3-2

 それからエディは、ハロルドの助手として山積みの書類と向き合った。

 少し前までは、エディの執務をハロルドが補佐してくれていたのに、今日はその逆――侯爵家の当主としての彼の執務をエディが手伝う。不思議な気分だった。

 彼がいつも自分をどのように助けてくれたのかを思い出しながら、エディは仕事を進める。きっと誰かに強制されなくても、学ぶことも働くことも好きなのだ。

 久々にやりがいを感じられるひとときが、エディには嬉しかった。


「エディ様、そろそろ休憩にいたしましょう」


 昼食と医者の診察でそれぞれ手を止めていたが、それ以外の時間はずっと書斎に籠もっていた。

 エディは集中すると休憩を取るのが面倒になる性格だったが、ハロルドがそれを許さない。彼の過保護はまだ続きそうだった。

 医者の診断では、回復は順調で生活面での制約はなくなった。これからは積極的に体を動かして、健康的に暮らすようにという指導だ。

 ただし、成長期に食事制限をしていた影響については、完全になくなることはないという。例えば今さら背が高くなる可能性は低いし、骨がもろく折れやすい体質かもしれないという指摘がされた。


「じゃあ、私がお茶とお菓子の手配をするから、ハロルド殿は待っていてくれ」


「ですが」


「使用人にお茶の用意を頼むだけだろう? それくらいできる」


 医者から今後はたくさん体を動かすように指導された。

 貴族の女性は一日中ソファに座っていても生活できるかもしれないが、今のエディにとってそれは好ましくない。


「ではお願いします」


 エディは書斎をあとにして、ニコラをつかまえてから一緒に厨房へ向かった。

 ニコラに用意してもらえばいいのに、あえてそうしない。自ら紅茶とお菓子を用意するつもりだ。

 彼の口にする紅茶を自分で選びたい――などといういじらしい発想ではない。もちろん、離婚に向けての嫌がらせのためである。


(……すまない、ハロルド殿。代わりに執務を手伝うから!)


 ハロルドがエディを大切にしてくれるからこそ、はやく嫌われなければならない。

 罪悪感と闘いながら、できるだけ甘いものを厳選し、料理人に用意してもらう。出されたのは焼き菓子で、エディはそれを自ら皿に盛りつけた。


「エディ様は本当にお菓子が大好きなんですね!」


「う、うん……」


 ニコラはハロルドが甘いものを食べないことを知っているはず。それなのにエディが二人分の焼き菓子をわざわざ厨房にやって来て選んでいるのを見て、そう勘違いをしたらしい。


「私が運ぶから、ニコラは下がっていていい」


「心得ました。旦那様のお世話を焼く……素敵ですね」


 嫌がらせをしに行くの間違いである――と指摘はできず、エディは引きつった笑みで誤魔化した。

 さっそく紅茶や焼き菓子をトレイに載せ、彼女は書斎へ戻った。

 窓際に置かれたソファでくつろいでいたハロルドは、本を読んでいた。

 視線を下げて真剣な表情の彼は、知的で大人の色気のようなものがある。

 エディは不覚にも見とれてしまった。すぐに、作戦中にそんなことではいけないと気を引き締める。

 それからトレイをテーブルに置いて、彼の前に紅茶を差し出した。


「ハロルド殿、この焼き菓子……私が選んで、皿に盛りつけたんだ」


 そう言いながら、エディはハロルドの横に座る。

 皿に盛りつけるという誰にでもできることをほめてもらえるのは、五歳くらいまでだと当然知っていた。


「……?」


「ハロルド殿にも食べてほしい。甘いものを食べると、元気になれるから」


「私は――」


 甘いものは好まない……と言い出す前に、エディはジロリと彼をにらんだ。


「私が持ってきてやったんだ。そなた、私の好意が受け取れないのか?」


 完全な暴君だった。エディは心の中で何度も謝罪の言葉を唱えながら、一口サイズの焼き菓子をつまみ、ハロルドの口もとに運んだ。


「ほら、食べろ。大人なんだから、好き嫌いをするのはいけない」


 ハロルドは何度もまばたきをして戸惑っていた。けれどやがて小さく口を開き、差し出された焼き菓子をそのままパクリと食べた。


「悪くないですね」


「……そうだろう」


 エディが持ったままの焼き菓子を、彼がそのまま食べた。当然指先が唇に当たってしまう。彼女は頬のあたりが熱くなっていくのを感じ、下を向いてごまかした。


「甘いものは苦手ですが、エディ様に食べさせていただけるのなら、毎日でもいただきたいくらいです」


 この作戦は、失敗だったのではないか――。

 エディの悪い予想は当たる。ハロルドはチョコレート味の焼き菓子を一つ手にして、エディに近づけた。


「……な、なに……嫌だ」


「お返しですよ」


 エディは甘いものが好きだった。だから、自然と口が開き、焼き菓子が勝手に口の中へと入っていく。それなのに、なんだか胸のあたりが苦しくて呑み込むのが難しい。

 頭が真っ白になる――というのは、こういう状況を言うのだ。


 そのとき、急に外が騒がしくなった。


「お兄様はこちらですか!」


 バーン、と扉が開け放たれる。

 そこには、長い黒髪の美しい令嬢が立っていた。

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