ってくれるのはニコラだった。
「ニコラ、どれがいいだろうか? できるだけ動きやすくて可愛いのがいい」
「可愛らしい服装ですね! おまかせください」
彼女は自分のことのように喜び、服を選んでくれる。立ち襟のブラウスにスカート、それから今年の流行を取り入れたジャケットという組み合わせだった。
ブラウスの襟、それからスカートにもたっぷりのフリルがあしらわれている。
不健康そうに見えてしまう首回りを隠し、不慣れなコルセットをせずにいられる服を選んでくれたようだった。
この服ならば、支度に時間もかからず、動きやすいし、苦しくない。そしてハロルドが嫌いだという子供っぽい雰囲気も醸し出している。
「エディ様、とても……とても素敵です! きっと旦那様もお喜びになるはずです」
「だといいのだが」
エディは不敵な笑みを浮かべてみた。
無邪気なニコラは、きっとハロルドの趣味を知らない。一生懸命選んでくれたメイドを騙してしまい申し訳ないが、これも侯爵家の明るい未来のためだった。
支度を終えると、朝食の時間だ。ダイニングルームでは、すでにハロルドとヴィヴィアンが席についていた。
エディの席はハロルドの向かいで、ヴィヴィアンの隣だった。
すぐ横に座るヴィヴィアンをちらりと見ると、彼女も視線に気づいて、片目をつむってこっそり合図を送ってくる。
今日の服装が、ばっちりハロルドの好みから外れていると言いたいのだ。
「その服、とてもよくお似合いです。選んでよかった」
ハロルドが顔をほころばせる。
彼は常識的な大人だ。エディが女性の格好をしているのに、男装のほうがよかったなどと、本人のやる気を削ぐような発言はしない。
この反応は、エディも織り込み済みだった。
「せっかくいただいたのだから、袖を通さないのは失礼だと思い直した。……あの、ありがとう」
「どういたしまして。今日はお約束どおり、馬で郊外まで行ってみませんか? 気分転換になるはずです」
「そういえば、そうだったな。じゃあ、着替えてくる」
「必要ありません。二人乗りの鞍を用意しておりますから」
ハロルドと二人乗り、しかもエディは横乗りとなる。本当の新婚夫婦や恋人同士という関係ならば、きっと心ときめくひとときだろう。けれど、離婚をめざすなら遠慮したい提案だった。
「……え、……いや。私は……」
ハロルドの背後では、給仕についている使用人たちが期待を込めたまなざしを送ってくる。新婚夫婦らしく、仲良く遠乗りデートへ行けと言いたいのだろう。
可愛らしい服を着て、同じ馬に乗れば自然と体が密着する。そのすべてが、ハロルドの嫌う行動だ。
嫌がらせになる――そう考え、頷きかけたエディだが、結局首を横に振る。
使用人の様子から察するに、ここでもハロルドは自分の趣味よりも、周囲がどう思うかを優先しているのは明らかだから。
「私は、そなたではなく馬と一緒に走りたいんだ。せっかくだが、この服ではゆっくり散歩程度しかできないだろう? 着替えてくる。そうじゃないのなら行かないから」
男装は、ハロルドを喜ばせると知っているエディだが、今回は使用人に仲睦まじい様子を見せないほうを優先した。
「わかりました。エディ様のお好きなようにしてください」
彼はわかりやすくがっかりした様子だ。新妻と仲良くなりたい完璧な夫を演じている。
エディは、相手のほうが何枚もうわ手であることを改めて認識した。
とはいえ、馬に乗るのは久しぶりだった。
ここ一ヶ月ほどのあいだ、どこかの部屋に閉じこもっている暮らしだった。だから彼女は遠乗りの誘いそのものは、とても嬉しく感じていた。
朝食の時間のあと、すぐに着替えをしたエディは、ハロルドと一緒に屋敷の裏手にある
エディのために用意された馬は、優しい顔をした栗毛の牝馬だった。ハロルドはそれよりも一回り大きな漆黒の牡馬に騎乗する。
「この子たちの名前は?」
「……エディ様の馬がマロンです。こちらはブラックという名です」
