3-3

「ヴィヴィアン、挨拶もなしに無礼だ」


 黒髪に青い瞳という組み合わせはハロルドと一緒だ。エディより少し背が高く、けれど大きめの瞳が愛らしい印象の令嬢は、ハロルドの妹・ヴィヴィアンだ。


「……あら、失礼いたしました。お兄様、エディ王女殿下、ごきげんよう」


「久しぶりだな。ヴィヴィアン殿――その、すまない。今回の件、きっと驚かせてしまっただろうな」


 王子だったはずのエディがじつは王女だった。そして予告すらないハロルドの結婚――怒っているのは、ヴィヴィアンの表情からすぐにうかがえた。


「ええ、それはもう! おめでとうございますと祝福する気になれないほどですわ。……それにしても、その服装はどういうことですか? 風変わりな侯爵夫人ですこと」


「ヴィヴィアン。降嫁されたとはいえ、王女殿下に対し失礼だ。謝罪しなさい」


 ハロルドの声が低くなる。

 エディは、ヴィヴィアンの憤りは当然だと感じた。


「……ハロルド殿、私は」


「あなたは黙っていてください。妹を甘やかすわけにはいきません」


 兄と妹が言い争いをするのを見ていられなくなって、エディは口を挟もうとした。

 ところがハロルドがさらに語気を強め、それを許さない。


「謝るべきなのは王女殿下のほうでしょう? わたくしを騙して、皆を騙して、さぞ愉快だったのでしょうね。国中の令嬢をもてあそんだあげく、ご自分はお兄様と昼間からイチャイチャ……」


「……弄んだつもりはないよ」


 エディはできる限り人との接触を避けていた。妃を選ぶわけにはいかないから、特定の女性を口説いたことはない。


「わたくし、あなたを認めませんから!」


 涙をこらえているのだろう。彼女は真っ赤な目でエディをにらみ、そう宣言した。

 それからすぐに踵を返し、足早に書斎を出て行く。


「……申し訳ありません、あとで厳しく言って聞かせます」


「いいや、私が話をしてくる!」


 そう言って、エディはヴィヴィアンを追いかけた。


 書斎を出て、廊下を西側に進むとヴィヴィアンの私室がある。

 エディは扉をノックして、部屋の外から彼女に呼びかけた。


「その、ヴィヴィアン殿。少しだけ話をしないか?」


「殿下は、お兄様にふさわしくありません……わたくしは殿下を侯爵家の人間として認めません!」


「うん、わかっている。……でも、事情を説明させてほしい。ハロルド殿や使用人に聞かれるとまずい」


 周囲に悟られないように、できるだけ静かな声でそう告げる。


「……どうぞ、お入りになって」


 しばらく沈黙したあと、部屋の中から返事があった。


「失礼する」


 ヴィヴィアンはソファに座って、泣きはらした顔をしていた。


「泣かせてしまったんだな。……本当にすまない」


 エディはハンカチを取り出して、ヴィヴィアンの頬を拭った。


「ちょ、……自分でできますわ! それで、お兄様に聞かれたくない話ってなんですの? 早くおっしゃってください」


 同じ部屋にいるのは不快だから、今すぐ用件を言って出ていってほしいのだろう。

 けれどヴィヴィアンがエディを認めないのなら、むしろ好都合だった。二人は協力できるはずなのだ。


「うん。座ってもいいか?」


 ヴィヴィアンが頷く。

 エディは彼女の隣に座り、今までの経緯について彼女に聞かせた。

 性別詐称がバレたのは、ハロルドの証言が発端だったこと。そしてなぜか彼はエディに対し責任を感じ、降嫁を強く望んだこと。

 つい先日までのエディは、女性らしい変化を恐れ、過度な食事制限をしていたこと。

 ハロルドはエディに同情し、だからこそ現在のところ、本当の夫婦になる気はないということ。


「協力してくれないか?」


「……協力?」


「離婚できるように。ハロルド殿ならば、二度目の結婚でも――少なくとも私よりは条件のいい花嫁を望めるはず」


 王族の降嫁は貴族にとって名誉となる。けれど国王から忘れられ、弟からは嫌われているエディにはなんの価値もない。

 国中がエディの生まれ育ちと罪を知っているのだから。


「新婚でしょう!? 殿下はお兄様をお嫌いですの?」


「好意を抱いているが、夫に対するものではないよ。……とても感謝しているし、尊敬している。たぶん、それだけだと思う。だからこそ、ヴィヴィアン殿が言うように、私は侯爵家にいるべきではない」


 エディの両親はそうではなかったが、理想的な夫婦は互いを尊重し、愛し合うものだという。けれどもエディには、愛情というものがよくわからない。

 性別を隠していた件以外では、常に正しく、優しくありたいと考えて、実際にそういう行動を心がけていた。

 けれど、おそらくは常に後ろ向きな動機だけで生きてきたのだ。

 これ以上誰かに迷惑をかけて、嫌われたくない。好きになってくれなくてもいいから、少しでも誰か気にかけてくれないだろうか。いつもそんなことばかり考えていた。

 愛情に飢えているのに、相手にはどうやったら好意を返せるのかわからなかった。


「殿下……」


「もっと私に勇気があれば、ハロルド殿は最初からジェイラスを支える道を選んでいたはず。ジェイラスも私を嫌っているから、ハロルド殿が私を庇うのをやめればあるいは……」


 少なくともジェイラスは、仲の悪い姉の配偶者を取り立てることはないだろう。

 けれどこのまま今の第二王子派が国政に対する影響力を強めていくとは思えない。ハロルドにもまだ機会は巡ってくる。


「離婚したら殿下はどうなさいますの?」


「当初の予定では、どこかの修道院に預けられるはずだったんだ。許されるのならこれ以上誰かを傷つけずに、静かに暮らしたいと思っている」


 傷つけたくない誰か――真っ先に浮かぶのがハロルドだった。


「そんなお顔は卑怯ですわ! まぁいいでしょう。協力とは具体的にどのような?」


「今、ハロルド殿に嫌われる方法を考えているんだ。だけど、私はそこまで彼を知っているわけじゃないから、ヴィヴィアン殿に教えてもらいたい」


 使用人はきっとハロルドの味方だ。彼をよく知っている者の中では、ヴィヴィアンだけが唯一、離婚のために共闘できる人物だ。


「わかりました。知っている範囲でお教えいたします」


「ありがとう。じゃあ、例えばハロルド殿の異性の好みとか、……どうだろうか?」


 彼の好みと真逆の女性をめざす。相手に嫌われる方法としてはかなり有効かもしれない、とエディは考えた。


「お兄様とはそのようなお話はいたしませんわ。恋人を連れてきたこともありませんし、どこかのご令嬢と噂になったこともないですわね」


「いい歳なんだから、少しは遊べばいいのに……真面目なんだな」


 有益な情報が得られず、エディは落胆した。考えてみれば彼女だってジェイラスとそんな話をしたことがなかった。


「でも、こっそり聞き出すことはできるかもしれません」


「お願いできるか?」


「ええ! 離婚のため、侯爵家のためですから!」


「ありがとう、ヴィヴィアン殿」


 エディはヴィヴィアンの手をギュッと握り、握手を交わす。

 先ほどまでの憤っていたヴィヴィアンは、もうどこにもいなかった。いるのは頼もしい協力者だけだ。

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