2-1 エディは離婚を決意した

 エディは離婚を決意した。


 ハロルドが余計なことを言わなければ、彼女は修道院送りになっていたはず。

 だとしたら、彼の気が変われば国王も無理強いはしないと予想できた。

 その後、何度も説得したが、彼はまったく取り合ってくれない。


 そうこうしているあいだに、二人は書類上では夫婦となってしまった。

 性別がバレてしまった日から、たった三週間後の出来事だ。

 髪の短いがさつな花嫁など披露できるはずもなく、エディとハロルドの結婚は、簡素な手続きだけで終わった。


 結婚してしまった。――ならば、離婚するしかない。


 エディは侯爵邸へ向かう馬車の中、夫となったハロルドにいかに自分がダメな嫁であるかを聞かせていた。


「言っておくが、私は男が大嫌いだ。それからドレスなんて煩わしいから、王宮から出たら着ないぞ。……あと、言葉も直さない。子供も作らない。歴史あるメイスフィールド侯爵家がそなたの代で終わるぞ」


「私としても、今のところ殿下と子を成すつもりはありません」


「ほ、……ほう……、そうか気が合うな」


 動揺したエディの唇が小刻みに震える。

 自分で言っておきながら、彼から同じ宣言がされると傷つくのはなぜなのか。


「今のところ、ですよ? 殿下はお若いですし、焦る必要はないでしょう。今はお体の回復を最優先にするべきですから」


「わかった。では、回復するまで世話になろう。――二年ほど過ごせば、離婚しても不自然じゃないから」


 二年経てば、世間はエディに対する興味を失う。離婚して修道院にでも行けば静かな生活を望めるはずだ。

 夫婦生活が長続きしなかった理由は、すべてとんでもない悪妻のせいであり、離婚は当然だ――周囲にそう思わせることができたなら、ハロルドは二度目の結婚だとしても、清楚で可憐なすばらしい女性を望めるはず。


「ええ、二年ほど過ごせば、お考えが変わることもあるでしょう」


「私は変わらない!」


 ハロルドは、二年も経てば彼を受け入れるという根拠不明の自信を見せる。


「頑なな……。具体的にどこが不満なのでしょうか? 以前のような男装のままでもいいですし、侯爵邸では自由にお過ごしいただけます。妹はおりますが、両親は故人となっていますから嫁姑問題とも無縁です」


「そなたの行動のすべてが不満だ! 理解に苦しむ。……まぁ、いい。時間はたっぷりあるのだからな」


 ハロルドは「離婚」以外すべてにおいて、譲歩し続ける気だ。

 けれど、それも実際に生活をしてみればきっと変わる。誠実なハロルドに嫌がらせをするのは心苦しいが、エディに譲る気持ちは一切なかった。

 感謝しているからこそ、悪魔に魂を売り渡してでも徹底的に成し遂げるつもりだ。

 最強の悪妻となり、時間をかけてたっぷりと。ハロルドに落ち度のない状況で円満な離婚をするのだ。


 どんなふうに困らせてやろうかと想像するだけで、エディの心は踊り出す。


「久々に殿下――いいえ、エディ様の笑っているお顔を拝見いたしました」


 悪巧みをしているエディの笑顔を、彼は嬉しそうに眺めていた。

 純粋なのだろうか。悪い女のために犠牲になっているというのに、その女の笑顔を見て喜ぶ彼をエディは心配した。


「退屈しない新婚生活を送れそうだ」


「ええ、本当に」


 やがて二人を乗せた馬車が、メイスフィールド侯爵家のタウンハウスへと辿り着いた。



   ◇ ◇ ◇



 メイスフィールド侯爵邸は、貴族の屋敷が建ち並ぶ区画の中でも比較的大きな屋敷だった。


「エディ様のお部屋はこちらです。急でしたから、気に入らない部分があれば手を入れますのでおっしゃってください」


 まずは二階にある私室へと案内される。

 エディの私室は、真っ白な大理石の床に、木製の家具が並べられた部屋だった。ファブリックは花柄でかなり甘い雰囲気の内装となっている。

 正直に言えば、エディは可愛いものが大好きだ。

 王子らしくあるためにずっと我慢してきたのだが、ハロルドが用意してくれた部屋は、エディの理想を現実にしたかのような場所だった。


「……ありがとう、十分だ。内装にはこだわらないから」


 本当は嬉しく思っているのに、離婚するつもりのエディにはそれを伝える術がない。

 それからエディはベッドを見て、胸を撫で下ろした。王宮の私室や、ここ三週間滞在していた部屋にあったベッドと同じ大きさだったからだ。つまり、夫婦二人が眠るには少々狭いということだ。

