男装王女の悪妻計画〜旦那様がぜんぜん離婚に応じてくれません〜
日車メレ
第一章 悪妻編
1-1 第一王子には秘密がある
第一王子エディには秘密がある。
エディの母親はティリーン王国の王妃だ。けれど王には愛妾がいて、エディが生まれる頃にはその女性も懐妊していた。
王妃はこう考えた。もし自分の授かった子が王女だった場合、愛妾の子が次の王となるかもしれない――。
それは、隣国の王族出身の王妃にとって耐えられないほどの屈辱だった。だから、どうしても生まれてくる子は王子でなければならなかった。
王妃の切実な願いは叶わず、誕生したのは王女だった。
王妃は産婆や乳母、世話役の女官に金を渡して口を封じ、生まれてきた子を王子として育てることにした。
ティリーン王国では、人前で肌をさらすことが滅多にない。
だからこそ、エディの秘密は十六年間守られ続けていた。
そして彼――彼女は、十六歳の誕生日を迎えた。
「殿下、お顔の色がすぐれません」
エディの側近であるハロルドが彼女にだけ聞こえる声で、そっと話しかける。
「心配いらない。いつも気遣ってくれてありがとう、ハロルド殿」
本当は立ちくらみで倒れそうになっていたエディだが、ハロルドの声で意識が覚醒し、なんとか笑みを浮かべた。
誕生日を祝うパーティーの最中に、主役が席を外すわけにはいかない。
エディは第一王子で王妃の子ではあるものの、半年違いで生まれた第二王子と比較され、どちらかが王にふさわしいか、常に品定めをされている身だ。
公の場で、弱い部分を晒すわけにはいかないのだ。
「こちらへ」
次々と挨拶にやって来る出席者が一瞬途切れたところで、ハロルドがエディを控えの間に連れて行く。
「どうしたんだ?」
「少し顔を上げてください」
ハロルドが胸ポケットから小さな金属製の容器を取り出した。蓋を開けて、中身をを指先につける。
エディは彼との距離が近くなり、驚いて動けなかった。そのあいだに、ハロルドの指が唇に触れた。
短めの黒髪に青い瞳。長身で、軍人ではないがかなり鍛え上げられた体つきの青年だ。
性別を偽っているからこそ、エディは不用意に誰かと接触することがないように気をつけている。
今されていることもきっと彼女にとっては、拒否しなければならない、危険な行為だ。
けれど彼女は、精悍な顔立ちの青年をぼんやりと眺めているだけで、されるがままになっていた。
「……口紅?」
ハロルドが一歩下がり、手鏡を差し出す。
小さな鏡に映るのは、王族特有の短い銀髪とアメジスト色の瞳を持つ、ほっそりとした少年の姿だ。口紅を塗られたはずなのに、鏡の中に映るエディ自身の姿に違和感はない。
青くなっていた唇の上に、健康的な色を重ねたのだ。
「殿下はもともと肌の色も唇の色も薄いので自然に見えるものを探すのは大変でしたよ」
「すまない。そなたは侍従ではないというのに……世話をかける」
ハロルドはエディの側近であって、召使いではない。二十五歳という若さですでにメイスフィールド侯爵家を継いでいる大貴族だ。
仮にエディが国王となったときには、宰相や大臣など高い地位に就くべき人である。
だというのに、こうやって普段からエディの身の回りの世話まで気を回してくれている。
「侍従をつけないのは、王妃様のご方針でしたね?」
エディは小さく頷いた。
表向きは、王族であっても身の回りのことは自分でするべきという理由で、仕える者を最小限にしている。
周囲には、王妃の出身国ではそれが常識だから――という説明をしていた。
世間の噂では、国王が第一王子を蔑ろにしている結果、仕える者が少ないとも言われていた。
そして真実はまったく違う。本当は幼い頃から仕えている女官と乳母にしか素肌を見られるわけにはいかないからだ。
「ただの疲労だから問題ないよ、ハロルド殿。医者にも診てもらったんだから」
体調不良の根本的な原因は、過度な食事制限だった。
十四歳頃から、女性らしい体型への変化がはじまっている。それをごまかすために、太るわけにはいかなかった。
王妃の息がかかった医者の診察を受けて、食事の指導や薬の処方をしてもらっているが、一ヶ月ほど前から体調は悪くなる一方だ。
そして十日前に一度、エディはハロルドの目の前で倒れてしまった。
