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 翌朝、エディは耳もとで響く優しい声に起こされた。




「殿下、起きてください……殿下」




 声の主はきっとハロルドだ。


 十日ほど前に倒れて以降、彼は王宮内に泊まって、こうやって朝一番にエディを起こしにやって来る。


 秘密を抱えるエディが、寝ている姿を他人に見せるのは危険だ。


 けれど同性ということになっているからこそ、誰もハロルドを止められなかった。




「……うーん」




 エディは重い瞼をどうにかこじ開ける。


 抱きしめていた人形を枕もとに置いて、脱げてしまったガウンを探した。天蓋の薄い紗が隔てているから、無防備な姿を彼に見られる心配はない。




「お体の調子はいかがですか?」




「うん。昨日よりだいぶよくなっていると思う」




 以前は夜明けとともにすっきりと目が覚めていたエディだが、ここ一ヶ月ほど疲れが取れず、とにかく目覚めが悪かった。


 それでもハロルドが起こしに来るようになってから、少しずつではあるが改善している。


 本来なら、それは側近の仕事ではないというのに、彼はとにかく律儀なのだ。




 エディは薄い布地を手ではらい、ベッドから起き上がった。


 侍従ではないというのに、彼はせっせと朝食の用意をしている。


 エディは小さくあくびをしながら、寝間着にガウンという格好のまま椅子に座る。処方された薬を飲んでから、朝食をいただくのだが――。




「もう下がっていい。そなたも食事の時間だろう?」




「朝食はすでに終えております」




 爽やかな笑みで告げられると、彼を追い出す理由がなくなる。


 女官が運んで来たはずの朝食は、育ち盛りの十代にふさわしい十分なボリュームだ。けれど、エディはいつもそれを半分以上残していた。


 ハロルドは主人の体調管理までするつもりなのだろうか。事情を知らない彼がいるせいで、無理にでも朝食を残さず食べるしかなくなった。




「今日は朝の鍛錬をしなければならないな」




「殿下! 昨日倒れる寸前だったのをお忘れですか!?」




「十日以上休むと、病だと疑われる。医者もただの疲労だと言っていた。鍛錬は趣味ではなく義務だ」




 疲労と栄養不足で倒れる可能性はわかっているが、病弱な王子というレッテルを貼られては困る。王子としての評価を下げず、食事制限は続けて……エディはまるで綱渡りでもしているみたいだと感じた。




「では、私がお付き合いいたします」




「そなた、私の保護者か……?」




「なんとでもおっしゃってください」




 母親である王妃は、望んだ王子ではない彼女をどこかで疎ましく思っているのだろう。


 事情を知っている女官もあくまで王妃の命令で世話をしているだけだ。エディの秘密を守る理由も、事実が露見したら王妃どころか、関わった自分たちも罰せられるから仕方なく共犯者でいるだけ。


 そんな環境で十六年生きてきたエディにとって、ハロルドは特別な存在だった。


 けれど優しくされると困るというのが彼女の本音だった。




 ハロルドが気にかけているのは未来の国王になるはずの、第一王子エディなのだから。




 本当は将来性のないエディに仕えるのは時間の無駄だ。第二王子に取り入って、将来の地固めをしたほうがいいのに。


 エディは今日も誠実なハロルドに重大な隠し事をしたまま、一日を過ごすのだろう。






   ◇ ◇ ◇






 着替えを済ませたエディは、ハロルドを伴って王族専用の鍛錬の場までやって来た。


 そこには先客がいた。彼女と同じ銀髪で、彼女より少し背が高い少年――異母弟のジェイラスだった。




「兄上、おはようございます」




「おはよう、ジェイラス」




 ジェイラスの母親――アビゲイル・カーシュは国王の愛妾で、下級貴族の出身だ。


 けれど国王は、政略結婚で隣国から嫁いだ王妃ではなく、カーシュ夫人と呼ばれているその女性をいつもそばに置いている。


 カーシュ夫人がジェイラスのほかに二人の王女を授かったのに対し、王妃の子はエディ一人だけ。


 国王は、いずれジェイラスを後継者として指名するつもりなのでは? という噂もある。エディ付きの召使いが少ないことを誰も疑問に思わないのも、そのせいだ。




「ここ最近、体調を崩されていたようですが、もうよろしいのですか?」




「問題ない」




 エディとジェイラスは今のところ表立って敵対しているわけではない。けれど常に比較される関係のため、互いに遠慮があり、距離が遠かった。


 エディ自身、弟は丈夫な体をしていて、多くの者に囲まれて、なにより家族がいる。本音を言えば、妬ましい存在だった。


 そして、弟本人はともかく、その取り巻きたちは大嫌いだった。




「……私はてっきり、兄君たる威厳を守るために、もうこちらへはいらっしゃらないと思っておりました」




 弟に代わって話しかけてきたのは、侍従のバイロン・フォーブスという名の青年だった。


 この男は、カーシュ夫人の遠縁にあたり、彼女の推薦で王宮に上がっている。隙あらば、第一王子を蹴落とそうとする者の代表だ。




 フォーブスは侍従である。王族の身の回りの世話をする立場で、仕えている主人の話し相手を務めることもあるだろう。


 けれどエディからすれば、ただの王宮勤めの下級貴族でしかない。


 愛妾の親戚というだけでなにをしても許されると勘違いしているようだが、直接王族に話しかけていい立場ではないのだ。


 だから、フォーブスを無視しジェイラスに非難の視線を向ける。




「我が主人は、第一王子殿下より半年遅くお生まれになりましたが、もはやどちらが兄君か、わかりませんな」




 エディの憤りなど気にしないというつもりなのか、フォーブスの口からは次々と不敬な言葉が発せられる。


 確かに成長盛りのジェイラスの背は、すでにエディよりも頭一つぶん高い。身長だけではなく、当然体つきも全然違う。


 歳の近い比較対象がいるせいで、いつエディの秘密に気づく者が現れてもおかしくない状況だ。




「口を慎め、フォーブス。私はお前の発言を許可していない。……兄上、大変失礼いたしました」




 ジェイラスが頭を下げる。彼は素直で正義感の強い少年だった。


 だからこそ、エディはどんなに周囲が煽っても、弟個人を嫌いになれずにいる。妬んだりうらやんだりする気持ちと、嫌悪はまったく別の感情だった。




「ジェイラス、そなたは下僕を教育すべきだな。背の高さを私たちが競って、なんの意味がある?」




 誰よりもたくましい体を持っていることが国王の必須条件ではない。


 そして、知識や勉学であれば今のところエディのほうが弟より勝っている。




「……だが私も弱者だと言われて黙っているわけにはいかない。久々に手合わせでもしようか? ジェイラス」




 病を患っているのではないかと疑うジェイラスの取り巻きたちに、第一王子は健在だとアピールする必要があった。


 剣術で弟に勝てるとは思っていないエディだ。瞬殺されなければそれでいいという気持ちで、剣を抜いた。

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