栗毛のマロン、漆黒のブラック――これ以上ないほど、覚えやすい名だ。
「もしかしてハロルド殿がつけたのか?」
「ええ」
ポリポリと頬を掻くのは、羞恥心を隠すためだろうか。きっと名付けのセンスがないという自覚があるのだろう。
年上の男性が、妙に子供っぽく見えて、エディは思わず噴き出した。するとハロルドがふて腐れてしまう。
「わかりやすくて、私は好きだよ」
マロンは本当に穏やかな気性の牝馬だった。エディはすぐに心を通わせられているのを感じた。馬と一体になって、風を感じながら駆ける感覚は心地がいい。
「そういえば、一度だけジェイラスとも遠乗りに行ったな……」
「ジェイラス殿下が気になりますか?」
「うん。すっかり嫌われてしまったが」
ジェイラスとは、国王の執務室で一度会って以降、一切顔を合わせていない。
異母兄弟であり、次期国王の座を争うライバルだったため、周囲は二人の交流をよく思っていなかった。
けれど、朝は一緒に剣の練習をすることもあったし、一度だけ遠乗りにも行った。
性別詐称が明らかになったときも、彼だけは唯一肉親であるエディ個人に対し、憤っていた。
「難しい年頃ですからね。エディ様も含めて」
「そなた一言多いな。私は、努力してきたつもりなんだ。でもその努力が、事態を悪化させ、罪のないジェイラスを苦しめているのが申し訳ない」
エディは知らなかったが、ジェイラス個人は兄を支えるつもりでいたらしい。
次期国王となる気がなかった弟に、エディはその座を強要したかたちとなってしまった。
もちろん、兄王子が病で倒れるなどの理由で、弟が王位を継ぐ可能性はある。ジェイラスがそれに備え、よき国王となれるように努力するのは継承権を持つ者の義務だ。
けれどエディの嘘がなければ、彼はもっと幼い頃から自覚を持って、次期国王としてふさわしくあろうとしたのだろう。
兄を立てるために遠慮しているつもりだったら、騙されて憤るのは当たり前だ。
「いつか、ちゃんと話ができればいいな」
降嫁したエディには、もう姉という立場で会いに行くのが難しい。あくまで侯爵夫人として、謁見を申し込むしかない。
ジェイラス本人に避けられている状況では、それは叶わないだろう。
やがて二人と二頭は、郊外にある森の入り口までやって来た。澄んだ小川が流れるその場所で、昼食を兼ねた休憩を取る。
マロンとブラックに水を与え、それぞれちょうどいい大きさの石に腰を下ろす。
パンとチーズという適当なものだったが、川のせせらぎを聴きながらの食事はとにかく気持ちがいい。
食事が終わると、ハロルドが敷物を用意してくれた。エディは勧められるまま、そこに寝転んだ。
空は青いが、そのままでは太陽が眩しすぎる。エディは手をかざして光を遮った。
風が穏やかで、このまま昼寝でもしてしまいたいくらいだった。
「なんだか贅沢だ。……ハロルド殿」
「どうしましたか?」
「私はそなたに感謝している」
王子ではないエディはなにも持っていない。だから、彼に優しくされるたび、返せるものがなにもなくて苦しかった。
馬に乗るのも、こうやってのんびり過ごすのも、ハロルドの時間を占有するのも、エディには過ぎた贅沢だった。
この場には邪魔する者は誰もいない。だから今日こそ、ハロルドに対し、思いをわかってもらう時間にしたかった。
「何度もおうかがいしております」
「……だから、そなたには幸せになってほしいんだ」
「違いますよ。そういうときは、幸せにしたいと言えばいい」
その二つの言葉はほとんど同じだが、決定的に違う部分があった。彼が幸せになった傍らに、エディがいるかいないかという部分だ。
「頑固者!」
「そちらも」
結局遠乗りのあいだ、離婚に向けての話し合いはなにも進展しなかった。
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