3-1 エディは次の一手を考える

 エディは次の一手を考える。

 侯爵邸で過ごすはじめての朝。彼女はふわふわのオムレツを口に運びながら、ハロルドに嫌われるための方法を考えていた。

 男装の継続、「奥様」という呼称の禁止、初夜の拒否――と初日の成果としてはまずまずではあるのだが、相手も負けていなかった。

 ハロルドからも、使用人からも、彼女が期待していたほどの反応が引き出せなかったのは反省点だ。


「まだまだ甘い、ということか」


「なにが甘いのですか? エディ様」


「なんでもない」


 甘い――その言葉でエディはあることを思い出す。

 確か彼は甘いものを好まない。実際、朝食の紅茶に砂糖は入れていないし、パンにジャムを塗らずに食べている。


(甘いものを無理矢理食べさせる……なんていいかもしれない)


 現在、ハロルドは結婚休暇中ということになっている。

 そのあいだ、お茶の時間のたびにお菓子を食べるように強制してやろうと心に決めるエディだ。


(夫婦のすれ違いは、小さなことからコツコツと)


 悪妻の定番としてすぐに思いつく散財は、彼女にはできない。

 男遊びもだめだ。一歩間違えばメイスフィールド侯爵家の後継者問題に発展するし、そもそもエディは潔癖なところがある。好きでもない相手に触れられたら、きっとそれだけで鳥肌が立つだろう。


 メイスフィールド侯爵家に迷惑をかけることや、ハロルドの評判まで落とすことはしない。

 そんな制限があるせいで、方法は限られている。


「エディ様、今後の予定ですが、五ヶ月後にジェイラス殿下の誕生祝いがあるのはご存じですよね?」


「もちろん、弟だからな」


「王宮で開かれるパーティーには参加していただきます」


「国王陛下の許可はあるのか?」


「ええ、もちろんです。そのときのお召し物はいかがなさいますか?」


 それはエディにとっては驚きだった。もしかしたら国王は、できるだけ元王子を表に出さないようにと、ハロルドに命じるかもしれないと思っていたからだ。


「……そうだな。ドレスは嫌いだから着ない。ハロルド殿は私の好きにしていいと約束したはず」


 屋敷の中ならばともかく、公の場まで男装で過ごす。

 そんなことをすれば奇人変人になってしまうことくらい、彼女は十分承知していた。

 もし、王宮以外――たとえばハロルドの知人からの招待であれば、絶対にそんな行動はしない。

 けれど今回は特別だ。エディにとっては言わば実家からの招待だ。元王子の奇行は十六年間過ごした王家と、降嫁したばかりの侯爵家のどちらに責任があるのか、一目瞭然である。

 日頃の態度から、ハロルドがエディを降嫁後も王女として敬っているのは明らかだ。


 皆がこう思うだろう。――男装をやめないがさつな王女と、王家からそれを押しつけられた人のいい侯爵――。完璧な作戦だった。


 さすがのハロルドも頬のあたりをヒクヒクと動かして、必死に動揺を隠そうとしている様子だ。


「かしこまりました。……グレンダ」


「はい」


「仕立屋の手配を頼む。――エディ様の正装・・・・・・・と、私のドレス・・・・・だ」


「……はい、旦那様。エディ様の正装・・・・・・・と、旦那様のドレス・・・・・・・ですね」


 グレンダは真顔で復唱した。ハロルドはゆっくりと頷き、言い間違いではないのだと態度で示す。


「つまらない冗談はよせ」


「あなたは自由にお過ごしください。そうお約束しましたから。……ですが、パートナーは夫である私です。エディ様が男装のままでいたいのなら、合わせるべきは私でしょう」


「はったりだ」


「では、当日をお楽しみに。私にとってなによりも優先すべきは、あなたとの約束です。口ばかりの男だと思われるのは心外だ」


 どうせ嘘に決まっている。やれるものならやってみろ、と思う気持ちが七割だ。けれど、エディは彼のどこまでも真っ直ぐな人となりをよく知っている。

 彼ならば、やりかねないという三割の不安がどうしても消えてくれない。


 エディは、特注のドレスを身にまとったハロルドの姿を想像する。


(だめだ……絶対に、だめだ……)