以来、彼はいろいろと世話を焼いてくれる。
その甲斐あって、ここ数日回復傾向にあるのだが、まだ完全には治っていなかったのだろう。
その後も、ハロルドは常にエディのそばにいて、なにかあるたびに手助けをしてくれた。
喉が渇いたときには酒ではなく、果実水を差し出す。臣の話が長引きそうなら、適当なところで話題を逸らしてくれる。
彼のおかげで、エディはなんとかその日の予定を完遂できた。
私室に戻れたのは、普段なら眠っている時間になってからだった。
寝間着に着替えたところで、もう一度ハロルドがやって来た。すでに体型を隠すさらしを取り払っていたエディは、ふんわりとしたガウンを着て、彼を出迎えた。
「殿下、おやすみの前に恐縮ですが、少々よろしいでしょうか?」
「どうしたんだ?」
「私からも殿下に贈り物がございます」
彼が部屋の中に運び入れたのは、かなり重そうな包みだった。紫紺のレースリボンを紐解くと、現れたのは二十冊近い本。それから上にちょこんと載せられたウサギのぬいぐるみだった。
「歴史書がこんなに……。めずらしい本もあるな。ありがとう」
一つ一つは高価なものではないのかもしれない。もしかしたら「もっと学びなさい」というメッセージが込められているのかもしれない。
けれどエディをよく知っている者が、エディのために選んでくれたのだとわかる贈り物だった。
第一王子は、勤勉で努力家である――少なくとも、エディ自身がそう振る舞っているつもりなのだから。
「恐れ入ります」
「もらっておいて不満を言うのはいけないのだが、この包みはなんだ? なぜこんなにカワイ……いや、まるで女や子供のものではないか。私はもう十六だぞ!」
本当は、本よりも、リボンやウサギのほうが嬉しい。けれど十六歳の第一王子という立場なら、子供扱いに憤る必要があるだろう。
「お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だ。とくに、このウサギはいくらなんでも私にふさわしくない」
それはラベンダー色のウサギだ。垂れた耳が可愛らしく、めくってみると耳の内側は細かいチェック柄だった。触り心地はふわふわで、頬ずりをしたくなるほど柔らかい。
「そちらは、男女問わず人気のある幸福のウサギです。毎晩願い事をしながら抱きしめて眠ると、それが叶うとか」
「ふーん、そうか……、そんなものが流行っているのか。肌触りは悪くはない、そなたの心遣いを無下にはできないから、枕もとに置いてやろう」
「なにを願われますか?」
「そうだな。弟、――ジェイラスより身長が高くなりますように……とか?」
冗談交じりに、エディはそう答えた。
個人的なことを
「……殿下」
「ハロルド殿、どうかしたのか?」
「いいえ……夜遅くに失礼いたしました。ゆっくりおやすみください」
ハロルドが去ると、エディはもらったばかりのウサギと一緒にベッドにもぐり込む。
包装で使われていたリボンもまだ握ったままだった。
紫紺のリボンは、彼女の瞳の色を深くした色合いで、銀髪にもよく映えるだろう。
「……でも、私が髪を伸ばすことはないから」
自分で使えない代わりに、エディはそのリボンをウサギの首もとに巻いて蝶々結びにしてやった。
それから、願いが叶うというそのぬいぐるみをギュッと抱きしめて目をつむる。
第一王子の願いは、「ジェイラスより身長が高くなりますように」だ。誰にも文句を言われない、立派な王となるのが、生まれる前から決まっていた第一王子の生きる理由だった。
けれど、親から望まれた第一王子は、
彼女はただ、それ以外の道を選んだ瞬間に、本当に誰からも必要とされていない人間になるとわかっているから決断できずにいるだけだ。
もう遠くない未来にこの状況は破綻するのだと、自分が一番理解していた。
(一度でいいから、綺麗なドレスを着て……こんなリボンをつけて……)
煌びやかな舞踏室で、ダンスをしてみたい。
それがウサギを抱いて願った夢だった。ダンスのパートナーはハロルドだ。彼が好きというよりも、彼しかエディ個人を心配してくれる人がいないから。
それは本当に愚かな願いだった。
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