 いきなりここが夫婦の寝室です――などという展開になっていたら、万事休すだった。


「廊下を挟んで向かいが主寝室、その隣は私の書斎兼図書室です。こちらの二部屋はいつでもお入りいただいてかまいません」


「わかった。書斎兼図書室は使わせてもらう」


 もちろん主寝室にはいかない、とエディは誓う。


「西側には妹の部屋があります。……現在領地におりますが、手紙を出したので、そのうち都へやってくるでしょう」


「うん……たしか、そなたの妹は私と同じ歳だったな……」


 侯爵令嬢であるハロルドの妹とは、当然面識がある。と言っても、大きな行事のときに挨拶を交わした程度だ。

 王子であったときのエディには皆が好意的だった。とくに同世代の貴族の令嬢の中には、未来の王妃を夢見ていた者もいるだろう。

 だからこそ、王女だとバレたときの態度の変化がおそろしい。エディにとって、避けては通れないが、積極的に会いたいとは思えない人物の一人だ。


 エディは私室に足を踏み入れて、ソファの座り心地を確かめる。

 そうしているうちにお仕着せを着た二人の女性が入ってきた。


「奥様付きのメイドとなりましたグレンダと申します」


「ニコラです。奥様がこのお屋敷で健やかにお過ごしいただけるよう、精一杯仕えさせていただきます」


 グレンダは年嵩でふくよかな女性、ニコラは二十代くらいの若いメイドだった。


「よろしく頼む。だが奥様はやめろ。……エディでいい」


 呼称は大切だ。奥様と呼ばれることで、うっかりエディ自身がこの状況に流されるわけにはいかなかった。

 きっと、どちらがどれだけ自分に都合のいい既成事実を積み重ねることができるかの勝負となる。


「できるだけエディ様のご希望に添うように頼みます」


「はい……ではエディ様。まずはお疲れのことと存じますので、お茶と軽食を準備させていただきました」


「うん、ちょうど喉が渇いていたんだ。ありがとう」


 エディはさっそく紅茶をいただくことにした。


 お茶の時間のあとは、屋敷内を見てまわり、図書室で本を読みながら一日を過ごす。

 それからハロルドと一緒に晩餐をとり、身を清め、就寝の準備をした。


 エディにとって最初に超えるべき難関は、今晩だ。


「グレンダ。私は疲れたからもう寝る。そういう支度はいらない」


 グレンダが櫛やリボン、それから香水や化粧道具を用意しはじめたところで、エディは慌ててそれを止めた。


「ですが、本日はお二人の……」


 新婚初夜なのだから、夫の寝室に行くべきだと彼女は言いたいのだ。

 もちろんエディにそんなつもりはない。


「私はハロルド殿の寝室には行かない。明日も明後日も、この先ずっと行かない……すまないが、そういうことだと承知しておいてくれ。ハロルド殿も最初からその件は知っているから安心するといい」


「……かしこまりました」


 エディはグレンダを下がらせると、さっそくベッドにもぐり込んだ。

 これで、夫にまったく歩み寄ろうとしない悪妻の出来上がりだ。

 支度を手伝う気でいたらしいグレンダはがっかりした様子だったが、最初が肝心だった。二人の結婚が、愛のないものであると知っていたほうが、仕える者にとっても気が楽だろう。


「初日の成果としては、こんなもので十分だな」


 奥様という呼称の拒絶と、初夜を無視するという悪妻ぶりだ。エディは毛布の中でしてやったりとほくそ笑む。

 枕もとにはラベンダー色のウサギが置かれている。彼女はそれをたぐり寄せ、抱きしめて眠った。


 慣れない場所で過ごすことに多少の疲れを感じていたのだろう。

 途中で背中のあたりが妙に温かくなった気がしたが、どうしても瞼が開かず、そのまま夢の世界の住人となった。

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