 エディは常識人だった。彼女の男装と、ハロルドの女装では重みが違う。

 取り返しのつかないほど、きっと彼はなにか大切なものを失うのだろう。


「……ドレスは嫌いだが、それ以上にそなたのドレス姿なんて見たくない」


「では、ドレスで出席されますね?」


「そうする」


 敗北感に打ちひしがれ、エディは紅茶を一気に飲み干した。


「そういえば、ハロルド殿は結婚休暇中なのだろう? なにをして過ごすんだ?」


 彼は一ヶ月前までエディの側近だった。エディが王子としての執務をしなくなったため、適当な部署に配置換えとなっている。

 そしてエディとの結婚に伴って、一週間の休暇中だ。

 一般的な夫婦ならば、旅行に行ったり、二人の仲を深めたり――することはいくらでもあるだろう。

 けれど、エディたちには予定がない。


「私は書類仕事を片付けてしまおうと思っています。エディ様には午後になりましたらお医者様の診察を受けていただく予定です。問題ないようでしたら、明日はどこか近場に出かけましょう」


「わかった、では今日は大人しくしている」


 予定がない理由の一つは、エディが病み上がりだからだ。

 本人としては、もう貧血を起こさなくなり健康体に戻ったつもりだった。肌つやもよくなったし、わずかにシャツがきつくなった気がしている。

 けれど医者とハロルドは、軽い運動しか許可してくれない。

 降嫁が決まってからは、ハロルドが王宮内の散策に誘ってくれたが、彼女は拒否していた。短い髪にドレス姿というのが不格好で、誰にも会いたくなかったのだ。

 自分一人ならば、エディは胸を張っていられた。けれど、隣を歩くであろうハロルドに、申し訳ないと思ってしまったのだ。

 本を読むしかすることがない。そんな生活を一ヶ月ほど続けると次第にむなしくなってくる。


「診察の結果次第ですよ。そうしたら剣の稽古をしてもいいですし、遠乗りにでも行きましょうか」


「じゃあ、なにか手伝うことはないか? ここ一ヶ月ほど、ずっとなにもしていなくて……私は……なんだか……」


 以前は朝から剣術の稽古をして、第一王子としての執務に追われ、忙しいがやりがいがあった。王子ではなく王女となっただけで、それらすべてはできなくなった。

 ティリーン王国では王女の王位継承権はないし、政を動かすのも男性だ。

 なんだか、なんにも役に立たない人間になってしまった……それが、今の彼女だった。


「エディ様、でしたら――」


「やっぱりいい! ……すまない、居候の身で」


 例えば、ダンスのステップを覚えたり、手習いをしたり、今からでも女性としてやったほうがいいことはたくさんある。

 けれど、悪妻をめざしているのだから、侯爵夫人としてふさわしくあるための努力はできなかった。

 ハロルドは自由にしていいと宣言し、少なくとも屋敷の中ではエディにはなにも強要せずにいてくれる。

 ハロルドの言う、「自由に生きる」の意味がエディにはまだわからなかった。

 彼が用意してくれたこの場所ならエディはどこまでも自由だ。それなのに不満に思うのはわがままだ。


「じつはここ最近、処理するべき書類をため込んでしまいまして。エディ様が手伝ってくださるのなら、私としては助かります」


「本当に?」


「ええ。ぜひお願いいたします」


 ハロルドはそう言ってほほえむ。彼の提案は、エディが急激な変化に戸惑わないようにという配慮だと彼女もわかっていた。

 また彼の優しさに甘えているという自覚はあるが、役立たずでいるよりずっといいとエディは思う。


「……じゃあ、早く行こう」


 ハロルドの手伝い――この仕事は、侯爵夫人としてふさわしい行動ではない。侯爵家を取り仕切る女主人どころか、エディはまず女性として足りない部分が多いのだ。

 それを放置したまま、自分がやりたいことだけをする。これはつまり、エディの目指す悪妻の道から外れず、それでいて彼の役に立てる仕事だった。

 エディは立ち上がり、ハロルドの腕を取った。食事を終えたばかりの彼の腕を引っ張り、無理矢理立たせる。

 そのまま二人で仲良く書斎兼図書室まで手を繋いで歩いた。

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