3-4
ハロルドは夜になってからヴィヴィアンを呼び出した。
晩餐のあと、エディは風呂に入っている時間だ。夜に限り、彼女のほうからハロルドのところへやって来ることは絶対にない。うっかり聞かれる心配のないうちに、妹を
エディはすでにヴィヴィアンと話し合いをして納得してもらったと言っていたが、兄としては看過できない。
ハロルドのほうもしっかりとした説明をしていない。もう一度話し合う必要があるのは明らかだ。
「ヴィヴィアン。降嫁したとはいえ、あの方は王族だ。無礼な振る舞いは私が許さない」
ハロルドは執務用の椅子に座ったまま、妹に視線を向けた。
ヴィヴィアンは、許可も得ずにソファにゆったりと座って反省の色が見られない。普段は常識的な普通の令嬢のはずだが、今回に限ってはかなり頑なだ。
なぜこうも自分の周囲にいる女性たちは頑固者ばかりなのかと、ハロルドはため息をつく。
妹がエディに対し、無礼な態度を取る理由について、ハロルドはなんとなく察していた。
彼女はエディに憧れて、妃に望まれることを夢見ていたのだ。
この件を今さら妹に指摘すれば、きっと消えたくなるほどの羞恥心で大暴れするだろうから、なにも言えないハロルドだった。
エディが品行方正な理想的な王子だったからこそ、今の彼女を許せない者もいるという実例だ。今後、エディが社交の場に出た場合の懸念事項として認識しておく必要があるだろう。
「あら、過保護ですこと。お兄様はなぜあの方に肩入れしますの? いくらなんでもこのような結婚はおかしいでしょう?」
「……侯爵家にとって、最良の選択ではないことは認める。ごく個人的な理由で、あの方の降嫁を強く望んだのだから」
ただ放っておけない、自らの手で守り、幸福にしたいと思った。
侯爵家当主としては間違っているのだろう。なぜそう考えるに至ったのかは、ハロルドとしては妹に話す気はなかった。
正確に伝えるためには、毒の件に触れずにはいられないからだ。
エディにはこれから時間をかけて、侯爵家が王女の降嫁という一つの出来事だけで簡単に揺らぐほど軟弱ではないと証明していく。
そもそもハロルドの望みは出世ではなく、穏やかで心が満たされる暮らしなのだから。
「お兄様って、殿下のような方が好きでしたの?」
「殿下のような方とはどういう意味だ?」
「男装して、言葉遣いを直そうともしない、がさつな方がお好きなのですか?」
「――まぁ、そういう部分を好ましく思っているのは確かだな」
男装が好みかと問われれば、まったく好みではなかった。言葉遣いもどちらかといえば柔らかい印象のほうが好きだ。
ハロルドが惹かれるのは、彼女の内面だった。
男装をやめないのは、ハロルドの妻になる気がないことを皆に示すためだと知っている。本当は可愛らしいものが大好きなのを悟られないようにしているのだ。
「変わったご趣味ですこと。……それでは逆に、どのような女性が苦手なのですか?」
「なぜ妹にそんな話をする必要があるんだ?」
二人はそんな話をする関係ではなかったはずだ。ハロルドの直感が、裏になにかがあると警鐘を鳴らす。
「興味本位です」
ヴィヴィアンの目が泳いでいる。
なぜこうも自分の周囲にいる女性たちは嘘が下手なのだろうかと、今度は笑いをこらえるのに必死だった。
エディに関しては、第一王子の仮面をかぶっていればそれなりだった。
役割から解放された彼女は、きっと自分がどういう者なのかすらわからない未熟な少女なのだろう。
(――ヴィヴィアンは懐柔済み、か。エディ様は人たらしなのだろうか?)
ハロルド自身と、屋敷のメイドたちは男装の侯爵夫人を受け入れている。
ヴィヴィアンは文句を言いつつ、なぜかエディに協力している。
第一王子ではなく、ただのエディになっただけで彼女の世界はこんなにも変わった。
早く本人もそのことに気がつけばいいのに――そうしたら、もう離婚したいなどとは言わないだろう。
「まぁいい。苦手な女性――そうだな――」
そしてハロルドは、
◇ ◇ ◇
そろそろベッドに入ろうとした頃。エディはヴィヴィアンを部屋に迎え入れた。
もし今夜もハロルドがやってきたのなら、追い返していたところだ。
そしてさっそく、有力な情報を教えてくれた。
「お兄様は、女性が苦手のようです。殿下のその中性的なお姿がお気に入りなのでしょう。……とくに子供っぽいフリルたっぷりのドレスが大嫌いだとおっしゃっていましたわ」
「そうなのか。……でもおかしいな、ハロルド殿が私のために用意したドレスは可愛らしいものが多かった」
「お兄様が女性の服なんてご自身で選ぶはずがないでしょう。ニコラあたりが用意したに決まっています。彼女、とても趣味がいいですから」
純朴なハロルドが女性の服を自ら選ぶはずはない。たくさんの使用人がいるのだし、採寸だけすれば、すべてを針子に任せてもいい。ヴィヴィアンの推測はもっともだ。
「なるほど。とにかく嫌われるためには女装のほうがいいのだな。私は最初の部分で間違っていたらしい。ありがとうヴィヴィアン殿」
「ええ。それから異性から触れられるのも苦手らしいです」
「うん、その気持ちはわかるな。私も異性が苦手だから。ハロルド殿のことは嫌いではないのに、不用意に触られるとすごく嫌だ。昨晩も……」
昨晩、ハロルドはぐっすり眠っているエディのベッドに不法侵入した。人のぬくもりは安心できるものだというが、そんなものではなかった。
眠っていたときは確かに安心感を覚えた。けれど、ハロルドに触れられているのだと認識した瞬間から、妙に胸のあたりがザワザワして落ち着かなかった。
「昨晩?」
「寝ているあいだに私の部屋に入ってきたんだ! 理由があってのことだとしても許せない」
「理由とはどのような? お二人はそういう関係ではないとおっしゃっていたはずですのに」
身内のヴィヴィアンからしても、ハロルドは誠実な紳士なのだ。だから、兄がそんな強引な手段を用いたことに驚いている様子だ。
「使用人たちに、私とハロルド殿が白い結婚なのだと知られないためなんだ」
「なるほど、ですが変ですわ。……お兄様は女性に触れられるのが嫌だとおっしゃっていましたもの」
不法侵入の件と、ヴィヴィアンの情報は矛盾する。
エディはしばらく考えて、ハロルドの行動の理由を推理してみる。
「ハロルド殿は大人だから、嫌なことでも目的のためには躊躇なくできるんだろうな……だったら私が彼にベタベタ触れるのは、嫌がらせになったとしても使えない。周囲への誤解が広まりそうだ」
ハロルドが苦手にしているのに、あえて異性に触れる理由はそれだけ効果が高いせいだ。
エディのほうもそれを拒否しないどころか、積極的に彼に近寄れば、嫌われる前に仲のよい夫婦に見えてしまう。
「さすが王女殿下は冷静でいらっしゃる」
「ヴィヴィアン殿の助言がなければ、根本的な過ちに気づかないところだった。ありがとう」
少なくとも服装の間違いについてはヴィヴィアンの情報がなければ、完全に逆方向へ進んでいた。まさか真面目なハロルドにそんな趣味があるとは予想外だ。
「な……馴れ馴れしいですわ。私はもうこれで失礼いたします」
強力な味方を得たエディは、その晩もぐっすりと眠った。
翌朝、やはり堂々と隣で眠る人物の存在に気がつくまで、エディは幸せな夢を見ていたのだ。
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