1-7

「……メイスフィールド侯爵?」


 エディは驚いて隣に立つハロルドを見た。今日は性別を偽った罪を裁かれるためにここにいるのだ。

 なぜそれが降嫁の話になっているのだろうか。


「そなたの言うように、侯爵は真の忠臣だ。……王女の素肌を目にしたから責任をとると申しておる」


「……ありえません。ハロルド殿!?」


「これは王命だ」


 異議は認めない、という意味だった。


「……ですが……それはあまりにも。……恐れながら、私への罰はどのようなものになるのでしょうか?」


「生まれたときから強制されていたものをどうやって罰しろと? 侯爵家からの申し出がなければ修道院にでも行かせていたが」


「そんな……」


 これは許されることだろうかとエディは戦慄した。

 もっと幼い頃に発覚したのならば確かにそのとおりだ。

 けれど、彼女は十代前半頃から罪になるとわかっていて、王子のふりを続けていた。

 このまま女であることを隠し続けたら、大変な事態になるという認識があった。保身のために、自ら進んで偽装をしていたのは罪だ。それなのに、誰も彼女を罰しないという。

 生まれたときから強制され、エディに選択肢がなかったのは確かだ。

 だからと言って、ハロルドがとばっちりで不利益を被る道理はない。

 治療のために肌に触れたことなど、なんの問題にもならない――ハロルド本人があえて言いふらさなければ誰も気にしないはずだ。


「話は終わった。あとはすべてメイスフィールド侯爵に任せる」


 まったく納得していないまま、短い謁見の時間は終わった。

 エディは仕方なく退室の挨拶をしてから国王の執務室を出る。

 頭の中は、隣に寄り添う婚約者・・・をどう問い詰めてやろうかということで一杯だった。


「兄……姉上! お待ちください」


「なんだ?」


 振り向くと、国王の執務室ではずっと黙っていたジェイラスがいた。


「……本当に、……姉上……なのですか?」


 十五歳の多感な年頃の少年には、兄だと思っていた人物がじつは姉だった――などという真実は到底受け入れられないのだろう。

 ドレス姿のエディを食い入るように見つめ、それでも納得できない様子だ。


「見ればわかるだろう? 服装以外、どこも変わっていないはずだ」


「私はあなたを尊敬していました。……将来は、あなたの苦手な部分を補い、支える立場になりたいと……それなのに」


 母親が違うことで、周囲の大人たちは二人の交流を快く思っていなかった。

 けれど思い返せば、エディにとってジェイラスが唯一、まともに肉親らしい会話ができる相手でもあった。

 だからこそ、彼はわかりやすい怒りや戸惑いをエディに向けているのだ。


「そうか、すまないな」


「……くっ!」


 ジェイラスが拳を震わせ、そしてそのまま踵を返す。

 エディはこんな反応を示してくれる弟の存在を、少しだけ嬉しく感じる。同時に、彼一人にすべてを押しつけるかたちになったことを申し訳なく思った。


「殿下。私たちも戻りましょう」


 ハロルドは当然のごとくエディの手を取り歩き出す。

 すぐに抗議したい彼女だったが、他人の目がある場所での言い争いは避けるべきだ。

 大きな声やきつい口調が王女としてふさわしくないのは、承知していた。


 そのまま大人しく私室まで戻ったエディは扉が閉まったことを確認してから、ハロルドの手を勢いよく振り払った。


「ハロルド殿。そなた、有能だと思っていたが、私の勘違いだったみたいだな」


「どのあたりが?」


 ハロルドが首を傾げる。本気でわからないはずはないのに、そういう態度が気に入らない――とエディの内側にモヤモヤとした感情が溜まっていく。


「なぜ、厄介者を押しつけられているんだ! 信じられない」


「今からでも、殿下が望むように生きることはできるはず……昨日、そう申し上げましたがお忘れですか?」


「そっちこそ。私はそなたが大嫌いだと言った! 忘れたのか?」


 ハロルドはエディが望むように生きられる場所を作るつもりだ。けれど彼女には、そんなふうにしてもらえる理由がわからない。


「大嫌い……と言われた記憶はございません。それから、これは国王陛下の勅命ですから、撤回はできませんよ。ですから夫婦として上手くやってく方法をお考えください。悪態をつくより、そのほうが建設的です」


「ハロルド殿が余計なことを言わなければ、こんな勅命は出なかった! わかっていてやったのではないのか? そなた、私に同情してまず優先して守るべきものを蔑ろにしていないか? それで私が感謝するとでも思ったら大間違いだ」


 彼が一番に優先すべきは、メイスフィールド侯爵家だ。

 エディ本人がどういうつもりであっても、彼女は今後「性別を偽って王位を狙っていた悪女」と蔑まれる。

 王女の降嫁と言えば聞こえはいいが、ハロルドがそれで得をするはずはない。

 それどころか、エディと一緒にいるだけで、未来の国王であるジェイラスに嫌われる。損しかない結婚だ。


「殿下は誕生日の夜、本当はなにを願われたのですか?」


「……願い? ……だって……あんなもの……」


 エディの願いは、本当にくだらないものだった。

 この国の安寧でもなければ、誰かの役に立てる崇高なものでもなかった。王族としては失格の、子供じみた夢だった。

 大した処罰を受けずに、この国の有力者であるハロルドの妻となる。そうしたら本当に、あのときの願いは叶ってしまうのではないか。


 エディは、絶対に叶うはずがないから、心の中で願う権利くらいはあるだろうと軽く考えていたのだ。


「誰かを不幸にしてまで叶えたい願いなんて……私にはない」


 ウサギにあんなことを願わなければよかったと、このときになってはじめてエディは後悔した。

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